市政の私物化
沼田市の市政が今日の惨状に至ったのは、長年続いた私物化の結果である。
市の職員の採用が公正な試験によらず、コネで決められてきたことは市民のほとんどが知っている。コネで採用された職員が年功序列とごますりで管理職になり、そいつらがまたコネで職員を採用する、という悪循環を繰り返すうちに、思ったことが言えない役所内の雰囲気が固定して行った。
今権力を握っている上層幹部は、団塊の世代の劣等生だと思ってほぼまちがいない。彼らが市役所に就職した当時、優秀な者は製造業に行った。「くず」が学校の先生と役人になった。
沼田の惨状はある意味でそうしたくずに権力をもたせたための当然の結果である、もともと大した志を持っていなかったうえに、能力に乏しく、勉強する習慣もなかった彼らは、時代の方向どころか、民主主義とか自治のなんたるかを知らなかった。民主主義とは顔で市民に迎合し、口から出任せの嘘で騙すものと学習したのである。田島などという男は、嘘の塊であるらしい。
こうした無能でいながら、猿知恵だけは発達した小役人はひたすら私利を図る選挙役人(市長、市会議員など)と結託し、市政を私物化してきた。前市長の西田某などは、市役所が購入する備品、建材などあらゆるものを、己の会社あるいは息のかかった会社を通させ、眠り口銭をくすね取る手口で不正な利得を堂々と行った。それを手伝ったのが、市会議員であり市役所の幹部であった。この市の市会議員の最大会派を私は「こそ泥会派」と名づけた。大泥棒をこそ泥が監視するというこっけいなシステムの挙句の果てが、今の沼田である。
私は沼田市の部長以上に全部退職勧告する。今辞めれば、法定の退職金は与えよう、しかし、一年以上後は、退職金制度は根底から見直し、ゼロもありうる、とする。合併特例債に関する過った政治判断によって、星野市長は合併を行った結果、いびつな人件費がさらにいびつになってしまった。星野は政府にまんまと一杯食ったのだ。所詮田吾作にすぎない星野の洞察力は小泉の政府が本当に目指しているものがなにか見抜けなかった。自民党は今になって、格差社会に驚いたふりをし、福田を立ててごまかしを図っている。しかし、格差の形勢を条件とする今日のグローバル資本主義の方向は変わるわけではない。行き着く先は戦争である。
民主主義はありがたい制度だが、維持に努力が要る。監視を怠れば、たちまち沼田のような悲惨なありさまになる。
実際、今の沼田は暴動が起きても不思議はない。市民を不幸にしている敵はじつは市民が高給を払って飼っている木っ端役人なのである。
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