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8.15 光復節

광복절
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韓国の独立記念日
8月15日といえば日本では終戦記念日。この日は戦争による犠牲者の慰霊をしますが、韓国にとっては独立記念日になります。韓国では、1945年8月15日に日本の植民地支配から解放され、大韓民国政府が樹立されました。これを記念して1949年10月1日に制定された法律に基づき、毎年8月15日を国の祝日としました。光を取り戻した日、また失った国権を回復したという意味で「光復節(クァンボッチョル」と呼ばれています。
光復節の記念行事
この日は大統領が参席する天安(チョナン)独立記念館の式典をはじめとして、小学生の作文大会や絵描き大会、写真公募展など全国で行事が行なわれます。当日は、街のいたるところに韓国の国旗である太極旗が掲げられ、全国の家庭に太極旗を掲揚するよう奨励しています。ソウル都心のソウル広場でも特設舞台が設置され、歌手のコンサート、万歳三唱などの行事が行われます。また、光化門(クァンファムン)から世宗路まで、歴史展示やパレードなどもみどころの一つとなっています。
記念式典では、光復の喜びを歌った「光復節の歌」を歌います。鄭寅普(チョン・インモ)作詞・尹龍河(ユン・ヨンハ)作曲で、希望にあふれた明るいメロディーで独立の喜びや、長い苦難と逆境にもめげなかった不屈の精神を歌い上げたものとなっています。
人気アイドルグループが歌う光復節ソング
伝説のカリスマアイドルグループH.O.T.(エイチオーティー)は、歌の内容が社会的であることが知られています。4枚目のアルバムに収録されている「8・15 韓国光復節(第2の独立のために)」は、リーダーのムン・ヒジュンが作詞作曲。僕たちの先人の血と涙を決して忘れてはいけない、と力強いメッセージソングになっています。
H.O.T. : No. 4
光復節にいたるまで
1895年頃から日本の干渉を受けてきた韓国は、日清・日露戦争に勝利した日本により、1910年8月29日併合されました。朝鮮は、朝鮮総督府(朝鮮を統治するために設置された官庁)の統治下に置かれ、36年間日本による植民地支配が続きました。第二次大戦中は、朝鮮人の日本人への同化がより求められ、神社参拝や日本語使用の強制、名前を日本式に変える創氏改名などにより人々は民族としての誇りを傷つけられました。そのような状況の中、朝鮮半島の各地で朝鮮の人々の、独立を目指した地下活動は活発となり、上海に臨時政府が樹立、抗日闘争が続きました。1945年7月、ポツダム会談で韓国の独立が認められ、同年8月15日、日本の敗戦と同時に韓国は解放を迎えました。
ソウル市庁前で万歳を叫ぶ群集たち
(西大門刑務所記念館展示室より)
重要な歴史の場所でもあるコリアハウス
南山(ナムサン)のふもとにたたずむ「コリアハウス」。現在は韓国の伝統文化に触れることができる複合文化施設となっていますが、統治時代は政務総監(朝鮮総督府の下に置かれた行政機関で行政・立法・司法の実務を担当)の官邸でした。1945年8月15日の朝、正午に行なわれる「玉音放送」後に起きる事態の収拾策について、政務総監と独立運動家、呂運亨(ロ・ウンヒョン)が話し合いを持ったと言われています。
光復節特赦って?
日本でも大きな社会変化や事情変更があった場合(戦後の沖縄返還や皇室の慶弔などが挙げられる)を理由に刑罰を軽減する制度がありますが、韓国では、大統領の権限で刑の執行を免除する特別赦免制度があります。中でも光復節を祝って行なわれる光復節特赦は社会的関心も大きく、大統領による光復節特赦有無がニュースで大きく取り上げられます。過去には企業家や政治家、軽犯罪者らが数十万人、百万人単位で対象になったことも。光復節の翌日には、飲酒運転等で免許取り消しになっていた特赦対象者が運転試験場に殺到するそうです。
この光復節特赦をテーマした2002年公開のコメディ映画「ジェイル・ブレーカー(光復節特赦)」では、ベテラン俳優ソル・ギョングとチャ・スンウォンが熱演。脱獄に成功したものの、光復節特赦の対象になったことを知り、正々堂々と出所するために再び刑務所に戻ろうとする受刑者のお話。韓国社会の一部を垣間見ることができる作品です。
ジェイル・ブレーカー ▶
光復節、その後
しかしながら、8.15の解放は、ただちに韓国に独立をもたらしてはくれませんでした。光復を迎えた朝鮮民族の課題は、自主的な独立国家を建設することでしたが、アメリカ、ロシアは韓国を援助するというよりも、各自が自国に有利な国家を建設しようとしました。その結果朝鮮半島は分断され、38度線が引かれました。1950年に朝鮮戦争が起こりましたが解決とはならず、8.15光復節以後、南北の平和統一が朝鮮民族の課題として残っています。
朝鮮戦争の休戦協定が締結された板門店
光復節の韓国は危険?
8月15日が近づくと韓国内メディアは日本との歴史問題をとりあげ、刺激的な報道をすることがありますが、実際には市民たちは祝日としてレジャーを楽しんだりのんびり過ごすのがほとんど。もちろんこの日に合わせてデモが行なわれることもありますが、日本人に危害を与えるということはありません。ただそういう場所には安易に近づかないほうが無難です。記念行事なども、その日を忘れないで記憶しておこうという趣旨で開かれることが多く、若い世代に正しく伝えるためのものとなっています。いたずらに危険視する必要はありませんが、日韓両国の歴史を振り返り、今後の関係についてあらためて考えてみるのもいいかもしれません。

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掲載日:06.08.14   最終更新日:12.08.03
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