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« GB21を守る沼田の経済理論 | メイン | 甘えの構造が通じない相手 »

2009年6月 9日 (火)

道義の頽廃と沼田

GB21を公器だと主張するには、持分所有者(その大半はテナントである)が道義を弁えた人々でなければならないはずだ。果たしてそうなのか、という疑問を市民の目にぶつけた方がいる。その方の言うには、持分所有者は例外なくただGB21を見限っていて、どうせ出て行くのだから行きがけの駄賃を一円でもせしめたい、と思っていろいろ画策しているだけだというのである。その方は沼田の事情に詳しく持分所有者たちとも話しのできる人であるから、あるいはそれが彼らの本音かもしれない。あわよくば市にもらい受けさせ、市から立ち退き料をたんまりせしめようとかくさくしていたのが、星野市長の拒絶に遭い当てが狂った。ファンドにビルが売られれば、家賃や電気代まで滞納している彼らは即座に叩き出される。それを避けるために必死なだけだ、とその方は言うのである。

 もしそれが本当なら、経済理論など全く無意味である。そんな経営者は、資本主義社会というより、市民社会に生きる資格すら疑われる。嘘かほんとか、特養老人ホームを舞台に老人に遺書を書かせて遺産を掠め取る犯罪事件を起し、沼田の顔に泥を塗った犯罪グループがGB21を狙っているという噂さえ聞こえてきた。そんなことになれば沼田の道義は地に落ちたも同然、またも全国的に汚名をとどろかすことになりかねない。破廉恥の町、沼田と。

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