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メンバーの裁判

« ドルの不安(5) | メイン | 20年度第1回市議会傍聴記 »

2008年3月22日 (土)

ドルの不安(6)

国家権力を至上のものとして崇める共産党の一党独裁の恐怖は今度のチベット人民への発砲で具体的に示された。国家権力の本性は暴力である。民主主義が大事なのは、政治権力を握った者を絶えず監視し、批判する自由を権力を持たないわれわれに保証しているからだ。国家の暴力が厳しく監視され制限されているアメリカでも、野放しにされている暴力がある。それが経済の暴力、資本の暴力、金利の暴力である。

私が言いたいのは、あれだけ政治的に自由なアメリカ社会でありながら、ニューヨークの投資銀行の中は、中世さながらの封建的上下社会になっているということである。世界各地で新自由主義思想を講演して回る投資銀行家が、一歩オフィスに入ると、スターリンの鉄の規律に酷似した独裁機構のなかで身動きがとれない。あるジャーナリストはそれが、かつてのソ連共産党政権と余りにも似ていたので、レーニン主義はアメリカのウォール街に生き残ったと書いた。独裁者の機嫌を損ねれば、たちまち首が飛ぶ。恐怖政治が実態なのだ。

ベア・スターンズ社を買収したJPモーガンのジェームズ・ダイモン会長は、超安値で奪い取った金融会社に日をおかず乗り込んだ。「われわれをどうするつもりか」と尋ねる幹部たちに、「まあ、悪いようにはせん。安心して仕事に励んでもらいたい。一部辞めてもらう人も出るだろうが。この会社合併は連邦準備銀行と米国財務省に頼まれてやった結果なんだ」と答えた。「人の家に(勝手に土足で)入ってきて、なにが合併だ」とベア社の幹部はつぶやいたが、最早あとの祭りである。いやなら、無一文で出て行くしかない。ベア社の社長のアラン・シュワルツは、「わが社は暴力の集団的被害者だ。怒るのは当然だ。だが、誰に対して怒ればいいのか、定かではない。済んだこととして、再出発するしかない」と言ったが、顔は青ざめ声は上ずっていた。暴力の犠牲者とはよく言うな、と思う。ベア・スターンズ社だって、たちの悪さでは相当なものだった。ブラス・ナックル(指にはめる真鍮の闘争具)の経営手法と評されたのを読んだことがある。
資本には暴力が潜んでいる。私は、沼田の諸君がこうした資本の暴力とは無縁な地域通貨を真剣に検討し、賢い通貨をつくって沼田の経済発展を生み出すことを期待している。

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