林真須美の死刑判決と沼田
最高裁が林真須美の死刑判決を支持した。これにより九十八年に起きた無差別大量殺人事件が法的に決着した。
最高裁は、直接証拠がなく、自白もないという困難なこの事件について、「被告が犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」という異例の言及をしたうえで、「無差別大量殺傷の卑劣さ、残忍さは論をまたない。社会に与えた衝撃は甚大で刑事責任は極めて重大」と述べている。
被告は徹頭徹尾犯行を否認している。それもあって、動機の解明がなされていないため、「林は一体何のためにカレーに亜ヒ酸を入れたのか」が最後まで分らずじまいだった。新聞に載った判決理由要旨には、「被告は毒物カレー事件に先立ち、長年にわたり保険金詐欺に絡む殺人未遂等の各犯行にも及んでおり、犯罪性向は根深いものと断ぜざるを得ない。にもかかわらず被告は詐欺事件の一部を認めるものの、その他の大半の事件については全面的に否認して反省の態度を全く示しておらず、・・・」とある。最高裁は林真須美という常識では理解できない人物を何とか常識の範囲内で判断しようと苦悶しているかのようだ。
私は、精神医学の観点を導入することで、動機の問題や終始否認して後悔も反省もしない林真須美の性質が説明できる、と考えている。林真須美は、典型的な病者であり、その病名は「反社会性人格障害」である。俗にサイコパスと呼ばれる人格障害者である。この病者の特徴は良心が欠如していることである。普通の人々が誰でも持っている良心がない。
良心がない人間などというのは、近代的人間観では「人間でない人間」と言うことと同じで、矛盾概念であろう。近代社会制度は良心を前提としている。(近代以前の社会では、たとえば、餓鬼道に堕ちた人間=餓鬼、などという人間以下の存在を認めていた。)近代社会で良心の有無が問題になるのは戦争で、第一次、第二次の二つの世界戦争において、良心が無前提に人間に備わっているという思想が疑がわれる状況を体験し、良心のない人間も存在することが分ってきたことによる。ヒットラーやスターリンといった人々には良心は感じられない。二人とも反社会性人格障害の異常性格者である。
反社会性人格障害は、良心というブレーキを全く持たない病的人格である。当然のことだが、彼らの犯罪への抵抗は低い。処罰の懸念が唯一彼らが犯罪を行わぬ理由である。悪いことだから、罪を犯さないのではなく、損だからやらないのである。
反社会性人格障害の日常における特徴は平気で嘘をつくこと。嘘をつくのに何の抵抗もないから、実に滑らかに口から出任せである。保険金詐欺の常習者だった林真須美も嘘つきだったにちがいない。
ロサンゼルス市警の留置場で自殺した三浦和義も嘘つきだった。三浦も反社会性人格障害者だった。日本の裁判官は、反社会性人格障害という観点から三浦を見ることが出来ず、彼を無罪にしたが、サイコパスに慣れているロス市警は捉まえるチャンスをねらっていた。捉まえて三浦の人格障害を証明すれば、有罪に持ち込めるという自信があったにちがいない。
反社会性人格障害には、特有の症状がある。嘘つき、凶暴、空涙を流す演技、追い詰められると逆切れする、一見魅力的でカリスマがある、人に依存(盗みを含む)、チームプレーができない、自己中心・・・
サイコパスは脳波が普通の成人と違うことが多い。 林真須美も死刑を執行する前に脳波を取っておくべきだと思う。
さて、沼田の問題。サイコパスは必ず犯罪を行うとは限らない。犯罪を行っても、巧妙に隠蔽し、尻尾をつかませないことも多い。わが町沼田にも、一見魅力的でスタンドプレーがうまく、自己中心で、人に依存し、嘘つき、という特徴を持った奴がいる。騙されないよう、くれぐれも用心しよう。
コメント初めてさせて頂きます。
今の日本は財界、司法、行政、立法、トップは全てサイコパスです。
体制が瓦解するのは必然です。
投稿: jj | 2009年4月25日 (土) 19:41
市長は市民への説明責任より議会との馴れ合いのような感じです。市長との蜜月関係を優先していますね。特に3星のが主権を握ってるようですね。議会のドン星の、金庫番の星の、トップの星の。議会は、住民意思の代行機関として首長を監視・チェックするのではなく、逆に市民の批判を妨げる役割を演じている。議会組織として結果として何もできないのであれば、市民の中から「議会不要論」がでてきても不思議ではない。
投稿: 弱者代表 | 2009年4月29日 (水) 10:54