住民の目!片品(2)
記念事業のもうひとつは映画の上映会と縁日のようなイベント。都会なら何軒もある映画館で、日に3回上映している映画を2年に1本持ってきて、名称だけは大層に尾瀬の森映画祭。中身は山田洋次監督の寅さんシリーズの第1作。尾瀬国立公園と寅さん、どこがどう結びつくのか。しかも40年近く前の映画に前売りが2000円、当日2500円は新作のロードショーより高い。これに村が60万、県が60万の補助金を出した。企画運営した民間組織は片品村の指定業者になっている沼田の土木業者に10枚、20枚と売りつけたらしい。ヤクザのみかじめ料かという業者の苦情を、間接的にではあるが聞いた。上映から1年5ヶ月たった今、その組織のHPを見ると、実行委員長と組織理事長の挨拶文には「只今執筆中、お待ちください」とある。さすが、スローライフ片品とはいえ、スローライフの意味が違う。おまけに実行委員長、別のブログに「他人の財布で遊ぼうとする人間の顔は卑しい」と書いた。どのツラさげて、と思う。公開された収支報告には、収入支出とも一の位までまったく一致した数字が並ぶ。これこそ記念すべき奇跡。しかも監査役のひとりは正体不明。理由は、民間人だから。
この民間組織がひと頃「ひと口3万でブランドに認定してあげる」とセールスに回っていた。村の人が創意工夫して作った農産物加工品を、同じ村の誰にその良否を決める資格があるのか、そもそも消費者の評価の積み重ねがブランドを生み育ててゆくのではないか、それが私の考えだ。しかし村は、この組織の事業をそのまま、組織の人事に役場職員5名を加えて尾瀬ブランド委員会を立ち上げ、10名の認定委員を選び、記念事業のひとつに引き上げた。もちろん、民間人だからという理由で、ブランド委員4名と認定委員8名の正体は不明である。公式事業の委員長選定にあたっては、主体である村がその人物の資質を計り、何らかの尺度で任命するというのが私の常識であるが、村の常識はその組織の互選に任せた。村長はもとより、役場には村の公式事業の主体としての認識、自覚があるのか、はなはだ疑問を抱かざるをえない。任命された人物には、その組織の理事という以外、さしたる経歴も実績も見られない。片品村に住民票を持たないこの人物と片品との関わりとしては、組織創設時の初代理事長で現在は理事に退いている村会議員と同居していることである。ちなみにこの村議は亡くなった前村長の義妹であり、先の村長選で前村長の路線を引き継ぐと言って出馬、当選した現村長の後援者のひとりである。尾瀬ブランド認定事業には村から30万の補助金が支給され、選ばれた11品目の製造販売業者に交付する認定証、標章、幟、シールの制作費として使われたと見るが、有効期間が2年ということであるから、その後はその民間組織のひと口3万の営利事業となる可能性がうかがえる。
私が企画自体に実現不能と見て首を傾げた4つ目は、想像していた通り、大幅に内容を変えて実施したが、辻褄を合わせただけのあまりのバカバカしさに語る気にもなれない。
1月23日の朝日新聞によれば、環境省が08年度の尾瀬国立公園への入山者が38万1700人だったと発表した。新たに加わった会津駒ヶ岳、帝釈・田代山を除いた旧尾瀬地域へは前年より多い35万6千人。89年度から始まった調査によれば05年度に最低の31万7500人、その後は下げ止まり、3年連続で35万人前後で推移しているという。環境省の出先機関である片品自然保護官事務所は「原油高や8月の悪天候により利用客が少なくなる要因が見られる時期もあったが、国立公園化による地元を中心としたPRの効果もあり、入山者は前年並みとなった」と話しているそうだ。環境省の出先機関がそう言うのだから、地元片品村のPRの効果もあったのだろう。それでも前年並み。この3年連続で推移している35万人前後という数字、ピーク時の半分でしかない。(木暮溢世記、続)
民主主義は民が愚かだとすぐに衆愚政治を招く。民の賢愚を見る目安の一つは向上心。自分の現状に満足せず、もっとましな人間になりたいと思う人間が多くいて、その人たちが尊敬されていれば、民は賢い。自分の向上などはいいから、とりあえずカネを儲けたいという者が多ければ、その民は向上せず、やがては亡びに向う。利根沼田の原住民には向上心が薄い。向上心を尊重する気持ちもない。馬鹿に生まれ、馬鹿で生き、馬鹿のまま死ぬ。おまんまさえ喰えればいいでねえか!カネ儲けの口があったら乗って悪いことなかんべえ。原住民の民度は、これに長いものにはまかれべえ、が加わる。みんなが長いものに近づこうとする。あぶくゼニ欲しさに。
原住民がもう少し勉強し、もう少し謙虚になり、もう少し向上することを覚えれば利根沼田は住みよくなる。経済に換算すれば生活水準はすぐ倍位にはなる。
投稿: 峯崎淳 | 2009年2月22日 (日) 22:29