勇気
ドルの不安(5)でバラック・オバマが歴史に残る大演説を行った話を紹介した。後日譚がある。その一つ。オバマ支持に鞍替えした人々のなかに、がちがちの共和党支持者たちがいる。その一人スーザン・ホフマン(52)は、ヒューストンの弁護士でブッシュ大統領を応援して憚らない保守派だった。ホフマン女史はオバマ演説を聞いて、「あれこそ勇気の証明だった。普通の政治演説とまるで違っていた。オバマは今までわたしが知ったどんな政治家よりも、人々すべての考え方を理解し、それを自分の政見に取り入れている」。女史は保守派だから、税金などさまざまな政策でオバマとは意見が違う。「政見の差なんかよりもっと重要なものがあるんです。わたしは歴史においてけぼりになるのは嫌です」と彼女は言う。
さらに、もう一つの例。デイヴィッド・アイゼンハワーは、ペンシルヴァにア大学の教授だが、名前で察せられるように、米国第三十四代大統領ドワイト・アイゼンハワーの孫である。細君のジュリアさんはニクソン大統領(第三十七代)の娘である。もちろん、これ以上は望めない共和党の名家だ。この夫婦が、先日、オバマ陣営に二千ドル寄付したと報じられている。
私は今日の日本において最も軽視されている政治家の資質は勇気だと考える。今日のような危機的状況においては、国政でも地方自治でも、勇気が大事である。前例や因習を打破する勇気、常識を覆す勇気、既得権力を剥ぎ取る勇気、本音を語る勇気、タブーを破る勇気が、今日ほど政治家に勇気が求められる時代はない。石油や鉄のような埋蔵資源は、国土に埋まっていなければ如何ともしがたいが、勇気は個人の資質で、誰にも持てる可能性がある。日本人はかつて勇敢さにおいて誰にも引けを取らない民族だった。武士には武士の、田吾作には田吾作の勇気があった。今沼田の政治を見渡すと、腰抜けばかりである。卑怯が服を着て歩いている。口当たりのいいお為ごかしを言って問題を先送りし、危機を深めている。無知で知恵がないなら、知恵のある人に貸してもらえばいい。沼田にも知恵者、優れた国際感覚の持ち主、勉強家など、優秀な人はたくさんいる。だが、勇気だけは、他人に借りるわけにはいかない。誰か勇気という天然資源を自らのうちに掘り起こす努力をしてみないか。
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