沼田のこれから
落ちるところまで落ちなければ駄目なようだ。現状を打破するチャンスはいくらでもあるのに、リスクを怖れる沼田の人々は、どうしてももう一歩踏み出すことができない。チャンスはすべて見送り、旧態依然とした権力構造のままである。なによりいけないのは、嘘が大手を振ってまかり通っていること。大嘘の最たるものは、市政が市民のためにある、という嘘である。市政は権力を握っている者のためにある。権力の座にあるものは、それを維持することを市政の目的と考えるが、それを決して認めない。認めたら維持できないのが、権力の座である。嘘で固めるしかない。市民も嘘だということをうすうす気がついているが、それを言っちゃあおしめえよ、と分っているから、権力者の鼻息をうかがい、少しでもおこぼれが自分に廻るよう立ち回る。
この構図を破らないかぎり、沼田の真の再生は難しい。権力者の固有名詞が変わるだけで、市政は変わらないからだ。それでも、人は飽きるということがある。悪いのは同じでも別の顔が欲しくなる。
今の権力者が最も怖れているのがこの民衆の気まぐれだろう。有力な対抗馬がいない状況であるからこそ、疑心暗鬼は募るばかりである。
星野巳喜男の市政運営をまじかで見てきた市会議員たちがようやくこの市長は何も出来ない愚図だと気づき始めた。オール与党だったのが、崩れ、星野を見限る気分が出始めた。
さあ、星野は気が気でない。親衛隊と呼ばれる支持者たちになけなしの補助金をやり、票を確保しようと懸命である。児童の給食費を値上げし、交通弱者から乗り合いタクシーを奪い、返す刀でタクシー券も三割削った。財政が苦しい、というのが理由だが、冗費をなくす努力をどこまでやったか、疑問である。第一、利根村や白沢村の振興局長などというまったく無意味なポストをいまだに廃止していないではないか。全戸に配っている沼田市のカレンダーなど無意味な浪費でしかない。
落ちるところまで落ちなければ沼田の再生はない。嘘でごまかすことが出来なくなるのは、沼田が地獄を見るときである。地方自治の真のありかたを、沼田市民が考えざるを得なくなる。そのときが、多分、最後のチャンスであろう。意外に早くやって来そうだ。市民の目はそのときに備え決して現実から目を逸らさない。
カレンダーを廃止しても誰も困らないのにどうして廃止しないのか。
私は「惰性でやっているのだろう。廃止を決められないだけ。」と思っていました。しかし、先日、元巳喜雄後援会の幹部のAさんにこの疑問をぶつけたところ、このような理解は間違いであることを気づかされました。
Aさん曰く「カレンダーの発注先を調べてみろ。あそこは後援会の幹部だぞ。」
カレンダーは選挙対策のため必要不可欠なものだったのです。
投稿: 杉山弘一 | 2009年4月15日 (水) 08:24
今回の記事も誠に的を射てる、破綻した夕張市にならない限り市民は目覚めない。確かに星野市長の行政運営に疑問を持った議員がいる雰囲気が感じられ市長も気になっているだろう。6年も同じ顔をみて進展が少なければ県民気質で飽きが来る。 だだしGB21の受入れ拒否を評価する。
補助金配布の目配りは三選を目指し着々と手を打っているのが透けてみえる? 星野支援者が星野市政の功績をこのブログでPRしないのが寂しい。
投稿: 一市民 | 2009年4月15日 (水) 21:17