グリーンベル21をどうするか
「田舎者の伊達好み」で専門家の忠告を無視して建ててしまった七階建てのビルは、専門家の危惧した通り立ち行かなくなってしまった。倒産必至だったものを、沼田の中心の立派なビルをお化け屋敷にはできないという口実で、市のカネを注ぎ込み(GB21の管理会社都市開発に出資したほか、テナントの家賃を補助している)、なんとか経営を続けてきた。しかし、ビルを所有する三井生命は、赤字に堪りかね、自らの持分を無料で市に寄付したい、と申し出、市は来年三月三十一日までに寄付を受けるか、否かの返事をすると約束した。
しかし、市の方針はまだ決まっていない。決めるための準備すらほとんど進んでいない。のんきなものである。
三井生命以外のビルの権利者の多くはビルの中で何らかの店舗を持ち商売をしている人々である。この権利者たちは、なにが何でも、自分は立ち退かない、商売をやっていく、と息巻いているらしい。しかし、このままで三月三十一日が来れば、三井はすべてを放棄するだろう。都市開発には、ビルを経営する資金力も能力もない。都市開発の株の五割以上を握っているのは沼田市である。都市開発は、実は沼田市なのだ。その沼田市に、GB21の赤字を永遠に補填し続ける財力はない。ということは、早晩、都市開発は倒産する運命にある。株式は紙屑となる。沼田市民は大損するわけだが、もともとこんな会社に投資するのがでたらめだった、ということである。投資を決定した市長の責任は重大で、それを容認した議会の責任も重い。市民の中から、損害賠償を求める声が上がり、訴訟を起す人が現れて少しもおかしくない。
それはさておき、都市開発が倒産し、ビルの管理者がいなくなると、電気は消え、水道も止る。冷暖房はおろか換気もない、エレベーターもない、そんなビルに客が来るはずがない。商店はどうやって商売を続けて行くのか。自主管理してやっていくのか。烏合の衆よりも始末が悪い足の引っ張り合いしか能のない連中にビルの自主管理などできるはずがない。
何があっても立ち退かない、と主張するのは、まさかそんなことにはならない、という自惚れがあるからだ。市が補助金を出さず、こんな立派なビルを見殺しにできるはずがない、と高をくくっているからだ。ところが、GB21がシャッターを下ろしたままで立ち往生する、というのは、常識のある人には、きわめて現実的な予測なのだ。沼田人の悲劇は、日本中いたるところで起きていることが、沼田だけには起きない、と信じ込む非常識にある。
GB21の議論は、GB21のシャッター・ビル化を、受け入れるか、否かということから始めるべきなのである。受け入れる方が、沼田の市民のプラスになる、という結論が出る可能性は十分にある。シャッターが降りたままのGB21が、本町通の角にでんとある図は悲しい。しかし、沼田市の財政から、それが必然となる可能性が高い。
それを防ぐには、まだ時間のある今のうちに、早急に知能の限りを尽くし、活用の方法を考えるべきなのだ。知能のありったけをつくしても結論がノーであれば、いさぎよく諦め、GB21のシャッターを下ろした後の始末を考える。労働者の再就職の世話をしなければならない。ビルを清掃している人々には何の責任もないのだから。
都市開発が倒産すれば、出資金は紙屑となり、市の損害が確定します。そうなれば、当然、それを決裁した市長個人の損害賠償責任が浮上してきます。
これを防ぐためには、第1に、都市開発が倒産しないように、補助金をせっせと注ぎ込む。第2にビルの寄附を受ける、と言うことですね。
第1の手段は尽くしたので、第2段階に入りつつあるのが現状でしょう。
ここで、グリーンベル21はだれのための事業だったのか。だれが失敗の責任を負うべきか。あれがないと、本当に沼田市は困るのか。こういう観点から検討し直す必要があるでしょう。
そもそも、管理会社への出資金と言えば聞こえは良いが、その実態はビルの購入代金の前払い、つまりは地権者への交付金でしかありません。
投稿: 杉山弘一 | 2008年11月20日 (木) 14:13