締切り済みの質問
数年前の事ですが、亭主を亡くしたばかりの婦人のところに、いくつもの宗教団体から勧誘がありました。
その婦人は、地域の顔役の様な人で、非常に交際の広い人だったので、ずいぶん何人もの人が、勧誘に訪れました。
そして結局その婦人は、勧誘に来てくれた10近い、全ての宗教団体に、入会してしまいました。
身近な人だったので、複数の宗教に入信というのは、おかしいのではないか、と詰問すると、「みんな、私のために、私を思って、来てくれたのだから、お断りできない。」というのです。
それはそれで、確かに一つの理屈ではありました。
毎日のように訪れる、先輩会員に倣って、手のひらを胸の前で合わせたり、握った手を上下に振ったり、頭に手をかざしたり、お経かなにか分かりませんが、ゴニョゴニョ言ってたりしました。
身近な彼女が、非常に遠い人に見えました。
彼女は、本当に入信したと言えるのでしょうか?
また、彼女の様な例は、外にもあるものでしょうか?
投稿日時 - 2009-08-02 01:54:53
0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
>彼女は、本当に入信したと言えるのでしょうか?
彼女自身が、それでも本当に入信していると変わらなければ、彼女にとっては、本当に入信していることになるでしょう。
宗教団体側がそれでも本当に入信していることであれば、それでも本当に入信していることになるでしょう。
また、他人から見たらそれでも、本当に入信していることに変わりないと思う人は、本当に入信していると思うでしょう。
宗教というものは、科学的に証明され尽くしたものでなく、その哲学性や結果論、可能性により信じてみようと思うものだと思います。
あるいは、自己実現、自己目標実現のため環境で、
そこで自己実現や事故目標実現のためにあるかと思います。
または、社会的体裁や社会的都合上、特定の環境下において、入った方が何かとことが上手く運ぶというために入っている人もいるかと思います。
何が言いたいかといえば、入信する目的や意味は人それぞれだと思います。それを他人の価値観でどうこう言っていいものか考えるところです。
>身近な彼女が、非常に遠い人に見えました。
質問者さんがどう捉えたかは解りませんが、根が定まらない、八方美人的な生き方になんか、幻滅したのではないかと思います。
私の偏見かもしれませんが、日本という国、特に都市部において、世間に考えた場合、特定の宗教に入るということは、人生や生活の軸心的なものにすることであり、宗教の人生観が生活に現れることなので、いくつもの宗教に入ることは、理解し難いと思います。
投稿日時 - 2009-08-02 02:11:41
お礼
回答ありがとうございます。
あなたのお話は もっともで 分かりやすいのですが
その人が 身近な人で できれば理解し合っていたほうが良い
はずの関係なのです。
しかし 分かりやすく教えていただき ありがとうございます。
投稿日時 - 2009-08-04 03:48:17
彼女にとっての旦那さんを失った後の自分の人生の見出し方、離別の意味づけ方が必要だった。
そういう部分ではご自身が選択した部分も勿論ある。
ただ客観的に見たら、冷静な判断は難しい。
それに何かに縋りたくなる条件は整ってる。
尚且つ自分の為を思う気持ちを成り立たせる為の選択としての入信。
勿論形としてはその宗教に関わる誓いを立てた事は確か。
ただ複数のモノにそれぞれ関わる時点で、それはある意味彼女側の整理の問題であってね。これからそういう宗教と共に歩むかどうかは分からないと。ただ、今の過渡期はそういう形で自分を一人にしない人たちの支えも感じながら生きていこう位の気持ちだったのかもしれませんよね。深くは入り込んでないと思います。
今をどう生きるかという意味で少し足元が不安定な時にそういう形での自己再生もありなのかもしれないという気持ち。
貴方が感じてた身近な彼女の部分はおそらく失われていないと思いますよ。今は当時とは違う関わり方になっている可能性も高いですしね☆
投稿日時 - 2009-08-02 02:03:25
お礼
ありがとうございます。
もやもや 見え隠れしていたものが 明るくなり 何か見えたような気がしました。
得心しました。
あなたの言う事が全てではないと思いますが 彼女の心持ちの 大半は そのようであったのかと、思いを新たにいたしました。
感謝申し上げます。
投稿日時 - 2009-08-02 15:32:53
OKWaveのオススメ
おすすめリンク