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メンバーの裁判

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2009年3月 2日 (月)

決して非を認めない片品村

 2月20日付け「住民の目!片品」に書いた尾瀬オゾンシアターについて、もう少し詳しく書いてみよう。

 この事業に幾多の疑問を感じていた私は、昨年10月24日、役場に対して企画書、宣伝告知材料、参加者のリスト、結果報告書及び、領収書を含む収支決算書の開示を申し入れた。2週間後の11月7日、「存在しない」という理由で結果報告書の公開は拒否された。村が130万、県が50万の補助金を出した補助事業の結果報告書が存在しないということは、片品村補助金等に関する規則第13条に違反し、違法であることを、年が明けた1月5日、役場に対して指摘した。それから50日たった2月24日、「事業報告書が存在するので非公開を取り消す」として、「実績報告書」が公開された。
 私は、この実績報告書が違法を指摘した後に役場職員によって作成されたものと判断したが、役場はこれを否定、一切違法はなかったと主張した。当初「存在しない」として公開を拒否した理由を尋ねると、役場は「結果報告書」と「実績報告書」の言葉の違いをあげ、これが同一の趣旨のものであることが理解できなかったためと答えた。判定に加わったのは、総務課課長及び窓口で対応した総務課職員と、事業担当部署の職員だという。片品村の行政に携わる人間が「結果報告」と「実績報告」の趣旨を理解できないことに、笑っちゃうほど呆れる思いを超えて、住民のひとりとしては慄然とさえした。
 改めて公開された実績報告書を見て、その幼稚さにも呆れた。実施時期、場所、演目、内容、協力、参加人員が箇条書きで並び、最後に「当日は、団員の真剣な演技にフィナーレでは館内の観客が拍手をしつづけていました。多くの方に感動を与えた公演でした。」と書かれている。長期滞在、半定住を謳って開催されたこの事業は、定住促進がその目的だったはずであり、事業目的がどれだけ達成されたかの総括が、その反省点も含めて書かれていてこその実績報告書であるのに、そこにはひと言も触れていない。
 もっと細かく見てゆくと、収支決算書に書かれた入場者数が実績報告書に書かれたものと違っている。どう考えても、辻褄合わせさえまともにできない役場職員が、違法を指摘した後に作成したとしか考えられない。それでも役場は、あくまで違法はなかったとして、決して非を認めない。
 尾瀬国立公園誕生記念事業のひとつとして開催された第2回尾瀬オゾンシアターについても、同時に同様の開示の申し入れをした。この事業を主導した前教育長が任期途中で辞職したこともあり、補助金で用意された資材処分に関する全文書の開示も請求したが、これも「存在しない」として村は公開を拒否した。村の財産の処分を決めないまま実行委員会が解散したのである。これは片品村補助金に関する規則第21条に違反し、違法であることを1月5日に同時に指摘したが、役場からの答はまだない。
 一部の人間の楽しみに応えただけの、この中身も運営も、その後の対応も杜撰な2回の事業に、村と県が支給した補助金は計230万である。大雑把に計算しても、片品村の1700世帯が1世帯あたり1300円の負担をしたことになる。主催した団体は尾瀬の郷オゾンシアター実行委員会、その代表は、片品村村長である。 (木暮溢世)

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コメント

片品村情報公開条例第20条にこうあります。
「実施機関は、村民が村政に関する正確で分かりやすい情報を容易に利用することができるよう、情報の提供に関する施策の充実に努めるものとする。」
村長及び担当職員は、この趣旨をまったく理解していないようです。
住民はどのような公文書が存在するか知らないのですから、文書の名前が違うと言う理由で公開請求を拒否するということがなされたら、情報公開は絵に書いた餅になってしまいます。
それを防止するのが、この条文であり、情報公開の生死を決める重要な規定です。
具体的には、実施機関は、公文書の一覧表を備え付け、公開請求しようとする住民にそれを見せるということでしょうし、一覧表ができていない部分については、どのような公文書があるか請求時に住民に説明するということでしょう。
それができなかったということだけで、村長(及び担当職員)は違法(少なくとも不当な)行為をしたことは間違いありません。

原住民といえば、鼻柱隔から輪っかをぶら下げ髑髏の首飾りを下げた首狩族を想像する向きもあるかもしれない。利根沼田の原住民は見かけは一般の日本人と変りはない。違うのは、中身(内心)だ。中身を図象化すると、ちょんまげが頭に載っている。心臓のところに札がさかっている。書いてある字を読めば、余所者にでかい面はさせないぞ、とある。
彼らの悲劇性は、精神が近代化し損なったことから来る。価値観が前近代のまま現代に生きているため、悲劇性は毎日数限りない喜劇を生んでいる。支離滅裂こそ彼らの日常だ。近代化なんかしなくても生きている化石として貴重である。絶滅危惧人種に申請してはどうか。やがて亡びることは分っているのだから。

あんた、かなりストレスが溜まってるんだね(笑)こう言う事書いてストレスを発散してるの?ww  駄目な大人だね(笑) もしかして友達居ないんじゃ~な・い・の?  せっかく良い舞台が出来たのにこう言う事を書かれたら団員が可愛そうだよ?   違うところでストレス発散すりゃ~良いのにね~(笑)   沼田市の子供より   

沼田市の子供、ヤマツカミくん、ヤマツカミさんかな?
ずいぶん前の記事を読んでくれてありがとう。
よーく勉強しようね。いつまでもバカだと、バカな大人になっちゃうよ。ほら、鏡を見てごらん!

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