空の軌跡エヴァハルヒ短編集
第三十三話 2011年 バレンタイン記念LAS小説短編 バレンタイン・キッス


寒さも依然として厳しい2月の冬、教室でシンジとトウジとケンスケは声をひそめて話していた。
もちろん話題は翌日に迫ったバレンタインの事である。

「今年もセンセはぎょうさんチョコレートをもらうんやろうなあ」
「そんなあ、みんながくれるのは義理チョコばかりだよ」

トウジが冷やかすと、シンジはため息をついて否定した。

「だって僕はそんなにハンサムでもないし、頭だって良くないし、スポーツマンでも無いし……」
「いやいや、碇の演奏するチェロはかなりのもんだぞ、いつもファンの子が音楽室に聴きに来ているじゃないか」
「チェロだって下手の横好きだよ」
「お前って本当に自覚ないんだな。義理チョコの中に本命が混じっているかもって考えた事も無いのかよ」

シンジの言葉を聞いて、ケンスケとトウジが大げさにため息をついた。

「だってさ、僕は小さい頃からずっとアスカから、義理チョコしかもらった事が無いんだよ!」
「碇、声が大きい!」

うわずった声で反論したシンジの口を、ケンスケが慌てて押さえた。
同じ教室に居るアスカ達の方を見ると、シンジの発言に気が付かないようにおしゃべりを続けていた。

「ふーっ、聞こえなかったみたいやな」

トウジとケンスケとシンジは大きく息を吐き出した。
しかし、アスカ達の耳にはしっかりと聞こえていたのだ。

(……チャーンス! シンジ君はアスカの照れ隠しに気が付いて居ないわ。今年は思い切って本命をあげちゃおうかな)

マナはそんな事を思ってほくそ笑んだ。

(は、恥ずかしいけど、碇君に本命と言って渡しちゃおうかな……)

レイはそんな事を思ってモジモジしていた。

(ぎ、義理も渡した事が無いけど、勇気を出して碇君にチョコレートを渡してみようかな。初めて渡すチョコレートが本命なんて、碇君は驚いてしまうかしら)

シンジと委員会で話した事のあるマユミもそんな事を考えて顔を赤くした。

(うーん、シンちゃんは義理しかもらった事が無いと思い込んでいるなら、今年は本命だと言って渡してからかっちゃおうかしら♪)

シンジの近所のお姉さん兼担任教師のミサトもそんな事を考えてニヤニヤ笑いを浮かべていた。
しかし、アスカだけは浮かない顔をしていた。
アスカは5歳から毎年シンジにバレンタインにはチョコを欠かさずあげていた。
シンジの周りの女子はシンジとアスカが付き合っているのかと思う事もあったが、アスカがあまりに義理チョコだと言う事を強調するため、それならば自分達もとシンジにチョコをあげていた。
アスカは嫉妬心からシンジが他の女子から受け取ったチョコは全て義理なんだからと言い聞かせ、シンジもそうだと同調していた。
いつか自分の気持ちにシンジの方から気付いてくれるだろうとアスカは思ったのだが、シンジの鈍感は筋金入りだった。

「惣流さんは今年も碇君にチョコをあげるの?」
「え、ええまあ隣に住んでいる付き合いで義理だけどね」
「やっぱり、義理なんだ」
「当たり前じゃない、アタシの本命は加持先生に決まっているじゃないの!」

突然マナに尋ねられたアスカはその場の勢いでそう答えてしまった。

「そうよね、加持先生ってスポーツマンで紳士的だもんね」
「葛城先生と付き合っているのに、アスカも大変ね」

マナとヒカリに励まされて、アスカは憂鬱な気持ちになった。
アスカが体育教師の加持に熱を上げているのはクラスの生徒が誰もが知る事だった。
しかし、アスカがそう見せているのは自分のプライドがそうさせていたポーズだったのだ。
本当は加持にあげているチョコが義理でシンジにあげているチョコが本命なんて恥ずかしくて言う事が出来るわけがない。
そんな自分の態度がシンジに自分を失わせていると感じたアスカは一大決心をした。

「よしっ、今年こそシンジに本命チョコをあげて素直になるわよ!」

アスカは気合を入れて、力強い眼差しでシンジを見つめた。

「セ、センセ、惣流のやつごっつい怖い顔でこっちをにらんどるで」

そのアスカの姿を見たトウジがシンジにそう話しかけた。

「やっぱりさっきの話が聞こえちゃったのかな?」
「後で謝っていた方が良いんじゃないか」
「う、うん」

シンジはケンスケの言葉にうなずき、放課後真っ先にアスカの席へ行って謝る事にした。

「あ、あのさ……」
「ア、アタシ用事があるからっ!」

シンジが話し掛けようとすると、アスカは顔を赤くして教室から走り去ってしまった。
アスカは照れ臭くなってシンジと顔を合わせられなかったのだが、シンジとトウジは違うふうに受け取った。

「惣流のやつ、顔を赤くしてまで怒っとるんか」
「俺にはそうみえなかったけどな」

ケンスケはトウジの言葉に異議を唱えた。

「アスカをそんなに怒らせる事をしたかな?」

シンジは首をひねって考え込んでいた。

「あんな女の事なんてパーッとゲーセンで遊んで忘れてしもうたらええやん」
「うん……」

シンジはトウジの誘いに乗って、ケンスケと3人でゲームセンターに寄り道する事にした。
しかし、しばらくゲームセンターで遊んでもシンジの心は晴れず、ため息ばかり付いていた。

「何やセンセ、そんなに惣流の事が気になるんかいな」
「それなら、会って話して気持ちをスッキリさせた方がいいかもな」
「うん、アスカと話して来るよ」

シンジはトウジとケンスケに別れを告げて、大急ぎで家に戻った。
碇家と惣流家は、コンフォート17と言う分譲マンションの隣り合った部屋同士だった。
家に帰ったシンジは玄関にカバンを投げ捨て、隣の惣流家のチャイムを鳴らした。

「ごめんね、アスカってばシンジ君に会いたくないらしいの」
「そんな!」

惣流家の玄関でアスカの母親であるキョウコに止められたシンジは青い顔になった。

「少しで良いから、アスカに話をさせてください」
「それが、アスカは絶対にシンジ君を通さないでって」
「そうですか……」

キョウコにそう言われてしまっては、シンジは引き下がるしか無かった。
自分の部屋に戻ったシンジは、ベランダで繋がっているアスカの部屋の窓に厚いカーテンが下ろされているのを見てため息をついた。
何度アスカの携帯に掛けても、携帯電話の電源は切られてしまっていた。
いつでも会えると思っていたアスカに会えなくなった事に、シンジは寂しさを感じるのだった。
アスカがかたくなにシンジと会うのを拒んでいたのは、放課後に買い物をして家に帰って来てからシンジのためのチョコレートを作っていたからだった。

「ふふ、アスカってばこんなにチョコレートを作っちゃって。シンジ君が見たら、これだけで涙を流して喜んでくれるわよ?」

たくさんチョコレートが並べられたテーブルを見て、キョウコは微笑んだ。
アスカはシンジに送るチョコレートに試作品を何個も作っていたのだ。

「ママ、お台所を占領しちゃってごめんね」
「いいのよ、今日は出前にするから」

キョウコの協力も得たアスカは気合を入れてチョコレートを作り続けた。

「”I Love Shinji from Asuka"なんて、やっぱり恥ずかしい……」
「でも、ストレートに伝わって良いじゃない、もうシンジ君に誤解されたくないんでしょう?」
「うん……」

アスカはキョウコの言葉にうなずき、ホワイトチョコで”I Love Shinji from Asuka"と書いたハート形のチョコレートをシンジに贈る事に決めた。

「そうだ、加持先生にあげるチョコレートも作らないと」
「それなら、義理ってしっかり書いた方が良いんじゃないかしら?」
「でも……それってやりすぎじゃない……?」

キョウコの言葉を聞いたアスカは冷汗を浮かべながらそう答えた。
しかし、結局キョウコの助言に耳を貸してでっかく「義理」の文字が刻まれた加持宛てのチョコレートを作ったのだった。

「やっと……シンジにあげるチョコが出来た……」

アスカはかなり緊張していたのか、糸が緩むと疲れて座り込んだ。

「そうだ、箱にリボンを掛けてあげればもっと可愛らしくなるわよ」
「それは良いアイディアね……」

そう言ってリボンを買いに行こうとするアスカは、よろけて床に座り込んでしまった。

「パパに言って帰りにリボンを買ってきてもらうから、今はゆっくり休みなさい」
「ありがとう、ママ」

後をキョウコに任せてアスカは自分の部屋で休む事になった。

「ふふ、私も手作りチョコをジェイコブさんにプレゼントしようかしら……」

キョウコも夫に手作りチョコレートをプレゼントしようと台所でチョコレートを作り始めたのだった。

 

次の日、バレンタイン当日は日曜日だった。
学校でならばさりげなくシンジにチョコレートを渡せるのだが、このままではアスカに先を越されて渡されてしまう。
そう考えたシンジに思いを寄せている恋する乙女達は立ち上がった。

「霧島さん……」
「綾波さんも、もしかしてシンジ君の家に?」

コンフォート17の近くで、レイとマナはバッタリ出会ってしまった。

「やっぱり、考える事は同じみたいね」

そう言ったマナとレイは顔を見合わせて苦笑した。

「おんやあ、マナちゃんとレイちゃんじゃないの」

コンフォート17に向かって歩き出そうとしたマナとレイは後ろから担任教師のミサトに声を掛けられた。
ミサトは恥ずかしそうにうつむいているマユミを連れていた。

「山岸さん?」
「マユミちゃんたらね、シンちゃんにチョコレートを渡したいってあたしに住所を聞いて来たのよ、健気じゃない?」
((葛城先生は、面白がっているだけだと思うわ……))

レイの驚きの声にミサトは笑みを浮かべながら説明したが、マナとレイは心の中でそうツッコミを入れた。
4人は足並みをそろえてシンジの家を訪問する事になった。

「どうもユイさん、教え子達と一緒にシンジ君にチョコレートをお届に上がりました♪」

明るくおどけながらやって来たミサトをユイは相変わらずだと苦笑しながら出迎えた。
ミサトは良くゲンドウとユイの酒の相手をするので、碇家とは顔なじみだったのだ。
そして、アスカ達と一緒にシンジの家に遊びに来ているレイとマナの姿を見ると、ユイは部屋に居るシンジに声を大声で呼んだ。

「あれ、みんな遊びに来てくれたの? アスカは?」

シンジはアスカの姿が見えない事に真っ先に違和感を覚え口にした。

「さあ、私達は知らないけど? いつも一緒に居るわけじゃないし」

自分達はアスカのお供ではないと、マナが不満そうに答えた。

「とりあえず、上がってよ」
「「「お邪魔します」」」

シンジに言われて、マナ達は碇家のリビングへとあがりこんだ。
ゲンドウは追いやられるように自分の部屋へと移動した。
そして、シンジがマナ達にチョコレートを渡される姿を少しうらやましそうに見ていた。
同時にチョコレートを渡す事になってしまったマナ達3人は、冗談でも本命だと話す事が出来ず、何となく言葉を濁すような微妙な雰囲気となってしまった。

「あれって、甘すぎよね」
「私はあの甘さがいいと思うわ」
「碇君はどう思う?」
「僕は、もうちょっと甘い方が良いかな?」
「では、もう少しチョコレートも甘く味付けした方が良かったのでしょうか……」
「そんな事無いですよ、山岸さん」

マナとレイとマユミはしばらくシンジと話した後、チョコレートを置いて帰って行った。
ミサトは担任教師として、マユミを家まで送って行った。
マナ達を見送ったシンジは無表情でリビングの椅子に腰かけていた。

「どうしたのシンジ、3個もチョコレートをもらえて嬉しくないの?」
「そうだ、もっと喜べ」
「うん……」

ユイとゲンドウに言われても、シンジは生返事をするばかり。
部屋に戻ったシンジは憂鬱そうにカーテンが下がったままのアスカの部屋を眺めていた。
朝からずっとアスカの部屋のカーテンは閉ざされたままだった。
シンジはマナ達からもらった3個のチョコレートを食べたが、少しも甘く感じなかった。
重苦しさがシンジの胸を支配し、シンジはずっとベッドに横になっていた。
夕方になって日が沈み始めた頃、シンジの携帯電話にアスカからのコールが来る。

「今すぐ、近くの公園に来なさいっ!」

シンジが出るとアスカは有無を言わさずにそう言って電話を切ってしまった。
乱暴な言い方だったが、シンジはアスカに会える事を喜んで、急いで部屋を飛び出した。
コンフォート17の廊下から公園を見下ろすと、アスカが立って待っている姿が見えた。
一刻も早くアスカに会いたいシンジは息を切らせて階段を駆け下りてアスカの所へ向かった。
空が真っ赤に染まる公園で、シンジはアスカと2日振りの対面を果たした。

「ちょっと、何でアタシの顔を見て泣きそうになっているのよ!」

アスカはシンジの顔を見てそう言い放った。

「だって、毎日会っていたアスカにいきなり会えなくなるなんて思わなかったから……」
「そ、そりゃあ、悪かったわね。はい、バレンタインのチョコレート」
「あ、ありがとう」

いきなりラッピングされた箱を突き出されたシンジは戸惑いながらも受け取った。

「で、今すぐここで開けてくれない?」
「チョコレートの箱を?」
「いいから、開けなさいよ!」

アスカに迫られたシンジはチョコレートの入った箱を開封した。
中からは”I Love Shinji from Asuka"と書かれたハート形のチョコレートが出てくるはずだ。
その勢いでアスカはシンジに告白するつもりだった。

「義理って書いてあるけど?」
「な、何ですって!?」

シンジの言葉を聞くと、アスカは声が裏返るほど驚いた。
確認すると、シンジが持っているのは義理と大きく書かれた板型のチョコだった。
アスカはシンジにあげる本命チョコレートの箱と加持にあげる義理チョコレートの箱を間違えてしまったのだ。

「ありがとう、義理でももらえてうれしいよ。でも義理ってこんなに強調してくれなくてもいいのに……」

シンジは涙をこらえてアスカに微笑みかけた。

「こ、これは加持さんにあげるつもりで作ったチョコレートで……ママが散らかしたせいで間違えちゃったのよ!」
「そんな嘘まで付いて慰めてくれなくて良いよ。アスカは加持先生みたいなスポーツマンが好きなんだろう?」

アスカは慌てて言い訳をするが、シンジは諦め切った悲しそうな顔でそうつぶやいた。
仕方無くアスカは最後の手段を取る事にした。
アスカはシンジの腕を取ると、正面からシンジを抱き寄せ、瞳を閉じて唇をシンジに向かって突き出した。
いわゆるキスして体勢だ。

「アスカ、冗談はやめてよ」
「……シンジは、アタシとキスしたくないの?」

震える声でそう言うアスカの顔は赤く染まっているようにシンジには見えた。
シンジは自分の唇をゆっくりとアスカに重ねた……。

「アタシのチョコレート、とっても甘かったでしょう?」

アスカはシンジから唇を離すと、シンジにそう尋ねた。

「えっ、まだ食べて無いけど?」

シンジは不思議そうに自分の手に持ったチョコレートを見て答えた。
アスカが黙って自分の唇を指差すと、シンジは顔を真っ赤に染める。

「うん、大人の味もしたよ」

シンジが答えると、アスカは耳まで顔を真っ赤に染める。

「こ、これは夕陽のせいなんだからね!」
「う、うん……わかったよ」
「さあ、暗くなって来たから帰りましょ」

シンジはアスカに差し出された手を握った。

「それとシンジ、アタシが告白したんだからもっと自分に自信を持ちなさいよ」
「そう言われても……」
「スポーツマンではなくても、シンジは加持さんより良い所がたくさんあるわ。アタシはそれを知っているんだから」
「例えば?」
「そうね、チェロが上手く弾けるとか……」
「他には?」
「はあ〜っ、アタシに全部聞かないと分からないの?」
「ごめん。でも、何か少し自信が出て来たよ」

アスカとシンジは手をつないで仲良く話しながらコンフォート17の建物の中へと入って行った……。



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