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「コント0番地」岩がん太さん死去 がんと闘い紙芝居 夢の続き天国で

(2011年9月15日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

病室で「子どもたちのため」

画像体全体を使って紙芝居を表現する岩田さん=昨年6月、岐阜市の柳ケ瀬商店街で

 がんと闘いながら、紙芝居のボランティアを続けていた元お笑い芸人の岩田昭弘さん(68)=岐阜市=が13日夕、亡くなった。芸能界引退後、自己破産、闘病と多難な人生の末にたどり着いた紙芝居。人生の次の舞台を生きる糧にと、病室でも紙芝居作りの絵筆を握っていた。(岐阜支社報道部・山本真嗣)

 岩田さんは、タレント萩本欽一さんの元付き人。約40年前に車だん吉さんと結成した「コント0番地」の「岩がん太」として人気を博した。

 引退後はラーメン店を経営していたが、借金がかさみ、一昨年に自己破産。毎月3万2千円の生活保護を受けるようになったが、市のボランティア養成講座を受講した縁で回ってきた紙芝居を読むボランティアの舞台に、再び血が騒いだ。

 生活保護で生かされている恩返しにと昨年4月から、街角や福祉施設で、無料の紙芝居を始めた。落語風の軽妙な語り口と体全体を使った表現力が話題を呼び、今年2月、念願の定期公演も岐阜市内でできるようになった。その直前に肺がんが発覚していたが、「待ってくれている人たちがいるから」と、抗がん剤治療と入退院を繰り返しながら、紙芝居を続けた。

 8月上旬、担い手や仲間を増やそうと紙芝居講座を始めた直後に病状が悪化した。それまでほとんどを市販の物で演じていた岩田さん。「子どもたちのために、自分で食育の紙芝居を作りたい」と夢を膨らませ、闘病の中で絵を描き始めた。

 A3判の用紙に描いた真っ青な海と、大きなリンゴ。亡くなる2日前に見せてもらった支援者の女性(31)によると、「ここに魚やカニを描くんだ」と楽しそうに話していたという。病室には下絵もたくさん残されていた。

 岩田さんはニートや引きこもりの若者たちとも接していた。自立支援に取り組むNPO法人「仕事工房ポポロ」(岐阜市)の中川健史代表は「紙芝居を手伝った彼らには、舞台になると瞬時に変わるプロ根性や仕事に向かう意識に触れて変わり始めた者もいる」と振り返る。

 公演は来春まで20も決まっていた。突然の訃報に、昨年11月に岐阜市で再会した師匠の萩本さんは、こう悔やんだ。

 「人生はこけているようでも、実はこけていないんだな。もう少しで、日本中の子どもたちを楽しませる、すげえじいちゃんになったのに」

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