と言う訳で、「会社で暴れた事 社内報編」は、何なのかもう想像できますね。
ところが提出後部門のお偉方の所でもめたのかどうか、後から「何人かに描いて貰ってそこから選ぶ。」と言う話にすりかわりました。で、案の定社内報に掲載されたのは別の絵です。それと比べると絵のデザインは別にして「カラー着色」と言う点ではずっと良い出来だったのですが(^^;。まるで三流の企業小説(苦笑)の様な話です。
この時の舞ちゃんは社内報にも載らなかったし原画も返却されなかったので、カラーの図版が失われてしまいました。こっちの方が残念(^^;。
あんな事があったので二度と社内報には描くまいと思っていた私ですが、新しい部門での依頼は快く受けました。で、描いたのが「きんぎょ注意報!」のちーちゃんか(^^;。これが平成4年の作品です。画材はFAX編の所でガルフォースシリーズを描いた時に使ったPOSCAです。社内報の年賀状には、その部門のその年の目標の様なお言葉を部門長から貰う事になっています。
ところがこれが後日波乱を呼ぶのです。
そう言う訳でこの年の社内報年賀状は辞退したのですが、ある上司が才能を埋もれさせるのは惜しい(笑)と言う事で、どうしても描く様にと強く推してくれましたので、描く事にしました。とりあえず自粛して白黒モード。エリツィンです。キャッチフレーズにはゴルバチョフの方が合いそうですが、もう失脚していましたので(^^;。画材はポスターカラーの白と黒だけを使ってます。
画材は、COPICです。今では同人の間で随分普及した画材ですが、当時は未だそれ程は出回っていませんでした。この当時の部門では本当に色々な事をやらせてもらえて、COPICもこの部門に居る時に買って貰ったのです。実にありがたい事です。COPICは会社で節目節目で活用させてもらいました。
次回は、平成3年7月から平成7年7月の間に所属した、上記の「パラダイスの様な部門」で何をしたか「お仕事編」を書きます。(平成10年1月19日)
これを掲載する時は年賀状シーズンから一週間以上ずれてしまいましたが、今回は年賀状編です。会社には「社内報」とかがあったりしますが、私の会社の社内報では、正月発行号では毎回「各部門からの年賀状」と言うのを掲載します。左は平成6年の社内報の表紙です。社内報編集部から各部門の編集委員に作成依頼が出て各部門で誰かに絵を描いて貰う訳です。社内報ですから全社に配布されます。
平成3年
平成2年秋、当時居た部門の編集委員からこの社内報の年賀状を描いて欲しいと言う依頼が来ました。もうこの頃はメール封筒編であれだけ描いたので、私がどういう絵を描くかは知れ渡っていました。そこへ依頼するのですからどんなのが描かれてくるか想像できそうなものです(^^;。と言う訳で描いたのが左のマジカル・エミ(と言うか舞ちゃん)。
平成4年
さて、平成3年は強い希望で異動が叶い、7月から新しい部門に移りました。思えばこの部門に居る頃は、私と会社の蜜月期間(笑)。上司の皆さんも私の絵に理解を示し、活躍する場を与えてくれました(この件に関しては次回)。
平成5年
平成5年正月と言えば、無印セーラームーンがラストに向かって盛り上がりを見せてる時期です。「きん注」からそのまま「セーラームーン」にはまった私は迷わずキャラとしてセーラームーンを選びました(笑)。
平成6年
セーラームーンは有名すぎました。ちーちゃんだったら単にロングヘアの女の子で見過ごされていたんですけれども。社内から批判文書が私の居る部門の部門長宛に届いたのです。社内報にキャラクターを使うなと。確かにそうなんですが、当時は社内だけに出回る物だから良いだろうと思って描いてました。後から考えればそうでもないんですが。
平成7年
一年経てばほとぼりも冷め(笑)、一般人に有名じゃなきゃ良いだろう、と言う事でレイアースの海ちゃんです。でもあんまり似てないから海ちゃんに見えませんね(泣笑)。
社内報年賀状編はこれでお終いです。平成7年7月、パラダイスの様な私の居た部門は別の部門と合併し、再編成されました。再編成後は嘗ての様な理解ある上司には恵まれていません。当然そんな部門で描く気など起きませんし、向こうもそうは思わないでしょう。平成9年版は当時の編集委員がよく知ってる人だったので「どう?」と聞かれましたが、「私が描いたらいつもの様にキャラ物になっちゃうよ。」と言う事でお断りしました。平成9年の春からは皮肉にも私が編集委員になりましたが、毛頭会社の為に描く気は無く、別の方にお願いしました。会社とは再び非生産的な関係に戻った訳です。