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2008年3月13日 (木)

沼田の問題の背後にあるもの

世界中のカネを集めると全部でいくらぐらいになるかご存知だろうか?ざっと300兆ドル(米ドル)と言われている。円に換算すれば3京円(三兆円の一万倍)である。世界中の国のGDP(国内総生産高)の合計が30兆ドル(三千兆円)と言われるから、通貨として取引されるカネの量のものすごさは普通の人には想像もつかない。そして、一日に1.5ないし2兆ドルの通貨が、商品として売り買いされているのである。われわれには、貨幣は生活に必要なものを買うためのおカネだが、ある種の人々には、利益を生む資本なのだ。資本が利益を生むには経済が成長する必要がある。資本は絶えざる成長を求めて世界中を駆け巡る。グローバライゼーションとは、こうした資本の移動を妨げる可能性のある一切の障壁を取り除き、世界を平坦な一つの市場にすることである。そこでは、一国の貨幣も投機の対象となる。このバクチには寺銭がない。生活に必要な物資を買うおカネと、利益を追求する資本とがどっちも同じ貨幣だということが大きな問題になる。

そんなことが沼田の問題と関係があるのか、と不審に思われるかもしれないが、実はある。つまり、沼田の市民が幸福に暮らすために必要なおカネは、必ずしも資本となる貨幣のカネと同じものである必要はない。思い起してほしい、江戸時代は金属貨幣と米がともに通貨として通用していた併用通貨の時代だった。武士の年俸は米で計算され、支払われた。米と金属貨幣は同じく通貨でありながら性質がまったく違っている。江戸時代には飢饉が多かった。飢饉になると米が幅をきかしたが、豊作になると炊いた米を捨てる者さえ出たという。貯蓄すると、金の貨幣は長持ちしたが、米はすぐに劣化した。利息を生む資本としての貨幣は金でなければならなかった。逆に、利得に使えない貨幣に美点はないのか? そんなことはない。もし時間の経過とともに価値が劣化するーー価値が落ちていくーー貨幣があったとしよう。それを手に入れた人は出来るだけ早くそれを使ってその貨幣が表わす価値を手に入れようとするだろう。つまり、減価する貨幣は、交換を促進するが、利息を生む貨幣は交換を抑制する性質を持つ。経済がデフレ傾向に傾いているときには、この抑制はいっそう強まる。景気が上昇しインフレ傾向のときには、抑制は弱まる。我が沼田を観察すれば、景気は明らかにデフレに傾いている。したがって、カネを持っているひとはなるべく使わないようにするから、景気はますます悪くなる。

ここに新しい通貨を発行し、それに時間とともに減価する性質をもたせたとする。具体的にはたとえば今日一万円の値打ちがあるが、一週間たつと二百円減って九千八百円になってしまうものとするのである。するとそれを手に入れたきみは、今月分の米味噌などを今のうちに買うことを考えるだろう。仮に市役所の職員の給料の二割をこの沼田通貨で払うことにしたとしよう。沼田の経済は活性化しはしないか?市民を幸せにするのに必要なものは、米味噌などの物資だけではない。交通の足のないおばあさんを病院に運んであげる親切も市民を幸せにするし、母親が急用のときに子供を預かってあげるのもそうだ。このような、普通の通貨でやり取りしにくいサービスを地域通貨で気軽にやり取りする。なにをすればどのくらいの値段かは、あらかじめ表にして各家庭に配っておく。

実際地域通貨は世界中に広がっていて、日本にもたくさんあるという。新自由主義がつくりあげた格差社会の殺伐なエゴイズムの風潮を打破するためにも、地域通貨は真剣に研究してみるに値する。分断された人と人とを近づけ、自然な助け合いを生む作用をもつ。利子のつく貨幣などというものが、そもそも虚妄であって、経済とは本来助け合いがその真実の姿であった。アダム・スミスの妄想からもう醒めていい。

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