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メンバーの裁判

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2009年2月24日 (火)

住民の目!片品(4)

 このブログ「市民の目!沼田」を開設当初から興味深く欠かさず拝読してきた。徹底的に調べ上げ不正を追究する姿勢には敬服するしかない。推測や思い込みでいい加減なことを書けば名誉毀損で訴えられるリスクもある。それを承知の上で発言する"覚悟"には共感を覚える。開設から1年5ヶ月、欠かさず拝読してきて感じるのは、沼田も片品と同じか、という呆れる思いである。
 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」夏目漱石の『草枕』からの抜粋である。
 片品に引っ越して以来、同じく外から移住してきた人たちの多くが、最初の3年は発言してきたが、いくら言っても何も変わらないから、もう諦めたと言うのを聞いた。諦めるのもひとつ、がっかりして他所へ引っ越すのもひとつの選択肢ではある。しかし諦めて黙ってしまうのでは、もの言わぬ村人と同じである。沈黙は金ではなく、罪なのだ。もの言わぬ人たちに井戸端で現状を愚痴る資格はない。
 永く住み慣れた東京から片品に移住するには、価値観を180度変える必要があった。そして移住を決断するまでに私は3年の月日を要した。人事に関しては複雑な思いが多いが、住環境としての片品を私は気に入っている。利根沼田だけでなく、吾妻を含めた北毛の自然を気に入っている。
 「越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」漱石はこう続けている。
 私はこの思いで上毛新聞の「視点オピニオン21」を書き、おかしいことはおかしいと声を上げてきた。この「市民の目!沼田」の諸兄にも共通した思いを感じ、こころ強さをいただいて、これからも片品で声を上げ続けてゆこうと思っている。ときどきはこのブログにお邪魔することがあるかもしれないが、隣の家のおやじの声としてお許しくださるようにと願う。(木暮溢世)

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