星野巳喜男と葬式
市内某菓子舗の老婆が亡くなり葬式が行われた。星野巳喜男市長は細君とともにこの葬式に四回も来たという。星野の葬式好きは有名である。葬式には必ず姿を見せ、会葬者と握手して廻る。星野の選挙運動なのだ。情けないことに、沼田ではこの握手戦術が効果がある。「俺は市長と握手した」と選挙で星野に一票を投じる割合が高くなるというのだ。民主主義が衆愚政治になりやすい。愚人の一票も賢人の一票も一票の価値は同じである。愚人は言い換えれば騙されやすい人である。争点のない選挙に主張の乏しい候補という組み合わせでは、付和雷同する愚人の票を集めることが選挙運動の目標となる。
争点のある選挙が必要だ。それには、対立候補が要る。沼田の再生のため一汗かいてみようという若者はいないのか。沼田の人も、昔の人は気品があった。沼田に気品を呼び戻したいと考える若者はもういないのか。
あまりいい加減な事は言わないで下さい。
葬式で握手している所見た事ありません
これほど批判するならば時期市長選に立候補して市民の審議を仰いで下さい。
批判は誰でも出来ます。
投稿: ono | 2009年7月17日 (金) 18:44
onoさんのコメントは論理性に欠けるので、記事投稿者ではありませんが、反論させていただきます。
第1に、「あまりいい加減な事は言わないで下さい。」だけでは、どの事実が真実と違うのか解りにくいです。もっと具体的に、事実の指摘をすべきでしょう。
第2に、onoさんが、市長が葬式で握手している所を見た事がないことは、市長が葬式で握手をしていないことの理由にはなりません。なぜなら、市長が顔を出した葬式の一部始終を監視しているわけではないからです。
第3に、「これほど市長の批判をするなら市長選に立候補せよ」とは、民主主義の本質をまったく理解していない暴論です。「年寄りや子供は黙っていろ」と言うのと同じ論理です。この論理を貫けば、市長選で負けた人間は市長の批判をするなということになりかねません。それでは民主主義は成立しません。主権者である市民が市長に権力を委任し、委任者として監視するのが間接民主主義の要です。市長選挙はそのプロセスでしかありません。
第4に、批判は誰でも出来るものではありません。これだけの批判をできる沼田市民が他にいますか。批判をするのも簡単ではないのです。
そもそも、沼田では批判の前提となる情報公開がまったく乏しいのです。市民は批判しようにも情報がないのです。現実を客観的に見つめることなしに、議会が、多くの市民が、市政に対する監視と批判を怠り、市長を放任してきた結果、沼田市が県内12市でドンケツなったのです。
投稿: 杉山弘一 | 2009年7月17日 (金) 23:00
onoさん信者さんですよね!
「巳喜雄市長は怠慢ではありません。
市民の誰かが亡くなったと知るとすぐに駆け付けてくれます。GB21寄附受け入れの検討会議のような政策を決める会議には忙しくて出席できませんでしたが、市民の葬儀には必ず顔を出してくれます。告別式だけではなく3回も4回も顔を出してくれます。
市長という要職にありながら、毎日のようにこれを実行されています。葬儀への顔出し回数は日本一、いや世界一でしょう。市民の命をなによりも大切に考えているからこそ出来ることです。本当に良くやっています。沼田市が世界に誇れる市長です。」
葬儀も大事でしょう!しかし、市長と云う職責を知っているのかんな?
もしかすると商業区域がなくなるかも、そんな危うい方向に向いている時、GB21会議で陣頭指揮を執らないで葬儀への顔出し市長が立派なのかな?
キチッと評価を出来ない信者がいるから、第二の夕張などと云われるのだ。
おまけに市長の弔辞を奥方が代読する?考えられない、議会で指摘されても改めない断末魔?
でも、本当に奥方が市長の弔辞を代読することが出来るのだろうか?
これが、「沼田市が世界に誇れる市長」なのでしょうか?
onoさん沼田市が世界に誇れる本当の巳喜雄信者なんですね!
投稿: 吹き割れ | 2009年7月23日 (木) 11:18
そうだろうか。むしろ、「巳喜雄さんが慶弔を大切にするのは選挙のためだ」という論法こそ、論理性を書いているのではないだろうか。少なくとも「市長が慶弔を大切にする=選挙のため」という等式が成り立つことを証明して欲しい。そうかもしれないとか、一般的に言えば・・という程度のことしか証明できないのではないか? それでは、皆さんが問題視している小泉優勢選挙と同じ、単なる印象操作ではないか。慶弔問題とGB21の問題と同列に語るのも全く納得できない。「人情だけで政治はできないよ!」という主張なら、こちらも納得できる。しかし上記の議論はそういう指摘ではない。議論に見せかけたアジテーションではないか。その証拠に、貴方の論理立ての乱暴さを指摘したonoさんを、巳喜雄信者と決め付けて議論をさせなくしようとする。自由な言論が好きだと言っておきながら、「信者の意見は聞くにあたいしない」という論理を展開するのは自己矛盾ではないだろうか。
投稿: uno | 2009年7月26日 (日) 00:24
「市長が慶弔を大切にする=選挙のため」を証明せよ、との意見にお答えする。巳喜男市長は、非常に多忙である。市会議員の高橋襄助が何度も会見を申し込んだが、多忙を理由に全部断られた。また、市民協働の会議にも、市長は挨拶だけ済ますとすぐ退席し、議論に参加するはおろか、傍聴もしていない。情報公開の程度を他市(群馬の)と比べると沼田は最低であるから、市長が何をしているから多忙なのか、定かに知ることはできないが、市長自身の説明ではとにかく忙しいのだ。それほど忙しい市長が葬式にはこまめ以上に出かけ、秘書課の職員を戸籍係に貼り付け、死亡届けに来た人に故人のことを根堀葉堀取材させている。弔辞の材料を得るためだ、という。慶弔を重視するのもいいが、市政の重要な問題も山積みなのだ。市の財政は破産への坂をまっしぐらのありさまだ。こんなときに、葬式に三度も四度も顔を出すのは、死者に敬意を表わしたいからだとしても、いささか度がすぎる。他に魂胆があるのではないか、と疑ってしまうのは勘ぐりすぎだろうか。
投稿: 峯崎淳 | 2009年7月27日 (月) 08:23
UNOさん、吹き割れさんへ
投稿ありがとうございます。
基本的な部分で誤解があるようなので、ブログを管理する立場で指摘させていただきます。
「onoさん信者さんですよね!」ではじまるコメントを書き込まれたのは、吹き割れさんです。本ブログ記事の投稿者(峯崎淳氏)ではありません。
また、onoさんと以下のコメントを投稿された巳喜雄教信者さんは別人です。
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2009/07/post-bdc7.html#comment-25400691
投稿: 杉山弘一 | 2009年7月27日 (月) 17:37
杉山様、ありがとうございます。了解です。「信者論」は当方の勘違いでした。申し訳ありません。
峯崎様
そんな忙しい市長が、忙しいのに弔事を大切にするというは、普通は「公務多忙の中弔事の義理を欠かさないリーダー」という評価が出来るはずです。私は貴方の指摘の「市長が忙しいのは弔事に忙しいからだ」ゆえに「市長は仕事をしていない」という論理展開に矛盾があると申し上げているのです。
市長嫌いの方が、「市長は大した仕事をしていない」→「その理由は弔事に忙しいからだ」というのを「勘ぐっても」、そこに「論理性がある」とはいえないのではないでしょうか? なぜなら弔事をおろそかにした上に、行政運営が出来ない市長も居るからです。弔事と行政は関係ありません。 それなのに、onoさんの指摘に対して「論理性に欠ける」と断じるのは無理があると思います。
ちなみに、onoさんの、「市長に立候補すべき」という意見は、当然、貴方のおっしゃるとおり関係ありませんね。ただし、外から見れば、批判のための批判をしているといわれても仕方ないと思います。今回の弔事問題はまさに何の根拠もない類推の上で、市長を罵倒しているわけですよね。そういうのはおかしいでしょ?と思う、onoさんの指摘は当然だと思いますが?やはり政策の問題を議論すべきであり、市長個人の人格の問題を追求するのは折角の議論の腰が折れると思います。
投稿: uno | 2009年7月27日 (月) 23:56