「『わたし』の人生(みち) 我が命のタンゴ」(日本映画):父の痴呆症と娘の介護離職
昨日(14日)の理事会の審議。出頭指定の11時15分にクラブのメディアルームに入ると僕の前に召喚されている西澤さんが未だだから待てと。ちらっと見た出席している10人ほどの理事たちの顔は皆知っている。
今はリストラの影響で閉鎖されているダイニングルームで福原、平野、石川の卓球銀メタル三人娘の記者会見が始まるのでフロント前はカメラを担いだTV屋や記者たちで大混雑。
結局審議が始まったのは12時近く。冒頭バウムガルトナー会長が僕の罪状を読みあげているのを遮って、僕はいきなり「渾名で呼んだこと、伝聞醜聞を書いたこと」を取り消して(take back)て謝罪(apologize)してしまう。こんなことは早い方が良い。だが「自分で直接見聞きした会長の傷害事件、労組にビラ捲き騒動などはその限りでは無い」と宣言した。理事会も鋭い、「例え傷を見、医師の診断書をチェックしたとしても加害者が会長だと確認してないじゃないか」うーん、そう言えばこれも伝聞になるのか、厳しい。それにブログで非難した会長のH氏への人種差別言動は4年前にその時の会長の面前で謝罪し解決している問題だと。
「貴方の寿司職人への人種差別言動(黒い人に寿司なんか握って欲しくない)は許し難い」と。タジタジとなる。江戸前の寿司は江戸育ちの板さんに握って欲しい、は食通の問題で差別問題じゃないと抗弁しようとするが根拠は薄弱だ。
「会長一派へのブログを使って攻撃した動機は、自分の性癖で弱い者、苦しめられている者たち(馘首されたUPC36人)へ救いの手を差し伸べるべきだと考えたからだ」と議論する。「公益法人」への移行のためにやむを得ず取った行動だと反論されるが、この部分だけは納得できない。
しかし今までの名誉棄損的暴言は改めて皆の前で謝罪をする。これは決して理事会に阿(おも)ねているのではなく本心からだ。
怖れていた「魔女裁判」では無く互いに納得させ理解させる論議は続く。これで少しは安堵するが、それと裁定は別。寿司バーやメディアルームなど4つのリザーブが9月半ばまでしてあるので「処刑」(Execution)は9月後半から実施して呉れと依頼。理事たちは皆笑っていたからこれは延期は了解だろう。後日通達するとのお達しでチョン。
FCCJ査問会が終わった午後、16時20分の銀座シネスィッチ。40席ほどある2階席は3人しかいなかった。シニア層でいつも盛況の小屋だが、老人性痴呆症と介護離職と身につまされるテーマの所為か敬遠され淋しい空席だらけの劇場だった。
和田秀樹と言えば受験アドバイザーであり評論家であり精神科医、臨床心理士と何でもござれだが、その上小説を書き、映画も「受験のシンデレラ」を撮っている。和田秀樹監督第二作目で、実際和田が担当した患者のエピソードを基に、認知症を患った父親とその娘との家族の悩み苦しみそして愛や絆を描く。子育てが終わったなら大学教授になると言う夢に向かい足を踏み出したばかりの娘に突きつけられた父親の介護という重い負担。そのため折角手に入れた教授職を辞めなければならない「介護離職」。現代社会では認知症の高齢者が全国で250万人、介護のために仕事を辞める介護離職者は全国で50万人以上いると言う。老いとそこから派生する問題を抱える家族たちの悩みを描くシリアスな映画だが心が伝わって来ない。和田秀樹は2本撮っても何本撮っても映画畑で育った訳では無い。明らかに稚拙な素人演出では金を払った観客に失礼だろう。それだから小屋がガラガラと言うのも頷ける。やはりコンセプトと原案だけ出して監督はプロに任せるべきだった。
冒頭はある主婦の葬式。娘であり主婦の鈴木百合子(秋吉久美子)は、アルゼンチンへタンゴのダンサーになっている妹、実加子(冴木杏奈)が葬式に間に合わなかったのに怒る。百合子の父で元大学教授の堂島修治郎(橋爪功)は自分の妻の死を悼むでもなく講演を淡々とこなしている。百合子は華やかなTVニュースキャスターを出産と子育てのため辞めたが、子供も手がかからなくなり、長年の夢である大学教授への道を歩き始めていた。
そんなある日、父が痴漢行為で警察に保護された。普段はシャキッとしている父の異変を心配した百合子は嫌がる父を病院へ連れて行く。やはり修治郎は「認知症」だと診断される。進行する痴呆の不安と介護という現実に直面して家族の心はバラバラになって行く。そんな時、百合子は同じ症状の老人を抱える家族が集う認知症「家族の会」の存在を知る。そこで出会った個性溢れる患者たちに実加子はアルゼンチンタンゴを教え始める。ボケ老人たちのエピソードは微笑ましくキュートだ。修治郎は美人の老女、静子(松原智恵子)と言うパートナーを得てタンゴに夢中になって行く。最初は見様見真似であったが、ステップを踏むうちに修治郎の表情に変化が訪れてくる。そんな父の姿を見た百合子も、介護によって諦めかけていた大学教授の夢に再挑戦をするのだった。
秋吉久美子は熱演しているが、本が悪いし演出が稚拙なため芝居にあちこちに齟齬が出ている。鬼の様な顔をしていたかと思えばヒステリーに叫ぶ。こちらの方が余程病気だ。修二郎が仇討ちで寝ていた百合子に小便をかけるが、いくら認知症でもそんなことがあるのだろうか?
僕は昔から松原智恵子のファンだが、スレンダーな身体を包む真っ赤なドレスの67歳の松原が美しいこと。久しぶりの主演、橋爪功もタンゴに夢中になる老人を演じるが、パートナーの静子の突然の死去に狼狽するがタンゴの方が大切と言う気持ちが良く出ている。
銀座シネスィッチで公開中。ガラガラなので応援してあげてください。
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「るろうに剣心」(日本映画):幕末で人を殺し過ぎた「人斬り抜刀斉」は人を殺すことを止めていた
今日はいよいよ外国特派員協会から審議の後、裁定が下される日。Doomsdayとなればやはり緊張する。色んな話を聞くと自己弁護は許されず、審議すらなく既に決められた罪状で一方的に判決が読み上げられると。敗戦国の大日本帝国高級将校を裁いた「東京裁判」だね。決して卑屈な態度を取らず理事会に阿ることなく受け止めよう。
神永学の「天命探偵 真田省悟3 ファントム・ペイン」(新潮文庫:2012年:7月刊)は真田省悟シリーズの3作目になるのだそうだが、ストーリー自体が軽くて浅くて詰まらない。神永学は小説の他にも舞台劇の脚本を書くと言うがスピーディな展開が売り物らしいがその所為で深みが欠ければ何もならない。
「予知夢」を見る美少女、志乃が登場するがスティーブン・キングスやディーン・クーンツのような超能力には至らない。こういう方面に発展すれば好きな小説になるが、麻薬王「亡霊」の脱獄で復讐劇に展開となる。
主人公真田の育ての親は探偵事務所所長で雇い主の山縣。山縣は元警視庁刑事でオリンピック代表候補にもなった射撃の名手。志乃はある家族が皆殺しになる夢を見る。山縣が率いる探偵チームは麻薬王の「亡霊」を追う。亡霊は自分を刑務所へ叩き込んだ復讐を誓っていて次々と大胆な動き。警察も公安も探偵事務所をも巻き込み奈落の底へ突き落して行く、と書くと面白そうだが退屈なアクショナ―。読んで損した。
先週金曜(10日)ワーナーブラザースで試写を見た帰りに寄った新橋駅前の寿司屋の親父がプレスを見て「えっ!それ映画になるんすか?あたしの好きだったコミックですよ」と感激していた。僕なんかと年代が違うが、親父は少年の頃(1990年代初め)に夢中になって見たと言う。手塚修虫の昔から映画的発想とメソッドでコミックは創られているから、その逆もまた真でコミック原作の映画は数多い。「子連れ狼」「明日のジョー」「こちら葛飾亀有公園前派出所」「GANTS」などなど映画になったコミックは数えたてていたら紙数は足りなくなる。
僕はコミックを読んでいないので、映画を見る前には土佐勤王党の「人斬り以蔵」こと岡田以蔵のことかと思った。剣心は15歳から19歳までの4年間、勤王倒幕の志士を斬りまくっている。だから「人斬り抜刀斉」のモデルとしてコミック原作者、和月伸宏は岡田以蔵を念頭においていることは間違いなさそうだ。
抜刀斉(佐藤健)が新撰組、斎藤一(江口洋介)と相対した鳥羽伏見の戦いから10年以上経った明治11年が舞台。既に明治4年8月に太政官布が発布され「ちょんまげ」と「帯刀」は禁止されていた。
維新後10年経った東京に「人斬り抜刀斎」と名乗る男が手当たり次第に人を斬りまくる。その男に立ち向かう神谷道場の娘、薫(武井咲)を助けた男こそ本物の「人斬り抜刀斎」で今は緋村剣心と名乗っている。人斬りは止め斬れない逆刃の刀を手に流浪の旅を続けている。行く所もないので薫の願い無人の道場に居候することになる。凄腕なのに無邪気でアドケない顔をして「〜でござる」の口癖が可愛い。
偽抜刀斎は鵜堂刃衛(吉川晃司)と言って実業家、武田観柳(香川照之)の用心棒の1人。武田は女医の高荷恵(蒼井優)に命じて作らせた合成アヘンで大儲けをしているが、製造に携わった工員を皆殺しにする。辛くも逃げ出した恵。恵がいなければアヘンを製造できない観柳は用心棒たちに恵を追わせる。悪人の彼は莫大に稼いだ金で西洋の武器を買い込み世界を支配しようと企んでいる。香川は相変わらず何をやらせも上手い。極悪人をコミカルに演じる。
最新鋭の武器にガトリング砲があるので驚く。「ラストサムライ」で政府軍が最終武器として反乱を起こした侍たちをなぎ倒した機関砲だ。
幕末に新撰組に属し抜刀斎と対決し勝負がつかぬまま別れた天敵、斉藤一が警官になっていて剣心と出会う。この天敵同士は心が通い会い、社会の敵・武田観柳に戦いを挑むことになるから愉快だ。
大団円の偽抜刀斉と本物抜刀斉との死闘が凄い。神社に登る細い長い石段をバックに延々と(相変わらず長いが)力の限り戦う。この決闘こそが偽抜刀斉こと鵜堂刃衛の求めていた生き甲斐なのだ。
監督・脚本の大友啓史はNHKを昨年4月に退社し製作会社を設立し映画監督業を始めた最初の作品。熱い意気込みは凄いが本を欲張り過ぎて、例えば観柳の用心棒たちが多すぎて複雑になっている。もう少し本の段階で整理が必要だった。見応えは確かにあるが、この手の娯楽作品で2時間25分のランニングタイムはやはり長すぎる。
8月25日より新宿ピカデリー他全国公開される。
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「ボーン・レガシー」(THE BOURNE LEGACY)(アメリカ映画):CIAは極秘計画が漏れると関係者を抹殺し計画は存在しなかったように装う。
8月2日夜、TOHOシネマ六本木ヒルズスクリーン7でのプレミアショウは主役のジェレミー・レナーの舞台挨拶もあり豪華な試写会だった。
全米での公開が8月10日なので配給元の東宝東和はFCCJのように「ブログやツィッターに書くな」との指令で、遵法精神に富んだ僕は従順に従い全米公開前は書かず、今日初めてアップロードすることになる。レナ―はスクリーンで想像したより小さく見え、未だ大スターぶらない素朴で開けっぴろげなキャラクターを披露して好感が持てた。ビッグな役柄でプレッシャーはあったかと聞かれ「僕は役者だから淡々と役柄をこなすだけ」と答える。
「ハート・ロッカー」から「MI:4」「ザ・タウン」「アヴェンジャー」と主役クラスを務めている自信が役者を大きくするのだろう。「むしろプレッシャーは監督・脚本のトニー・ギルロイにあっただろう」とレナ―が指摘する通り、シリーズを担当していたポール・グリーングラスに代って、脚本を弟のダンと共同でずっと書いていたトニー・ギルロイはヒットシリーズの初監督のプレッシャーに押されていると感じる。それだけでは無い。ロバート・ラドラムが書いていた原作は三部作で使い切り、彼が死んでからはエリック・ヴァン・ラストベーダーが受け継いでボーン・シリーズの小説を出している。ラドラムのような独創性やダイナミックさに欠ける。レナ―が売れて来たと言っても、ボーンはマット・デイモンがいての大ヒット作だ。彼の存在感、彼の貫録がシリーズを支えて来たのだ。
僕はこのボーン・シリーズが大好きだ。記憶を失ったジェイソン・ボーンが世界を股にかけ、自分の過去とCIAの国家的陰謀を次々と暴いて行く展開に夢中になった。「ボーン・アイデンティティ」「ボーン・スプレマシー」そして「ボーン・アルティメイタム」の3部作はこの10年で$944M(737億円)も稼ぎ出した。特に5年前の「アルティメイタム」はその半分近く422M(330億円)の大ヒットだ。そして10日に開けたこの週末3日間の全米興行成績は首位を押さえたものの悪くとも45Mは行くと見ていたが、40.3M(31.5億円)と低調だ。
だから結論を先に言うと、前作から主役や監督や原作者が変わりストーリー自体も希釈された、この映画は余り興奮しなかった。
アラスカ州CIA訓練地でアーロン・クロス(レナ―)が一人雪山で鍛錬している。彼こそCIAの人格、肉体改造計画「アウトカム」で作られた最高傑作なのだ。アウトカムはボーンが秘密を暴いた「トレッド・ストーン」計画を上回る極秘プログラムだ。だが情報漏洩でCIA長官(スコット・グレン)は国家全体が危機に陥ることを悟る。直ちに国家調査研究所の司令官リック・バイヤー(エドワード・ノートン)は証拠隠滅のために「トレッド・ストーン」計画と「アウトカム」計画の総てのプログラムを抹消することを命じる。この辺りの描写はNYでのボーンが活躍する「アルティメイタム」の終盤と重なる。計画の最高傑作であるアーロンも抹消の対象とされ追手が忍び寄る。無人機の発射したミサイルでアラスカの隠れ小屋ごと吹っ飛ばされたと思われたアーロンはワシントンDCに潜入する。計画で服用を義務つけられた薬を飲まねば生存出来ないと知り、工作員の体調管理の遺伝子化学者マルタ・シェアリング博士(レイチェル・ワイズ)に助けを求める。マルタの務めていた実験室で同僚の男性が銃を乱射し彼女以外は総て死亡する。生き残りのマルタも謎の追手の影に怯え、アーロンとマルタの二人は逃亡生活が始まる。ここからボーンの通常パターンに入る訳だ。世界を股にかける逃亡は実は薬を求める旅で、シカゴ、DC,NY,ソウル、カラチと今までボーンが廻らなかったマイナーな都市を経て最終目的地、マニラの薬工場へ辿り着く。
マニラの高速道路やゴミゴミした裏町の細い道を駆け抜けるオートバイでのカーチェイスがアクションのクライマックス。撮影はただ一人シリーズ通して同一シネマトグラファーのロバート・エルスウィットだから上手い。ハンドカメラはスピード感溢れる。「デンジャラス・ラン」でもそうだが、最近の映画では悪いのはCIAの上層部で、裏切りやスパイが蔓延り悪の巣窟になっているようだ。
9月28日より東宝系劇場を中心に全国公開される。
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「菖蒲」(SWEET RUSH)(ポーランド映画):死が底辺に蠢くフィクションとドキュメンタリーを織り混ぜにした3部作
昨日(11日)の「日刊ゲンダイ」に「日本外国特派員協会で労使紛争!“労使紛争”で大揺れ」と題して4段抜きの記事が2面に掲載されている。中村GMが「幹部の飲食代が赤字の原因?あり得ない話です。」と答えている。お白洲へ召喚が控えているブログではノーコメント!
学園ものなんておよそ好きでない僕だが恩田睦の「球形の季節」(新潮文庫:2010年11月23冊)の高校生ホラー小説を面白く読んだ。
15万人の東北のI市、内陸部の盆地で4つの高校が並んでいる。不思議なことにあの古臭い金平糖が駄菓子屋で物凄く売れ出す。通学路を歩いていて色とりどりの金平糖が学校近くにばら撒かれている。その内に奇妙な噂が流れ「地歴研」の高校生同士が出所を追求する。そして噂通りエンドウさんと言う女性徒が行方不明になる。遠藤志穂が如月山に向かったが消息を絶つ。次の噂は「サトウと言う男の子が事故に会う」。その通り佐藤保が車に撥ねられる。
金平糖の噂は分かった。好きな人が金平糖を真っ先に踏んでくれれば恋は成就するのだと。その前に落花生をばら撒く話もあった。これは嫌な奴を呪い殺すお呪いだった。踏んだら死ぬと。
I市で流行る都市伝説を取り上げ科学的に解明しようとする高校生たちの活動と推理が面白い。登場人物の殆どは高校3年生で来年はI市を去る若者たちだ。恩田は筆力があるから一見詰まらない話でも興味を持たせてストーリーを膨らませ読ませて行く。勿論横軸では高校生同士のロマンスも織り込む。
半生記以上前の、あの「地下水道」の監督はアンジェイ・ワイダ。1926年生まれと言うから数えて見ると今年86歳、ポーランドの新藤兼人だ。ソ連がポーランド将校たちを大量に銃殺し処刑した事件「カチンの森」を撮ったのが4年前で益々意気盛んに映画創りに励んでいる。
映画の構成が面白い。先ずタイトル通りのヤロスワフ・イヴァンシュキッェヴィッチ原作の短編小説「菖蒲」の映画。撮影半ばでワイダ監督の友人でこの作品を含め長年撮影監督を務めたエドヴァルト・クウォシンスキの逝去と妻であり、「菖蒲」の主演女優クリスティナ・ヤンダの心情を描くプライベイトライフ。そして「菖蒲」を撮影しているワイダ監督。これほどの巨匠にもなると絵になるドキュメンタリー映画だ。
つまり「1本で3本の映画が楽しめます!」と。
冒頭は主役のマルタを演じるクリスティナ・ヤンダが暗いホテルの部屋で物憂げに語り出す。「この映画は昨年撮る予定だった」が彼女の夫が重篤な病にかかり延期して撮影に入ったもののロケ途中で急死する。夫の病と死に至る軌跡、そして二人の出会いから愛と苦しみの日々を振り返る。
映画「菖蒲」の舞台はポーランドの小さな町。目の前には大河が悠々と流れる。医師(ヤン・エングレルト)と妻マルタ(ヤンダ)は先の大戦で二人の息子を死なせている。医師として妻を診断した夫は余命幾ばくも無いことを告げるのを躊躇う。ある日船着き場でマルタは美しい若者ボグシ(パヴェウ・シャイダ)を見かけ声をかける。亡くなった息子と同じ年頃。悩みを聞いてあげ青年の勤めが終わった後一緒に河で泳ぐ約束をする。そして聖霊降臨祭のために河に生える菖蒲を泳いで取りに行って悲劇が起こる。
河の中の水中カメラをモニターでチェエックするワイダ監督。雨が振りだし一時撮影は中止するが、ヤンダは居たたまれなくスタッフが止める間もなく国道に走りだし、通りかかった車を止めてホテルへ戻る。そしてヤンダの独白は続く。
1篇のフィクション、2編のドキュメンタリー、何れも底辺に「死の影」が横たわっている。全体に重苦しい陰鬱なムードの中で物語は興味深く進行する。珍しい構成だが「死」が境目を繫いで一貫した流れを作る。
劇中マルタがボクシに教養をつけるために勉強しなさいと一冊の本を渡す。「灰とダイアモンド」を。観客席から重い雰囲気を払いのけるように一時の笑いが起こる。
クリスティナ・ヤンダは丁度60歳。「大理石の男」「鉄の男」などワイダ監督作品の常連で、ブガイスキ監督の「尋問」で1990年カンヌ映画祭主演女優賞を獲得している。86歳のワイダ監督に比べればまだまだ若い。創作意欲旺盛なワイダとコンビでこれからも作品をドンドンポーランドから発信するだろう。
10月20日より神田岩波ホールにて公開される。
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「ロスト・イン・北京」(苹果)(中国映画): ピングォの産んだ赤ちゃんは誰の子か?一人っ子政策で子供が居ない二組の夫婦が子供争奪戦
FCCJ理事会から召喚されている身では「唇淋し秋の風」で少し沈黙を守る他は無さそうだ。お白州に引き出され「市中引き回しの上、河原での晒し首」は無いものの、一方的に「所払い」「蟄居」「遠島」にでもなる可能性もある。この先1カ月の間、寿司バーやメディアルーム、バーセクションでのパーティやデイナーを主催しているから大事だ。主催は僕が紹介してメンバー名になっているものの、自分自身が出席出来なくなる。
このブログは本来、映画紹介を主題にするが、身辺雑記を枕にすることが多いし(その一環がFCCJ騒動だ)、それから乱読した本の紹介も兼ねる。
遅ればせながら江国香織の初期の作品で好評の「きらきらひかる」(新潮社:2011年6月51刷)を読んだ。初版は1991年だから21年のロングラン人気のある中編だ。
10日前に結婚した睦月と笑子夫妻。睦月は勤務医で笑子はイタリア語の翻訳家。インテリ夫婦だが互いに脛に傷を持つ身だ。睦月はホモで院生の頃から若い恋人紺がいる。笑子は精神病を病んでいてアルコール依存症。勿論セックスレスの夫婦生活だが、二人の誠実さや友情は不変。二人を取り巻く友達たち、それに互いに子供の欠点を知っていながら見合いをさせ一緒にした両家の両親たち。
江国独特のチャプター毎に夫々の視点から展開するストーリーは夫妻の心理を細かく穿つ。両家の親たちや友達たち総てに満足させるために笑子が睦月と紺の精子を混ぜての「人口受精」には度胆を抜かれるが江国の発想の面白さに笑える。
原題は「リンゴの実」のことでファン・ビンビン扮するヒロインの名前。第57回ベルリン国際映画祭コンペティション部門への正式出品作品。中国国内では劇中の美人女優ビンビンの激しい性愛描写の修正が行われたが、電影局の審査を受ける前に修正している時間的余裕が無いと海外の映画祭に出品したこと、またこの手の過激セックス動画はネットや海賊版ソフトで無修正版が出回り、サイバーコップは風紀を乱したことを理由に、国内での上映中にも拘わらず映画館からフィルムが没収された。相変わらず中国共産党一党独裁政治の下では真っ当な作品が作れない。 日本版は修正後だろうか?東京国際映画祭のジャッジで来日したのを見てから、ファン・ビンビンの大ファンだから目を凝らしてこちらもビンビンになるのを楽しみにしていたが、窓から夫が覗く絡みの露出はそれ程でもない。考えてみたら06年の撮影時にビンビンは25歳の駆けだし女優、この作品と「心中有鬼」で注目されたのだから、体当たり演技や露出を求められたら拒まなかっただろう。女優魂凛々だ。
大通りを埋め尽くす高層ビルや走り廻るメルセデスの高級車群は今まで僕等が抱いていた北京のイメージを一新する。NYや東京と変わらぬ大都会だ。だが表面は近代的社会だろうが底辺はやはり中国。人権無視や階級的差別が横たわっている。主人公、ピングォ(ビンビン)は田舎から大都会北京に出稼ぎに来て、マッサージパーラーで働いている。ピングォは結婚していて夫、アン・クン(トン・ダーウェイ)はやはり地方から出て来た労働者でビルの窓ふきをしている。
だがマッサージ店のオーナー、リン・トン(レオン・カーファイ)は既婚者を雇わない方針なのでピングォは独身と偽っている。ある日解雇された友達、シャオ・メイ(ツアン・ミホイツ)を慰めるため酒を飲み、したたか酔っ払って店へ戻る。社長室へ迷い込みそこで気を失う。女好きの店長トンは棚から牡丹餅。頂かない手は無いとセックスをしてしまう。ピングォは途中で気付いて抵抗するが遅すぎて店長の射精はドクドクと完了。偶然窓を拭いて自分のカミさんのセックスを覗いていた夫クンは激怒。殴り込みをかけるが軽くあしらわれた上にピングォは既婚者だとバレてクビになってしまう。
このドタバタがスピーディに描写され充分可笑しいが、後日譚はもっと笑える。店長の妻、ワン・メイ(エレン・チン)は年増盛りなのに男気が無い。訴えて来たアン・クンに「お互いに被害者同士慰め合いましょう」と騎上位でセックス。納得が行かないが無理矢理の性交で下敷きになった可哀想なクンがそれでも良くなって仕舞う表情が可笑しいったらありゃしない。更に大事件、何とピングォは妊娠してしまった。父親が夫かオーナーかどちらの子供か分からないのがミソ。金はあるが子共が居ないトンは大金を払うから生まれた子を呉れと言う。妻のワンも夫に同調。産婦人科医に迫って血液型をトンに子だと書き変えさせるクンに金で転ぶ産婦人科医も笑える。大金を貰って引き渡すが暫くピングォは乳母として乳を赤ん坊に飲ますためにリンの家に住み込む。手を出すに違いないと夫クンとリンの妻メイは疑心暗鬼。
監督は49歳のリー・ユー(李玉)。TV出身でドキュメンタリー映画に首を突っ込み、2001年のデビュ作「今年夏天」や「紅顔」で注目される。中国的喜劇でも欧米で通じるように仕上げている。
中国映画と言えばチャン・イーモーに代表されるように頑固な農婦だとか日本兵に抵抗する農民や労働者などが定番だったが、金の亡者の成金一家のドタバタ喜劇はガラリと変わった中国を見せてくれる。それも決して西欧社会や日本的では無く中国の昔からの慣習や常識、社会的ルールが底辺に流れているから興味深い。韓流のメロドラマも宜しいが、新しい中国映画にもっと注目すべきだ。小屋も新宿の三流館でフェスティバルの間の限定公開だ。
10月6日より「中国映画の全貌2012」の一作品として新宿K’s cinemaにて上映される。
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