国際交流協会のあきれた現実
白井基勝です。
私は沼田市に在住する年金生活者です。戦争中から戦後にかけて沼田に疎開していました。高校は東京でしたが、腕白盛りは沼田で過ごしました。考えてみれば沼田町の時代でした。『沼田町史』を執筆した石田文四郎氏も、仕事を引き受けた理由として「沼田の人々の芳情に報いたかったため」と書いていますが、当時の沼田の町の方々は余所者の疎開者を温かく迎えてくれました。これは、たとえば、『小石川の家』に書かれた幸田露伴一家の長野県での疎開生活とはずいぶん違っていたと思います。
東京では広告代理店のAE(アカウント・エグゼキュティブ)として四十年近く働いていました。代理店の代表として得意先とすべての交渉を行う仕事で、守備範囲が広く責任の重い、それだけにとてもやりがいのあるものでした。ちょうど日本の高度成長期と重なり、海外からたくさんの企業が日本に進出してきた時期でした。外資系の会社の仕事が来たとき、誰かやりたい者はいないか、と希望を募りましたが、外人相手に交渉をするのですから、みなしり込みして名乗り出る者はいません。そこで、若輩で、英語などできはしなかったのですが、私が手を挙げました。以来、外国の会社の仕事をたくさんしてきました。ポラロイドの仕事をしたときは、日本支社長がシュマックリーというスイス人でした。ヨーロッパでも有名な凄腕の経営者で、後にソニーの盛田昭夫さんにひっぱらっれてソニー・ヨーロッパの社長になりました。このシュマックリーさんにはずいぶん鍛えられました。全部英語ですから、英語が苦手だなどと言っていられません。下手くそな英語で、とにかく相手が納得するまで説得しなければ仕事ができません。最初の頃は何がなんだかさっぱりわかりませんでしたが、そのうちに意志が通じるようになりました。やがて、口角泡をとばして議論をしている自分に気づいたときは自分でも驚きました。その後偶然のきっかけでロシア(当時ソ連)の会社の仕事もしました。ゴルバチョフさんが保守派に捕らえられ、エリッインが立てこもるロシア共和国の議事堂を戦車隊が包囲した劇的な場面にも立会いました。私は、人間同士の国際的な付き合いとはどういうことか、自分のわずかな経験を通してですが、ある程度心得ることが出来たと思っています。
沼田に来て、今の沼田が昔とすっかり変わったことに驚きました。沼田町時代のあの懐かしい沼田はもうありません。一番変わったのは、役場です。そして偉い人たちです。
沼田市が補助金を出している国際交流協会という組織があります。私は自分の経験が沼田のために少しでも役立ちはしないかと考えお手伝いすることにしました。
ところが、国際交流協会と銘打っているにもかかわらず、そこが補助金をもらってやっていることは、国際交流などとは到底言えない、でたらめなことでした。市のお金で幹部たちがヨーロッパに遊びに行くための「文化交流」やら、テレビで有名なスリランカ人を呼んで講演をさせるなど?のつくことばかりやっていたのです。私の疑問が決定的になったのは、私が企画して横浜のドイツ人学校と沼田の小中学生とのサッカー試合を取り決めたときです。国際交流協会の人々は、この交流をぶちこわそうと陰険な妨害工作をしたのです。ドイツ人学校の方はなぜそんなことが行われるのか理解できません。「白井さん、いったい沼田はどうなっているのですか?」と訊いてきます。たまりかねて、私はこの交流試合を片品村に引き受けてもらうよう頼まざるをえませんでした。これはうまくいっています。片品村の小中学生は今秋横浜に招かれて向こうで交流試合をすることになっています。
先日このことを峯崎淳さんに話したところ、峯崎さんはとても憤慨され、このブログで事実を報告しつつ、沼田国際交流協会の西田洽司元市長を鋭く批判しました。私はこのブログを印刷し市役所に届け、国際交流協会に補助金を出すことは沼田の利益にならないと言って置きました。私の考えが西田さんに伝えられたのでしょう、西田さんが会って釈明したいと言っていることが市役所を通じて知らされ、結局三月二十八日に会うことになりました。
当日市役所の北庁舎第三会議室に行くと、そこには西田洽司(沼田市国際交流協会会長)、真下きょうじ(協会事務局長・市会議員)津久井(協会企画部長)小林(市役所職員)の四氏が待っていました。
私は国際交流協会(以下協会)に疑念を持つに至った経緯を説明しました。まず、ドイツ人学校とのサッカー交流試合の件です。
「平成15年のことです。すでにドイツ人学校と交流試合の日時が五月に確定していました。にもかかわらず、二月になって、翌三月にドイツの子供たちを沼田に招待する企画をドイツ人学校に持ち込みました。ドイツ人は驚き、校長先生が私に電話でこれはどういう意味か尋ねてきました。なぜなんあことをしたのか?」学校の行事予定と言うものは十分に余裕をとって決めるもの。二月に突然三月に来いと言われても、学校は対応できません。しかも、一年も前から、五月に流試合をすることが決まっているのに! 当時も津久井氏が企画部長でした。ドイツ人学校の校長先生は日本語を話さず、英語でしかコミュニケーションができません。協会の幹部は、会長も事務局長も企画部長も英語が駄目です。ドイツ人校長には私に電話をかけるしか、この非常識な申し入れのわけを知る方法がなかったのでした。
しかし、津久井氏はそんな事実はないと言いました。真下氏もない、と言います。 翌日私は市役所に行き、協会担当の小林職員に、平成十五年二月の企画会議の議事録を出してくださいと頼みました。私はその二月の会議に偶然にもオブザーバーの形で出席していましたので、議題に上ったことを知っているのです。そのとき、確か沼田サッカー協会の永井さんという方に取り持ちを頼む話になったのでした。
しかし、小林氏は議事録を見せることは、この場で承諾出来かねると言いました。
「理由は?」、と尋ねると、
「あなたが協会の会員ではないからだ」と言いました。
私はあらためて彼らの顔を眺めました。
「では役員会にかけてください」と私は言いました。「待ちます」
次ぎの問題は、EU大使に沼田を見ていただく件です。
ドイツ人学校での交流試合に行ったときのことでした。私は偶然当時のEU大使ベルンハルト・プッセ氏と言葉を交わす機会に恵まれました。実は尾篭な話で恐縮ですが、手洗いで並んで用をたしたのがきっかけでした。
「閣下はどのくらい日本に滞在されるご予定ですか」と私が尋ねたのが始まりでした。
プッセ氏は私が沼田から来た男だと知って沼田に興味を感じたようでした。いろいろ尋ねられます。吹き割りの滝の話に特に惹かれたようです。大使は名刺を出し、わざわざ秘書を呼んで私に紹介し、沼田のパンフレットなど案内を送ってほしいと言い、後は秘書と相談してくれ、と言い残して去りました。沼田に帰った私は協会にこの話をし、西田会長に至急連絡を取ってくれるようお願いしました。しかし、西田氏からは何の連絡もありません。そこで私は西田氏に直接電話をかけました。西田氏は、私の話を途中まで聞くと、面倒くさそうに、「自分はベルンハルト・プッセ氏に紹介されていない。だから、その人に沼田のパンフレットなどを送ることはできない」と言いました。私は、「プッセ氏はEUの大使ですよ。沼田PRの絶好のチャンスじゃありませんか」と言いましたが、西田氏は
「私は忙しいから」と言って電話を切ってしまいました。
この日私は西田氏にこの話をすると、「覚えていない」と言いました。
真下事務局長は、「ベルンハルト・プッセ大使が沼田に来たとしてもそれがどんな重要ないみがあるのか? 自分は重要だとは思わない」と言いました。
私は事務局長の酒焼けした黒い顔をみつめました。(この人は、経歴として上智大学英文科中退と書いていた。ほんとかな。一言も英語がしゃべれない英文科中退などあるのだろうか?)それよりも問題が深刻なのはEU大使がどれほどのものか、なにもご存じないことだ。EU大使は伝統的に日本に駐在する全世界の大使で構成する大使会の会長です。その地位の高さ、権威は大変なもので、PR価値を金銭に換算すれば半端な金額ではない。
協会の会長も事務局長もそのような知識も教養もない!このような連中が市から補助金を貰い自分たちの海外観光旅行に無駄遣いしている! 私は彼らの無知を哀れむよりも、食い物にされている市民をこいつらから守らなければ、と思いました。
西田会長は市長時代に市の金をいかがわしい老人ホームに違法に支出した廉で返済を命じられています。この事件は最高裁の判例のホームページに載っていて、西田洽司ははっきり犯人として扱われています。私はこのことも指摘し、西田氏に「あなたは協会の会長にふさわしくない。辞めるべきです」と言った。
西田氏は自分が有罪の判決を受け補助金を弁済させられたことを忘れたかのように言いました。
「当時実際に入居していた老人たちの現実を考えることが私の責務であったし、私としては最善の方策を採ったと信じる」
しかし、西田はそのことを裁判で主張したが、裁判官は認めなかったのです。それどころか、判決後ホームの経営者が代わると、西田は補助金を打ち切りましたが、今度は裁判所が打ち切りは違法と言う判断をくだしたため、あわてて支出する、という醜態をさらしたのです。
私は言いました。
「一般の市民は司法の判決をこそ信用します」
西田は顔を真っ赤にして机をどんと叩きました。
「ならば私が会長を辞めればいいのか。辞めりゃいいんだろう」
「そうされるのがいい」私は容赦なく言いました。
西田氏がほんとうに辞めるかどうか見守る必要があります。
国際交流協会の議事録ですが、市長宛に情報公開請求をやられたらいかがでしょうか。
市の職員が事務局を担当し、作成・保管しているのであれば、情報公開条例第2条2号の「実施機関の職員が職員が職務上作成し、・・・、職員が組織的に用いるものとして実施機関が管理している」ことに該当し、行政情報ということになります。よって、市民等が公開を請求した場合は、第6条の非公開事由に該当しない限り公開しなければなりません。そして、第6条には「協会会員でないこと」という非公開事由はありません。
投稿: 杉山弘一 | 2008年4月 4日 (金) 22:28
西田被告(当時)は、判決後ではなく、訴訟中に問題となっていない年度の補助金を止めました。「原告が補助金が違法と言うから全部止めた。」とダダっ子のような対応をしたのです。
そして、原告から「公益上必要なら止められないはずだ。もともと必要ないことを被告自身が認めているに等しい。」と反論されると、再開したのです。自己保身だけを考えて右往左往の対応をしたのです。狼狽ぶりを見るだけで傑作でしたが。
そもそも、西田被告は社会福祉法人の会計制度をまったく理解していません。問題となった補助金は、本部会計といって理事らが個人で負担する会計に対して支給されたものです。よって、これを止めたところで施設入所者にはまったく関係のないものです。だから、公益上必要がなかったと裁判所に判断されたのです。
そもそも、行政訴訟で市長個人が損害賠償責任まで負わされるのは、極めてまれなケース。極めて悪質と裁判所に判断されたということです。だから、いくら悔しくても控訴できなかったわけです。それをいまだに、こんなデタラメを言っているとは呆れます。
こういう輩が、公職に居座っていること、さらには、それを許してしまっていること、これが沼田の病理なんでしょう。
投稿: 問題の訴訟の原告(当時) 杉山弘一 | 2008年4月 4日 (金) 22:54
白井さん嘘はいけません。
白井さんが国際交流協会の西田会長に会ったのは、写真展のことだと聞いていますが?また、ドイツ学園とのサッカーは沼田ロータリークラブとサッカー協会がからんでいるのではないですか。沼田の方なら良く知っている話だと聞いています。自分の都合の良い話だけのせて、内容はだいぶゆがんでいますね。「市民の目」で確認をお願いします。西田さんと白井さんどちらが正しいのでしょうか。国際交流協会は、ドイツも大切ですが、アジアの方を対象とした日本語学校も行っていますよ。皆さん、白井さんにだまされないでね。
投稿: 匿名 | 2008年4月 9日 (水) 00:25
頂いたコメントの趣旨が不明確なので、議論が混迷しないように、争点を整理します。
白井さんと、匿名さんの事実に関する主張の食い違いは、以下の2点と言うことでよろしいでしょうか。
①白井さんが国際交流協会の西田会長に会った理由は、「補助金のこと」か「写真展のこと」か。
②ドイツ学園とのサッカーは、沼田ロータリークラブとサッカー協会がからんでいたか、否か。
なお、「市民の目!沼田」は調査機関ではないので、原則として意見を主張する方がその基礎となる事実関係の確認をしてください。それが、ここでの議論の前提です。
また、名誉毀損や公序良俗に反する部分があれば、根拠と共に具体的に指摘下さい。言論の自由を最大限尊重しますが、法的にも問題があると判断した場合は訂正・削除勧告をします。
投稿: 管理人(杉山) | 2008年4月10日 (木) 19:54