住民の目!片品(3)
私は今、片品へ移住して6度目の冬を過ごしている。横須賀で生まれ育ち、中学高校は横浜へ通った。大学を出てデザイナーとして5年間勤務の後に独立、主に広告関係の仕事をしながらフリー生活30年目の03年に、飽食の東京にひと区切りをつけ、赤い灯青い灯の赤坂から星影さやかな片品に引っ越してきた。73年から縁ができていた片品を気に入り、居住地選択に迷いはなかったが、実際に住んでみておかしいことが多々あることを知った。
翌年、上毛新聞から声がかかり「視点オピニオン21」に、こうすればもっといい村になるのにという思いを込めて意見提言を7本のコラムに書いた。村で初めてのオピニオン委員は当然村の宣伝をしてくれるものと決めつけていた役場には、私の意見提言は批判としか読めなかったらしい。
片品は周辺の市町村が羨むほどの観光資源に恵まれているにもかかわらず、馬鹿のひとつ覚えのように、尾瀬の風景と水芭蕉の写真を使って、尾瀬を宣伝する観光ポスターを作ってきた。ポスターのせいばかりとは言わないが、入山者はピーク時の半分に減っている。国立公園化による地元のPRの効果があったと言っても前年並み、それが現実である。結果が出ているのだから、他に切り口を探すようにと提案したこともある。尋ねられたから言ったのだが、役場は聞く耳を持たず、都会から移住してきた人間に勝手に劣等感を持ち、馬鹿にするなと言わんばかりの虚勢を張り、今年もまた大金をドブに捨てるのか。
公金を扱う者は、賢明に支出しなければならない。--そのためには役場には賢くなってもらわなくては困る。そもそも村長をはじめとして公金を扱う役場職員には、公金の認識が無いようにさえ見える。国民の大多数が反対している定額給付金の2兆にしても、本来は給付ではなく還付と呼ぶべきなのだから、国の認識も怪しいものだが、国がおかしいのだから村もおかしくていいという理屈は成り立たない。公金は国民が収めた税金なのだ。賢明に支出するのは当たり前だが、片品村役場に"賢明"を求めることがないものねだりでは、住民としては困るのだ。
村に営々と受け継がれてきた習慣でも、時代に合わないものは悪弊である。姑息に条例を改正してまで守ろうとすることに、何の意味もない。狭い了簡では何が正しいかもわからず、無知は衰退を招くだけである。
外から見える形で仕事をする。--この当たり前のことは、住民に知る権利があることが証明している。行政に説明責任があることは、住民に情報開示請求の権利があることが証明している。それらは同時に、行政が決して住民の上に立つ存在ではないことも証明している。そもそも国政にしろ市政にしろ、村政にしろ、主体は住民である。行政がいたずらに情報を隠そうとする姿勢は、行政と住民との間に不可欠な信頼関係を築かないばかりか、それを壊しているのだ。
住民参加、市民協働は避けては通れない時代の流れである。そこに不可欠なのが行政と住民の信頼なのだ。いつまでも形ばかりの住民参加、市民協働は時代が許さない。そのために必要なことは、すべての情報をすべての人にわかりやすく知らせることである。
片品に残る村社会の意識、思考回路は全国区ではすでに通用しないと考えるべきだ。特に役場職員はそれを肝に銘じるべきである。なぜなら、峠を越えた外の人たち、特に首都圏の人たちはそんなものを理解しない。仮に理解しても、受け入れようとは、絶対にしない。観光で村に来る人たちも農産物を売りたい先の人たちも、そういう外の人たちなのだ。今の時代を生きている人たちなのだ。そういう人たちに向かって、前近代的な意識、思考回路で「きらっしゃい!」と声を枯らして叫んだところで、打つ手打つ手が空を切るのは当たり前である。その答えはすでに現実になって出ている。今片品村が抱える現実は、片品のみんなが昨日までやってきたことの結果であり、みんなが望んで今の片品があるのだ。オスカー・ワイルドは「変わらないということは、想像力の欠如した人間の最後の批難場所である」と言った。それが気に入らない、いつまでもこのままがいいと言うなら、いっそ片品村は観光を捨て、自給自足の農業に徹し、鎖国した方がいい。(木暮溢世記、続)
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