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戦没者を静かに追悼する8月が、歴史をめぐるかまびすしい論争の季節になったのは、いつからだろうか。
かつては日本の首相による靖国神社参拝が、近隣諸国の批判を呼んだ。終戦から67年のこの夏、今度は隣国から新たな火種が投げ入れられた。
「独島(トクト=日本名・竹島)は私たちの領土であり、命をかけ守らねばならない」
韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が、日本と領有権争いのある竹島に大統領として初めて上陸したのは先週のことだ。
きのうはさらに天皇訪韓の可能性に触れ、「独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るなら来なさいと(日本側に)言った」と語った。
大統領の行動や発言の真意は不明だ。
韓国併合や旧日本軍の慰安婦問題をめぐり、韓国内には根強い対日批判がある。日本の植民地支配からの解放を祝う15日の「光復節」を前に、そうした世論に火をつけようとしているとしたら危険このうえない。
■外を向く不満の矛先
東シナ海には、別の火種もある。日本と中国が角を突き合わせる尖閣諸島だ。中国の監視船が繰り返し日本の領海に侵入し、緊張が続く。
中国も歴史には熱い。とくに抗日戦の過去を美化する愛国教育を受けた世代が、中国の大国化に自信をつけ、ナショナリズムの温度を上げている。
一見波高い東アジアだが、足元には異なる風景も広がる。
日中韓は経済的に深く結びつき、多くの観光客が互いを行き来している。韓流ドラマが日本のテレビで放映されない日はないし、日本製アニメや大衆文化は中韓に浸透している。お互いに安定した関係を必要としているのだ。
ところが、歴史や領土となると、とたんにいがみ合う。
それを加速させているのが、グローバル化の進展だ。ヒトやカネが国境を越えて行き交う時代には、競争の激化や格差の拡大を前に、一国単位の政治は限界がある。手詰まりになった政治家たちが、人々の不満の矛先を「外」に向けようとする。
国境を低くするはずのグローバル化の進展が、ナショナリズムを刺激する逆説である。
■相互依存に甘えるな
歴史には苦い先例がある。
100年前の欧州は、各国が深い相互依存の中で繁栄を享受していた。
1914年夏。オーストリア皇太子暗殺を機に、それが崩壊する。ドイツの台頭で激化した列強間の対立に大衆のナショナリズムが火をつけ、第1次世界大戦を招く。
むろん、今の東アジアの情勢と当時の欧州を同列に論じることはできない。しかし、国際社会のバランスが変わるとき、外交の誤算が招く危険は肝に銘じておく必要がある。
振り返れば、日本と近隣諸国との歴史問題は、戦後長らく封印されていた。
東西冷戦下、朝鮮半島は分断され、中国は敵対する共産主義陣営にいた。日本は対米関係を優先し、植民地支配や侵略戦争の過去を直視することを後回しにしていた。
冷戦の終わりは、この歴史問題を浮上させた。韓国では民主化が進み、共産党独裁下の中国でも、人々がもの言う言論空間が広がった。
さらに経済発展による自信が、国家意識を後押しする。
戦争から遠のくほど、直接経験のない世代にとって歴史は自国に心地よい「物語」に変容しやすい。時代が下るほど、和解は困難になる面もある。
■未来と過去の共有を
では、歴史問題にどう向き合うべきなのか。
その点で、日本を含む各国の政治指導者の責任は重い。
国内にナショナリズムの世論が高まったとき、それを沈静化させることこそ政治家の役割である。ところが、経済や文化の交流の太さにタカをくくり、無警戒になっていないか。
ましてや、政治的な思惑から世論をあおったりするのは論外である。
歴史認識の問題に、社会として取り組むことも必要だ。
歴史は、一方が正しく一方が間違っているという二元論ではとらえきれない。かといって、国家の数だけ歴史観が存在するといった相対主義に閉じこもっては、多様な人々が共存する世界は実現できない。
大事なことは、基本的な事実認識を共有しながら、相互理解を深めることである。
今日はもはや一国単独の歴史を書くことは不可能だ。他国との関係の中ではじめて自分の国の姿が見えてくる。
歴史認識を近づけることは容易ではない。長く厳しい道のりを覚悟せねばならない。
それでも、未来を共に築こうとする者たちは、過去にも共同で向かい合わねばならないのである。