市民参加を阻むもの
昨日(2月24日)東京高裁(大谷禎男裁判長)で太田市の恩賞随意契約に係わる住民訴訟の判決が言い渡された。太田市長に約1300万円の損害賠償を命じた一審判決を取り消した。住民側敗訴である。これは本日の読売新聞にも詳しく書かれている。
沼田に直接関係することではないが、間接的には大きな関連があるし、沼田市民である私が、この問題に2004年の春から深く関わってきたことでもあるので、この場に投稿することをご容赦願いたい。
東京高裁判決をみて、改めて強く思ったのは、「市民参加を阻むもの・・・それは市民感覚から遠く離れた官僚裁判官である。」ということである。
判決は、恩賞制度によって随意契約を締結したことが違法であることを認め、担当職員がこのような違法な契約を締結することを阻止しなかったことについて市長である清水聖義に過失があり、同人が太田市に対して不法行為責任を負うことをはっきり認めている。内容的には原告住民の完勝だったのである。
その上で判決は、市長側が控訴理由にも挙げていなかった1年の監査請求期間徒過を盾にとって、大部分の請求を門前払いとした。さらに、どうやっても門前払いが出来ない部分については、「違法な随意契約があったがそれによって太田市に当然に損害が発生したとまでは言えない」とした。太田市に不法行為を行った市長を勝たせたのである。
その論理構成は、いずれも行政救済のための詭弁としかいいようがないもので、地方自治法で認められた住民参加の一つである住民訴訟制度を骨抜きにするものだ。
例えば、判決は「恩賞制度の存在及び内容を知らなければ住民監査請求をすることが出来ないというものではない」(12頁下から6行目)といい、1年の期間を過ぎたことに正当理由がないとして門前払いにした。
しかし、第1に、何で否定の否定を使って解りにくくするのか。そうすれば市民をごまかせるとでも思っているのだろうか。
第2に、随意契約の理由となった恩賞制度の存在・内容を知らずして監査請求ができるはずがない。しかも、判決は、恩賞制度の存在・内容が議会にも知らされていなかったことまで認めているのである。
第3に、判決は、一方で「恩賞制度自体が違法なものとまでいうことができず、その運用により問題が生じるというべきもの」(12頁したから2行目)という。そうであれば、住民は制度の存在及び内容を知らなければ、違法か否かの判断はできないことは明らかだ。なぜなら、恩賞制度の内容を知らなければ、同制度がどのように運用されていたかなど知ることができないからだ。判決は、完全に論理矛盾を犯している。
さらに、判決は、次のような趣旨のこともいっている。
原告住民は、平成16年春ころ、随意契約が多く行われ特定の業者が受注しているとの噂を聞いて、情報公開請求をしたと述べる。
確かに随意契約は特定の2社に比較的集中しており、上記噂を裏付けるものでる。しかし、その契約はいずれも平成14年ころまでのものであるから、当該噂が、平成16年の春にはじめて生じたとは考えにくく、それ以前から噂になっていたことがうかがわれるものというべきである。
よって、一般住民が相当の注意力をもって調査を尽くせば、その契約の締結時から1年以内に、当該契約の違法性を知って監査請求をすることができたはずである。したがって、1年の期間制限以内に監査請求をしなかったことに正当な理由はない。
これは、住民に不可能を強いるものだ。ひどい。呆れる。
第1に、噂とはいつとはなく漠然と広まるものだ。違法な契約だから契約時から噂があったはずだというのは、噂がなんたるかを解っていない。純粋培養で育ってきた裁判官は、噂など聞いたこともないのであろう。
第2に、仮にそうだとしたら、監査委員や市長はなぜ是正しなかったのか。住民が知っていて当然だという噂なら、当事者である市長、監査委員、市会議員が知らないはずがない。責められるべきは、市長、監査委員、市会議員である。それを、「調査が遅かった」と市の不正を明らかにした住民を責めるとは。根底に、一市民の分際で住民訴訟を提起することがけしからんという発想があるとしか思えない。
損害認定については、さらにひどい。
判決は、談合の事案と異なり、契約価格(その前提としての設計価格、予定価格を含む)を意図的に操作したことは伺われないから損害は生じていないという。しかし、損害は客観的なもので、損害を与える意図の有無に係わらずあるべき競争がなければ発生するのである。また、談合の事案でも、談合業者は設計価格、予定価格を操作することなどしていないし、自治体に損害を与えることを意図しているわけではない。談合という受注調整をした結果、契約価格が高止まりになり、反射的に自治体に損害が発生するにすぎない(しかも予定価格の範囲内)。自治体に損害を与える意図で契約価格を操作しなければ当然には損害が認められないないというならば、談合があっても、損害がないということになってしまいかねない。
また、このことは「清水は損害を賠償すべき不法行為責任を負う」(16頁)との判断とも矛盾します。不法行為責任を負う前提となる市長の指揮監督上の義務とは、市に損害を与えないために課されているものだ。損害がないなら、そもそも不法行為責任など発生しようがない。
裁判所の中の理屈におぼれて、あたりまえのことが解らなくなったとしか言いようがない。(杉山弘一)
裁判という最も透明でなければならないものがどうして、このように不透明なものになるのか。論理整合性を裁判所は当然とし、すべての判決には論理
的矛盾はないはずである。ところが、判断という人間の行為は、必ずしも論理的とは限らない。おかしな判断が時々出る。いや、かなり多い。
本件もそのような論理がめちゃくちゃ、判断の根拠も、「判事がそう思うから」というでたらめさだ。
本件の判事大谷禎男の如きはその典型だ。
最近女にしつこくつきまとって、ストーカー行為で捕まった判事がいたが、ストーカーというようなはっきりした犯罪をやってくれれば首にできる。しかし、本件の如きでたらめな判決を出してもお咎めはないし、まして首にはならない。しかし、ほんとに質の悪いのはこんな馬鹿な判決を出して涼しい顔をしている判事である。裁判そのものを裁判する必要がある。判事を裁判する必要がある。
投稿: 峯崎淳 | 2009年2月25日 (水) 20:00