足利事件

 

自分の人生を返してもらいたい

 

 

東京高検は09年6月4日、女児の衣服に残った体液のDNA型が菅家受刑者の型と不一致だったとする再鑑定結果を検察側が受け入れ、再審開始を容認する意見書を東京高裁に提出した。これで、受刑者の再審が始まることが決定的となり、90年5月12日の事件発生から19年余り、再審で無罪となる公算が強くなった。

検察側はあわせて、菅家受刑者について刑の執行を停止(刑事訴訟法442条は「再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる」と規定。刑の執行を継続する理由がないと検察官が判断した場合、再審請求に対する裁判所の結果を待たず、執行停止〔釈放〕できることを定めている)する異例の方針を決定、菅家さんは、同日午後3時48分、00年12月7日の最高裁判決の確定以後9年、91年12月2日に逮捕されてから、17年半ぶりに千葉刑務所から釈放された。なお、再審開始決定前の受刑者に検察当局が釈放を認めた前例はない。

 

渡辺次席検事は意見書について「少なくとも2つの新鑑定のうち1つが刑事訴訟法の定める『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』に該当することは争わない」と説明。そのうえで「再審の開始については裁判所でしかるべく決定されたい。(菅家さんについては)検察官において刑の執行停止手続きを取ることとする」と述べた。

 

東京高検意見書骨子

 1.被害者の下着から抽出されたDNAと申立人(菅家利和さん)のDNAは鑑定で「型の多くが異なり、同一の人に由来しない」とされた。

 1.鑑定が再審開始の要件である無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する蓋然性(がいぜんせい=ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い。確からしさ。これを数量化したものが確率)は高い。

 1.再審開始は、裁判所でしかるべく決定されたい。

 1.刑の執行を停止する手続きを取る。

 

再審請求審では、検察側と弁護側がそれぞれ推薦した鑑定人2人が、どちらも「DNA型が一致しない」とする鑑定結果を出した。検察側は刑の執行は停止したものの、弁護側が推薦した本田克也・筑波大教授(法医学)の鑑定については「信用性に欠ける」と主張している。本田教授は「釈放は大変結構なことだ。しかし、なぜこのタイミングなのか。20ページ余りの鑑定書を読んで結論を出すのに、なぜ1カ月もかかるのか全く納得がいかない」と批判した。

渋川孝夫弁護士は「良かったのひとことだ。検察にも良識があったのかと思う。ただ、本当なら、再鑑定の結果が出た時点で釈放すべきだった」と、また、佐藤博史弁護士は「誠に一方的で唐突な釈放。17年半も自由を奪った人に対し、自らの責任の重さを自覚しない行動だと思う」と語った。

 

菅家さんは、獄中に17年余り。「間違えたでは絶対にすむことではない。刑事、検事たちは絶対許せない気持ちで過ごしてきた。1審の宇都宮地裁は当時のDNA鑑定のことはまったく分かっていないのにどうして有罪にしたのか分かりません」と捜査・裁判の双方に疑問を投げかけたうえで、「自分の人生を返してもらいたい」と語った。菅家さんの両親は逮捕後、無罪を見届けることなく亡くなった。菅家さんは、「両親のお墓参りがしたい」と無念さをにじませた。

 

警察庁の吉村博人長官は同日の定例記者会見で「厳粛に重く受け止める」「高裁の審理など今後の推移を見ながら検察庁とも連絡を取り、適切に対処していく」などと述べた。また、菅家さんの自白の経緯について同長官は「遺体発見現場での鑑識活動や収集した証拠の鑑定、被害者の関係者からの事情聴取や住民の聞き込みなど多角的捜査から逮捕し、自供も得られたと聞いている」と説明したうえで、「控訴審では捜査員による自白誘導や押しつけはなかったと判断されている」とし、「結果として物証が異なり(菅家さんが)容疑者であるか疑問が生じた」と話した。

 

 

 

釈放された菅家利和さん(62歳)

 

90年5月12日、栃木県足利(あしかが)のパチンコ店駐車場で、保育園の女児(真美ちゃん)=当時(4つ)=が、父親がパチンコをしているあいだに行方不明になり、午後8時ごろ、父親は女児いないことに気づき、9時45分頃に栃木県警足利署に届け出、翌日近くの渡良瀬川河川敷で遺体が全裸で発見され、川の中からごく微量の体液(精液)の付着した女児のTシャツが回収された事件足利事件周辺地図

 

  

死体発見現場付近

 

当時足利では、79年と84年にも、同様の幼女殺害事件が発生していたが、いずれも未解決だったため、栃木県警は、3つの事件は同一犯による警察への挑戦だとみなし、警察の威信(メンツ)をかけて総力を挙げた捜査(1年で延べ36000人の捜査員を動員)を展開したが、半年過ぎても手掛かりがつかめなかった。

 

注1;79年8月3日、当時5歳の幼稚園児の女児(万弥ちゃん)が、自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうち行方不明、同月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めにされた全裸遺棄体が発見される。菅家受刑者が犯行自供するが、物証不十分で不起訴処分となる。

注2.84年11月17日、当時5歳の幼稚園児の女児(有美ちゃん)がパチンコ店「大宇宙」から行方不明、2年後の86年3月8日、自宅から2.4Km離れた足利市大久保町の市立大久保小学校東側畑で白骨死体で発見される。菅家受刑者が犯行自供するが、物証不十分で不起訴となる。

 

足利市で起きた3幼女殺害事件

 

被害者

失跡状況

遺体発見

死因

福島万弥ちゃん(当時5歳)

1979年 8月 3日(金)正午ごろ、自宅近くの神社境内

1979年8月 9日失跡場所から約1キロの渡良瀬川河原

行方不明直後に絞殺、窒息死

長谷部有美ちゃん(当時5歳)旭幼稚園児

1984年11月17日(土)午後5時過ぎ、パチンコ店

1986年3月 8日失跡場所から約2.4キロの畑の土中

行方不明直後窒息死?

松田真実ちゃん(当時4歳)竜泉寺保育園児

1990年 5月12日(土)午後7時ごろ、パチンコ店駐車場

1990年5月13日失跡場所から約500メートルの渡良瀬川河原

連れ去られた30分後に絞殺、窒息死

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そうしたなか、足利市内に住む元幼稚園バス運転手の菅家利和(すがやとしかず)受刑者が、足利署の周辺聞き込みなどで容疑者として浮上する。それは、アダルトビデオを多数所有していること(家宅捜査の結果、ロリコン物ビデオは全くなかった)と、聞き込みの刑事に対して話した職場の経営者の「そういえば子供を見る目つきが怪しかった」などという言葉であった。

 

以後、受刑者は、警察により犯人として目星をつけられ、90年12月から1年間毎日尾行されることになる。

 

91年6月23日朝、身を潜めていた捜査員たちは、借家から出た菅家利和受刑者の右手には白色のビニール袋が握られていた。捜査員は、ごみ捨て場に置かれたのを確認すると、菅家利和受刑者の姿が見えなくなるのを待って、袋を採取、中には空き缶や紙くずのほか、体液の付いたティッシュペーパーが入っていた。これが実用化間もなかったDNA鑑定を行う端緒となった。

 

尾行された1年の間、幼女に対する声かけなど、怪しい行為はいっさいなかったと、後に尾行した刑事が法廷で証言しているが、足利署は、91年12月、女児の泥だらけの半袖下着に付いた体液(精液)と受刑者(当時45歳)の2つのDNA型が一致し、犯行を認めたとして逮捕した。

 

だが、当時の鑑定(足利事件での鑑定が行われた91年までに実施されたDNA鑑定は64件。08年は年間3万件を超えている)は技術的に不完全で、いくつかの問題点があった。1つはDNAが一致する確率。現在より精度は明らかに低かったことである。DNA鑑定の多くは血液型のような「型」で識別する方法だが、当時の鑑定で特定できる確率は160人に1人ぐらいだったといわれる(なお、科警研〔科学警察研究所=警察庁の附属機関として科学捜査、犯罪防止、交通事故防止等に関して、広範囲にわたる業務を行っている〕は91年8月、被害女児の着衣に付着していた体液のDNA型を「94人に1人」を識別できる精度の方式で鑑定を実施し、さらに血液型が判明していたため、精度が高まり「1000人に1.2人」を識別できる計算だったという)。したがって、犯人と同じ型の人間は、足利市の男性だけでも数百人に上る計算になる。

 

注3.DNA鑑定とは、ヒトの細胞内のDNA(デオキシリボ核酸)に存在する個人的特徴を、個人識別や親子関係の判断に利用すること。多くの疾患には遺伝的要素があり、DNA検査から疾患を予防する試みもある。

 

注4.警察によるDNA研究所(科警研)が89年に始め、3年後に全国の警察で導入。今では年間約3万件の事件で実施されている。裁判では91年、水戸地裁下妻支部で審理された連続婦女暴行事件の公判で初めて鑑定結果が証拠採用されており、足利事件の最高裁判決は、DNA鑑定の証拠能力を認めた初のケースだった。当初は識別の精度は乏しく、捜査でも補助的な役割だったが、現在は「4兆7000億人に1人」の確率で識別できる。また当時は、測定器具の不備もあったとされ、科警研も論文でこれを認めており、92年以降はこの器具を使用していない。

 

2つ目は誤差が大きく、正しい型判定ができなかったことである。それゆえ、警察庁も、DNA型判定の物差しとなるマーカーに狂いがあったことを認め、使用を中止、その後のDNA判定はやり方を変えたのである。現に、弁護団が独自に菅家受刑者の毛髪を鑑定した結果は、真犯人の型と一致しなかった。

 

同受刑者は任意の調べを受けた当初、容疑を否認していたが、DNA型が一致していることを取り調べで指摘された後に認める供述を始めたが、1審の公判途中で二転三転、最終的に否認に転じた。

 

同受刑者は、続けて79年と84年の女児殺害も自白、県警は「市民を恐怖に陥れた幼女連続殺害事件の全面解決」を発表、マスコミも「執念の捜査が実を結んだ」と大々的に報じた(93年2月26日、2事件については証拠不十分で不起訴が決定)

 

しかし、1審を担当した弁護士は、DNA鑑定を絶対視して、「罪を認めて情状酌量を勝ち取る」弁護方針をとり、検察側証拠をほとんど全部認めたことから、宇都宮地裁は93年7月7日、DNA型鑑定は「専門知識と技術を持った者が適切な方法で行っており、証拠能力を認めることができる」と認定、自白についても「捜査員の強制や誘導をうかがわせる事情はない」と信用性を認め、無期懲役の判決、96年5月9日、東京高裁も、DNA型鑑定について、「より優れた手法が開発される余地はあるが、手段、方法は一定の信頼性があり、妥当だ」として証拠能力を肯定、また、「自白は信用できる」として、控訴を棄却した。

 

00年7月17日、最高裁大2小法廷(亀山継夫裁判長)は5人の裁判官全員一致で、DNA鑑定について「(DNA型鑑定の)原理は理論的に正確で、科学的に信頼される方法で行われており、これを証拠として用いた判断は相当」として、DNA型鑑定の証拠価値を初めて認めたうえで、「科学技術の発展で、新たに解明された事項なども加味して慎重に検討されるべきだが、このDNA鑑定を証拠として用いることが許される」として上告を棄却、1審の無期懲役が確定した。

 

 

わいせつ誘拐・殺人・死体遺棄被告事件

最高裁判所第2小法廷平成8年(あ)第861号

200(平成12)年7月17日決定

被告人 菅家利和
原審 東京高等裁判所 判決;1996
(平成8)年5月9日

 

主   文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中1200日を本刑に算入する。

 

理   由

 

 弁護人佐藤博史外6名の上告趣意のうち、憲法37条3項違反をいう点は、記録を精査しても、1審弁護人の弁護活動が被告人の権利保護に欠ける点があったものとは認められないから、前提を欠き、その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 所論にかんがみ、職権で判断する。

 記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない。なお、本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等も加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。

 よって,刑訴法414条、386条1項3号、平成7年法律第91号による改正前の刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 

 

裁判長裁判官 亀山継夫 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷玄

 

 

02年12月20日、日本弁護士連合が足利事件再審支援を決定、ただちに再審弁護団結成され、同年12月25日、弁護団は再審請求書を宇都宮地裁へ提出、受理された。

 

弁護側は「当時はDNA鑑定の黎明(れいめい=新しい事柄が始まろうとすること)期。格段に精度が高くなった現在の技術で再鑑定すべきだ」と主張して再審を請求。弁護側は、菅家受刑者の毛髪を取り寄せて、最新技術で鑑定し、有罪の根拠となったDNA型と異なる結果を示した新証拠を提出し、「当時の鑑定は間違っており、独自鑑定ではDNA型が一致しない」などと主張、また、確定判決では、菅家受刑者はしゃがんで、正面から女児の首を絞めて殺害したとされていたが、鈴木庸夫山形大名誉教授は、顔面に砂が付いていたことや、女児の鼻や口に付いた白色の泡沫などから、生きたまま水につけられたとみられる所見から、後ろから片手で女児の首をつかみ、顔を浅瀬に押し付けて首を絞めたとの、殺害方法が違うとする鑑定結果をだしていた。

 

だが、08年2月13日、宇都宮地裁池本寿美子は、弁護側の女児の下着に付いた体液と受刑者とのDNA型が一致しないとする主張や、殺害方法と自白の内容とが矛盾するとした鑑定結果について、「それぞれの立証命題と関連する旧証拠の証明力を減殺させるものではないから、いずれも明白性を欠くといわざるを得ない」として、これを棄却する。

 

 

決定要旨

 

主文

本件再審請求を棄却する。

 

理由の要旨

1.証拠の新規性

  弁護人提出の証拠のうち、文献等の一部については新規性を認めることができないが、その余の提出証拠については新規性を肯定することができる。

2.証拠の明白性

 (1) 本件DNA型鑑定に関する新証拠

    検査対象資料の来歴に関する裏付けのない押田報告書にあっては、その証拠価値は極めて乏しい。

    高山報告書が分析の対象とした各赤色点の中心位置は、各バンドの最高濃度点の厳密に正確な位置とは到底いえないものであって、これらの位置の座標数値を前提に数値計算をしている高山報告書の証明力は乏しい。

   押田報告書及び高山報告書の証明力はいずれも乏しく、本件DNA型鑑定書の証拠力を何ら滅殺させるものではない。

 (2) 請求人の自白に関する新証拠

  ア 鈴木鑑定

    泡沫液の量、形状、色調からは、泡沫液が肺水腫または溺水のいずれに由来するものであるのか明確に区別することは結局のところ困難というべきで、本件で被害者に多量かつ微細な白色泡沫液が見られたとし、これを直ちに溺水に由来するものであるとする鈴木鑑定の推論は、法医学上十分な合理的根拠を伴うものということはできない。

 被害者の肺にパルタウフ氏斑が認められるかについての鈴木及び村井の各供述は、パルタウフ氏斑と見ることができるという程度のものにすぎない。

被害者に多量の白色細小泡沫液が観察されたことや被害者の肺重量等をもって、被害者が溺水を吸引したと推論することは十分な根拠を伴うものとはいえない。したがって、溺水の関与になじむ片手による扼頸であるとする鈴木鑑定は、十分な合理性を有するものとはいえない。

 また、鈴木鑑定における死亡推定時刻は、被害者の胃内容物の状態と明らかに矛盾するものであって、到底採用することができない。

 鈴木鑑定の結論はいずれも採用することができず、死因等に関する確定判決の認定に合理的な疑いを抱かせるものではない。

 イ 村井鑑定

村井鑑定が溺水関与の根拠として挙げたパルタウフ氏斑及び肺の過膨張の所見については、これを認めることができず、泡沫液の存在だけでは溺水関与を認める根拠となし得ないから、溺水関与を肯定する村井鑑定の結論を採用することはできない。

請求人の自白内容と死体所見が合致しないとする村井鑑定の結論もにわかに採用することができず、確定判決の認定に合理的な疑いを抱かせるものとはいえない。

3) 結論

弁護人提出の各新証拠(前記で検討した以外の弁護人提出証拠を含む。)は、それぞれの立証命題と関連する旧証拠の証明力を滅殺させるものではないから、いずれも明白性を欠くといわざるを得ない。

 

 

日本弁護士連合会(日弁連)は、同日、以下の会長声明を発表した。

 

 

宇都宮地方裁判所は、本日、1990(平成2)年に栃木県足利市で発生した幼女誘拐殺人事件、いわゆる「足利事件」において、請求人菅家利和氏の再審請求を棄却した。請求人は無期懲役に処せられ、現在、千葉刑務所で服役中である。

本件は、同年5月12日午後6時ころ、栃木県足利市内のパチンコ店付近で行方不明となった幼女(当時4才)が、翌13日、渡良瀬川河川敷において、遺体で発見された事件である。犯人とされた請求人は、事件発生の翌1991(平成3)年12月、同人のDNA型が、幼女の衣類に付着していた精子のDNA型と一致するとの科警研のDNA鑑定を理由に逮捕・起訴された。一審の宇都宮地裁は請求人に対して無期懲役の有罪判決を言い渡し、二審の東京高裁も控訴を棄却し、第一審判決は、2000(平成12)年7月12日、最高裁の上告棄却決定により確定した。

本件において、請求人が有罪であることを裏付ける直接証拠は、請求人の自白を除けば、上記のDNA鑑定しかない。上記の最高裁決定は、初めてDNA鑑定の証拠能力を認めたものとされているが、このDNA鑑定は極めて初期の方式に基づいて行われたものであり、DNA型判定のものさしとなるマーカーに狂いがあったことが判明して現在は使用中止になっているなど、その正確性自体に大きな疑念がもたれている。

当連合会は、2002(平成14)年12月に請求人が再審請求を申し立てたのと同時に、人権擁護委員会内に足利事件委員会を設置し、本件を支援し続けてきたところである。

しかしながら、裁判所は、単純に正面から両手を首で締め付けて殺害したという確定判決が認定した殺害方法とは異なり、後ろから首を押さえつけて被害者の顔を水につけた殺害方法である等の内容の鑑定意見書を作成した法医学者二名を証人として取り調べ、両名は鑑定意見書のとおりの証言をしたにもかかわらず、新たな証拠によっても請求人の自白にある殺害方法の根幹となっている部分の信用性を否定するに足るものではないなどとして、再審請求を棄却した。

犯人のものとされる精液付着の下着の保全を決定したにもかかわらず、「足利事件」における最大の争点であり、請求人自身も望んでいるDNA型の再鑑定を実施することなく、再審請求棄却の結論に至った裁判所の判断は、請求人の主張に対して真摯に答えようとしない極めて不当なものというほかない。

このような再審請求棄却決定に対し、請求人は、直ちに即時抗告を行うことを決めた。

当連合会は、請求人の無実の声に応えるため、今後も東京高等裁判所で行われる「足利事件」の即時抗告審を引き続き支援することを表明するものである。

2008年(平成20年)2月13日

 

 

弁護団は、2月18日東京高裁に即時抗告(裁判上、迅速に確定されることが必要な決定について、期間を定めて認められる不服申し立ての方法)、同高裁の田中康郎裁判長(現・札幌高裁長官)が08年12月、再鑑定の実施を決めた(裁判所が命じた再鑑定はこれが国内初)

 

09年4月20日、即時抗告審で、東京高裁が嘱託した(検察側、弁護側双方が推薦した鑑定人2人の)鑑定医(人)が、栃木県下野市(しもつけし)の自治医大で、冷凍保存されていた園児の半袖下着を切断、試料として受け取り作業に着手、同時に同月、鑑定人らは菅家受刑者が収監されている千葉刑務所で、菅家受刑者の血液と口腔粘膜を採取したのち、最新の鑑定方法でDNA型の再鑑定の結果、いずれも園児の真犯人が残したとされる遺留物(体液〔精液〕)と同受刑者のDNA型が一致しなかった。同高裁は09年5月8日、弁護側と検察側の双方にこの鑑定書を交付した。6月来月12日の審理で、双方が意見を述べる。

 

鑑定医は検察側推薦の鈴木広一(こういち)・大阪医科大教授(法医学)と弁護側推薦の本田克也・筑波大教授(同)。鈴木教授は遺留体液から抽出したDNA型と菅家受刑者のDNA型を比較したところ、同一人物であれば一致するはずの塩基配列の繰り返し部分が、常染色体(性染色体以外の染色体)で16個のうち14個で異なり、性染色体でも16個中12個が一致しなかった。このため「DNA型の多くが異なり同一の人に由来しない」と結論づけた。本田教授も性染色体の繰り返し部分の一致が8個中3個にとどまることなどから「同一人物に由来する可能性はあり得ないと言っても過言ではない」としている。

 

「予想をはるかに超える結果。当時の鑑定を批判した2つの鑑定書からは科学者としての憤りや良心を感じた」「無実を訴える人のために、常に再鑑定できる仕組みを保障してもらいたい」と、鑑定書を受け取り記者会見に臨んだ佐藤博史弁護士の目に涙をためて声を震わせた(09年05月08日付『毎日新聞』)

 

さらに、佐藤弁護士は「当時の鑑定が完全に誤りで、菅家さんが真犯人ではないことが明らかになった。すぐに再審を開始すべきだ」と述べた上で、捜査当局や裁判所を「当時の鑑定技術は証拠に使えるほどの水準になかった。それでも証拠として採用したことを反省すべきだ」と非難、弁護側は捜査段階の鑑定を疑問視して97年、最高裁に対して再鑑定を申し立てたが退けられたことに敷衍し、「事件はすでに時効が成立した。最高裁が再鑑定しなかったことで、真犯人を追及する機会を逸した」と声を荒らげ、検察側に「鑑定結果を素直に受け止めるのか。今後の対応が問われる」と注文を付けた(09年05月09日付『産経新聞』)

 

千葉刑務所で弁護団から鑑定書を見せられた菅家受刑者は「じーんときて涙が出た。一日も早く再審を開始してもらい、両親の墓参りがしたい」と語った(09年05月08日付『毎日新聞』)

 

佐藤弁護士らが日本大医学部の押田茂実教授(法医学)を訪ね、再鑑定を依頼したのは97年。同教授は当初、「結果は同じ。やめたほうがいい」と固辞したが、弁護団から鑑定の画像を見せられ思い直した。元々精度が低い測定方法なのに、読み間違いが起きそうな部分の画像が不鮮明だった。「やってみる価値はある」。刑務所で服役している菅家受刑者の毛髪を封筒に入れて郵送させ鑑定した。結果は4本とも科学警察研究所の結果と異なるものだった。弁護団は、上告審の補充証拠として、さらに02年の宇都宮地裁への再審請求で、この押田鑑定を証拠提出したが、いずれも実質的に検討されることはなかった。押田教授は「裁判所が早く再鑑定していれば、15年の公訴時効(足利事件は05年)前に真犯人を見つけ出せたかもしれない」と憤る(09年05月08日付『毎日新聞』)

 

弁護団は09年5月11日、DNA型再鑑定で菅家受刑者のDNA型と女児の下着に付着した体液が一致しなかったことを受けて、来週初めにも東京高検に対し菅家受刑者を釈放するよう申し立てる方針を明らかにした。弁護団は「再鑑定の結果、菅家さんが犯人でないことが科学的に明らかになった。刑務所で服役する理由はない」としている。

 

また、DNA再鑑定で、女児の下着のシャツからは菅家受刑者とは別人のDNA型が8か所で検出されていたことが、関係者の話でわかった。検体は2人の鑑定人が分け、それぞれの検体は同一のDNA型と判明。2人が担当した検体のDNA型も互いに似ていた。検体の位置から犯人以外の体液とは考えにくく、再審開始の可能性がさらに高まった。女児のシャツにはもともと、背中側の中央部分からすその部分にかけ、精液が縦に7か所付着していた。付着個所の中心部分は捜査段階の鑑定で切り取られ、穴が開いた状態になっていた。再鑑定では、検察、弁護側双方が推薦した2人の学者が、穴の周囲を左右に分けて検体を採取した。検察側推薦の学者による鑑定では、シャツの背中側の中央やすその部分など計3か所、弁護側推薦の学者による鑑定でも計5か所から、菅家受刑者とは別のDNA型が検出された。検察側鑑定では3か所ともDNA型が同一、弁護側鑑定の5か所も同一だった。2人の鑑定方法が違うため、両鑑定で検出されたDNA型が完全に一致するかどうかまでは分からないが、特徴は合致しているという。しかも、これらのDNAが検出されたのは、もともと精液が付着していた部分の近く。検察側は、捜査員らの汗や唾液(だえき)がシャツに付着し、検出された可能性もあるとしているが、場所から言っても、数か所で検出されていることから言っても、誤って付着したものとは考えにくく、犯人のものである可能性が高まっている。東京高裁は検察、弁護側双方に対し、6月12日までに鑑定結果に対する意見書を提出するよう求めている。弁護側は「今回検出されたDNA型が真犯人のものだ」として、菅家受刑者を釈放するよう東京高検に求める意向を明らかにしている。これに対し検察側は、当時の捜査員らのDNA型と、今回検出されたDNA型との照合作業を行う方向で検討している(09年05月14日付『読売新聞』)

 

DNA再鑑定で女児の着衣に付いた体液と菅家受刑者のDNA型が一致しなかったことを受け東京高検など捜査当局は、当時事件にかかわった栃木県警の捜査員らのDNA鑑定を実施し、着衣のDNA型と照合する方針を固めた。着衣に犯人以外の汗などが混じっていた可能性もあるため、再鑑定の信用性を検証することが目的だ。東京高裁は08年12月、検察側と弁護側双方推薦の鑑定医2人にDNA再鑑定を依頼。8日に出そろった二つの鑑定書はいずれも「同一人物ではない」と指摘し、捜査段階で行われ裁判で有力な証拠となった当初のDNA鑑定を否定した。再鑑定は、当初の鑑定で警察庁科学警察研究所が切り取った着衣の周辺部分を、2人の鑑定医に切り分けて実施された。捜査員が触れるなどして付いた汗や唾液(だえき)が混じる可能性も指摘されたため、弁護側推薦の鑑定医は着衣に浸透した試料を絞り出すように抽出して鑑定。着衣の表面数カ所からも試料を採取して鑑定したが、いずれも菅家受刑者とは異なる同一のDNA型と判定されたという。捜査幹部は「DNA型が本当に犯人のものか確認する必要がある」と話す。退職した捜査員も多いとみられ、難航が予想される(09年05月13日付『毎日新聞』)

 

なお、全国の再審請求で、DNA鑑定によって無罪が証明されたケースはこれまで一例もない(66年に静岡市で発生した一家4人強盗殺人事件(袴田〔はかまだ〕事件)の再審請求では犯行現場のみそタンクの中から発見された衣類の血液を、事件から約30年後DNA鑑定しようとしたが「鑑定不能」だった。アメリカでは最新のDNA鑑定の結果、約200件の再審無罪判決が出されている)

 

弁護団は、09年5月16日、支援者ら約130人とともに現場の調査をした。DNA型鑑定とともに有罪の決め手とされた菅家受刑者の自白の信用性を検証するのが狙い。女児が行方不明になったパチンコ店駐車場や、菅家受刑者が犯行後に立ち寄ったとされるスーパーなどを見て回った。犯行時刻とされる午7時ごろには、遺体が見つかった渡良瀬川の河川敷を懐中電灯を手に歩いた。佐藤博史弁護士は「こんなに薄暗く、足場の悪い状況では、自白通りに女児を連れていくのは不可能」と指摘。「DNA型の再鑑定で菅家さんの無実が分かっただけでなく、真犯人のDNA型も判明した。警察と検察は捜査が間違っていたことを認めるべきだ」と訴えた。現地調査は17日も行われた(09年05月17日付『東京新聞』)

 

弁護団は09年5月19日、「検察官は再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる」と定めた刑事訴訟法442条に基づいて、菅家受刑者の刑の執行を停止し、釈放するよう求める申立書を東京高検提出した。弁護側は申立書で、「再鑑定で菅家受刑者が犯人でないことは明白だ」と主張するとともに、再審開始の見込みが明らかなのに刑の執行停止をしないことは裁量の逸脱だとする判決例を指摘した。弁護団によると、申立書を受け取った大野重国・東京高検公判部長らは「「鑑定書を精査中であり、要請には公正に対処する」と話したという。なお、東京高検は弁護側推薦の鑑定医の鑑定について「女性のDNA型が含まれている」とし、詳しいデータの提出を求める上申書を12日付で東京高裁に提出している。さらに、当時の捜査員らのDNA型を調査し、汗などの混入の有無を確認する方針(09年05月19日付『毎日新聞』)

 

日本弁護士連合会の宮崎誠会長は09年5月22日、東京高裁のDNA再鑑定結果を受け、菅家利和受刑者について「冤罪は明白」としたうえで、裁判所に再審開始、検察に刑の執行停止(釈放)を求める談話を発表した。

 

 

足利事件DNA鑑定書開示に関する日弁連会長談話

 

本年5月8日、東京高等裁判所は、当連合会が支援する足利事件について、弁護側推薦、検察側推薦の鑑定人のいずれも、被害者の半袖下着の精液痕に由来するDNA型と請求人の菅家利和氏のDNA型は一致しないとするDNA再鑑定書を弁護団に交付した。

DNA鑑定で不一致という結果となれば、アリバイの成立と同様、直ちに冤罪が証明される。本件における鑑定人両名の結論は、18年の間に極めて進歩した最新の技術や高い精度を持つDNA鑑定の結果に基づくものであり、菅家氏の冤罪は明白となったというべきである。したがって、当連合会は、裁判所に対し、速やかな再審開始決定を求めると同時に、検察官に対し、DNA再鑑定の結論を受け容れ、速やかに、刑事訴訟法第442条但書に基づき菅家氏の刑の執行を停止し、再審公判へ移行することを求める。

また、本件は、冤罪者であっても自白に至ってしまうという現実を改めて明白にしたものであり、取調べの全面可視化の要請は一層強まったというべきである。当連合会は、今後とも、自白の任意性、信用性の審査が正しく機能するよう、取調べの全面可視化を訴えていく。

今回の再鑑定の結果は、DNA鑑定が犯人の検挙だけではなく、冤罪者を救済する大きな武器になることも示している。当連合会は、2007年12月21日に「警察庁DNAデータベースシステムに関する意見書」を採択し、そこにおいて、冤罪を訴える者がDNAデータベースへアクセスする権利の保障を提言した。今後は、条件が整う限り、冤罪を訴える者のDNA鑑定の実施を保障する法制度の定立が急務であると考え、その実現に努力する。

 

2009年(平成21年)5月22日

日本弁護士連合会 会長 宮ア 誠

 

 

弁護団は09年6月1日、検察側が無期懲役刑の執行を停止しないのは不当だとして、宇都宮地裁に異議を申し立てた。なお、申し立ては刑事訴訟法502条に基づいており、刑の執行に関して検察官の下した処分を不当とするときは、刑を言い渡した裁判所へ異議申し立てをすることができるとされている。

 

弁護団は6月3日、事件当時のDNA鑑定資料の開示などを求めた上申書を、東京高裁に提出した。再審請求の即時抗告審で、東京高裁が有罪の根拠となったDNA鑑定の再鑑定を行った結果、犯人とされる体液と菅家受刑者のDNA型は一致しなかった。結果を受け東京高検は、犯人以外のDNAを再鑑定した可能性があるとして、当時の捜査員や被害女児の母親のDNAを採取し、照合作業を進めている。これに対し、弁護側は検察官の作業などに関する情報開示を求めて、高裁に上申書を提出。(1)DNAを採取している捜査員の範囲やその結果(2)被害女児の母親からDNAの提供を求めた経緯(3)有罪の根拠となった当時の鑑定に関する全資料−などを求めた。弁護側は「当時の鑑定は根本的な欠陥があった。なぜ捜査が誤ったのかを検証するため、当時の全資料を明らかにする必要がある」と主張している(09年06月04日付『下野新聞』)

 

東京高検は09年6月4日、女児の衣服に残った体液のDNA型が菅家受刑者の型と不一致だったとする再鑑定結果を検察側が受け入れ、再審開始を容認する意見書を東京高裁に提出した。これで、受刑者の再審が始まることが決定的となり、再審で無罪となる公算が強くなった。検察側はあわせて、菅家受刑者について刑の執行を停止(刑事訴訟法442条は「再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる」と規定。刑の執行を継続する理由がないと検察官が判断した場合、再審請求に対する裁判所の結果を待たず、執行停止〔釈放〕できることを定めている)する異例の方針を決定、菅家さんは、同日午後3時45分ごろ、最高裁判決の確定以後9年、逮捕から17年半ぶりに千葉刑務所から釈放された。なお、再審開始決定前の受刑者に検察当局が釈放を認めた前例はない。

 

当時の県警刑事部長(75)は「無罪が確定したわけではない。問題はこれから。法律に基づいて妥当な捜査をし、自供も得ている。(菅家さんが)やったと信じている」と話した。また、当時の足利署長(75)は「残念だ。当時は手を尽くしてやったが、どういう捜査が足りなかったのか」と語った(09年06月04日付『下野新聞』)

 

最高検は同日、足利事件について次長検事を筆頭に最高検の検事数人によるチームで、捜査段階から公判までの全過程を調査すると発表した。

 

同日、日弁連は、菅家利和氏(足利事件)の釈放にあたっての会長談話」を出した。

 

 

菅家利和氏(足利事件)の釈放にあたって(会長談話)

本日、足利事件再審請求人の菅家利和氏は釈放され自由の身となった。

東京高等検察庁は、本件DNA再鑑定の鑑定結果が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する蓋然性が高いので、本件再審の開始については、裁判所において、しかるべく決定されたい」とする意見書を東京高等裁判所に提出し、宇都宮地方検察庁検察官が、無期懲役刑で千葉刑務所に服役中であった菅家氏の刑の執行を停止した。

当連合会は、かねてから菅家氏の無実を信じ、再審開始に向けた支援の活動を行ってきたものであり、本年5月22日の会長談話において、検察官に対し、DNA再鑑定の結論を受け容れ、菅家氏の刑の執行を停止することを求めていたところである。

検察官が再審開始を容認し、菅家氏の身柄を解放したことについては高く評価する。

当連合会は、東京高等裁判所が速やかに再審開始決定を行い、菅家氏が完全無罪判決を勝ち取るまで、引き続きあらゆる支援を惜しまないことをここに表明する。

なお、本件は、冤罪者であっても容易に自白に至る現実を改めて明白にしたものであり、取調べの全面可視化の要請は一層強まったというべきである。

2009(平成21)年6月4日

日本弁護士連合会
会長 宮ア 誠

 

 

 

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09年05月10日付『愛媛新聞』−「地軸」=科学捜査の不安

 

人間の不安は科学の発展から来る。進んでとどまる事を知らない科学は、かつてわれわれにとどまる事を許してくれた事がない―「行人」夏目漱石。

とどまれないのは科学の恩恵が大きすぎるからだ。いまや司法の世界も科学捜査がものをいう。体細胞DNAの塩基配列から個人を識別する鑑定法は物証が乏しい犯罪の立証で重宝される。難事件解決に貢献しているのも事実だ。
 科学の発展は不安と警鐘を突きつける。19年前に栃木県で女児が殺害された足利事件。最新方法で鑑定をやり直したところ、犯人のものとみられる体液と、受刑者のDNA型が一致しなかった。再審の扉が開きそうだ。

当時は警察がDNA鑑定を導入したばかり。1000人に1人を特定できる程度の精度だったとされる。が、人間は「科学的」の言葉に弱い。捜査側が万能を錯覚しても不思議ではない。鑑定結果が示威的に利用される限り冤罪(えんざい)の危機はある。

1990年代の鑑定を疑問視する声は多い。福岡県で女児2人が誘拐、殺害された飯塚事件は、DNA以外の物証が乏しく自白もなかった。無罪を訴え再審請求を準備していたが、昨秋に死刑が執行されてしまった。

いまの高精度の鑑定法なら4兆7000億人に一人の確率で特定できるという。できるだけ再鑑定を進めて真実と向き合うときではないか。科学の発展はとどまる英断を求めている。

 

09年05月10日付『信濃毎日新聞』−「社説」=足利事件 速やかに再審開始を

 

1990年、栃木県足利市で女児が殺害された「足利事件」の再審請求で、有力な物証とされた当時のDNA鑑定の結果が、最新の鑑定によって覆された。

最高裁が無期懲役とした判決の根拠が大きく揺らいでいる。菅家利和受刑者は逮捕されてから17年余り拘禁されている。司法は再審開始を急ぐべきである。

菅家受刑者は、女児のシャツに付着していた体液とDNA型が一致したことを根拠に逮捕され、公判では自白やDNA鑑定の信用性が争点となった。最高裁で刑が確定した後も、弁護側は再審を請求。東京高裁が再鑑定を行い、「不一致」と確認された。

この結果は捜査手法と司法判断の問題点を浮き彫りにした。

1つは、初期のDNA鑑定が十分な精度ではない、という認識が足りなかったことだ。鑑定を実施したのは91年、警察が導入して3年目だった。本人と分かる確率は「1000人に1・2人」とされたが、器具にも問題があり、誤差が大きかったという。

ところが最高裁は2000年、上告審で「科学的に信頼できる方法」と、初めて鑑定の証拠能力を認め、お墨付きを与えている。

もう1つは、捜査が自白に頼りすぎて、ずさんになった可能性である。菅家受刑者は一審の途中で否認に転じている。手記では「刑事たちが怖くなり、もういいやと思った」と自白の経緯を説明している。

自白を強要して冤罪(えんざい)を招いた例は6年前、鹿児島県の公選法違反事件でも起きた。

菅家受刑者は、別の2件の女児殺害事件でも疑いをかけられ、不起訴になっている。警察は証拠が乏しいのに、強引に捜査を進めたのではないか。いずれの事件も時効が成立している。真相を究明できなかったことが悔やまれる。

捜査の基本は、多面的な証拠の積み重ねである。捜査当局にも裁判所にも、科学鑑定を絶対視する傾向がなかったか。今度の再鑑定の結果を謙虚に受け止め、検証する必要がある。

今のDNA鑑定は飛躍的に精度が向上し、「4兆7000億人に1人」の確率で個人をほぼ特定できるという。米国では有罪確定後に、鑑定で無実と判明する事例が相次いでいる。

今回、初期の鑑定に疑念が生じたことで、ほかにも再鑑定を求める再審請求が出てくることが予想される。検察には、疑いがあれば過去の事件でも進んで調べ直す姿勢を期待したい。

 

09年05月10日付『新潟日報』=足利事件 科学鑑定に「絶対」はない

 

科学鑑定を万能視するような判断は、冤罪(えんざい)を生む危険をはらむ。

「足利事件」のDNA再鑑定結果は、こうした教訓を示したものだ。捜査の手法や裁判所の判断に慎重さを欠いてはいなかったか、徹底的な再検証を求めたい。

栃木県足利市で1990年に女児が殺害された事件の再審請求抗告審で、受刑者と、女児の着衣に付着していた体液のDNA型が異なるとの再鑑定結果が明らかになった。2人の鑑定医が異なる方法で鑑定し、東京高裁が検察側と弁護側に結果を伝えた。

捜査段階による鑑定では、DNA型は一致していた。しかし、今回の結果はこれを覆した。新たな証拠が出てきた以上、東京高裁が再審開始を決定する公算は大きい。

足利事件は物証に乏しく、このためDNA鑑定が証拠として重視された。ただ、この方法を警察庁が導入したのは事件の1年前にすぎない。

現在の進歩した鑑定に比べて、当時の精度は非常に低かった。証拠能力があるのかについては、法医学者から懸念が出ていたという。

これまでの公判で、弁護団側は捜査段階の鑑定結果は信頼できないものだとして無罪を訴えてきた。独自に鑑定した結果、異なる型が出たことも上告審で主張した。

だが、最高裁は2000年、弁護側の訴えを退け、捜査段階でのDNA鑑定に証拠能力があるとの初判断を下した。新たな鑑定結果は、最高裁の鑑定技術に対する判断が誤っていたということになる。

最高裁が当時の鑑定をもっと入念に審理する必要があったのではないか。鑑定技術は進歩し、精度が高まっていることを知らなかったのだろうか。

「DNA鑑定はまだ信頼できる段階にない」と、裁判官が認識していれば、事態は異なっていたかもしれない。再鑑定までにこれほど時間がかかることもなかっただろう。

捜査にも問題がなかったか。弁護団によると、受刑者は警察官から「DNA型で一致した」と迫られ、否認しても無駄だと思ったという。
 DNA鑑定が自白を引き出す手段に使われた可能性がある。再審が始まれば、こうした点についても厳しく問うていくべきだ。

今回の再鑑定がほかの事件にも影響を及ぼすのは必至だ。足利事件と同様に、古いDNA鑑定を証拠として有罪判決が下された事件はほかにある。疑いがあれば、最新の技術を使って調べ直すべきだ。

科学鑑定に絶対はない。その精度を確かめる必要がある。このことを司法や捜査当局は重く受け止めてほしい。

 

09年05月10日付『南日本新聞』−「社説」=[DNA鑑定不一致なら再審開始を

 

犯罪捜査で有力な決め手となる「動かぬ証拠」が、実は信頼に足りないものだったとしたら、有罪判決は根底から覆る可能性がある。4歳の女児が殺害された足利事件のDNA鑑定を見直した結果のことである。

1990年に発生したこの事件では、当時の捜査で採用され始めたばかりのDNA鑑定が自白を引き出す決定打となり、殺人罪などに問われた被告の無期懲役が確定した。

警察庁の科学警察研究所が行ったDNA鑑定では、女児の衣服に残っていた体液と、被告のDNAが一致した。被告は一審の途中から否認に転じたが、最高裁も鑑定結果を「科学的に信頼される方法」として初めてその証拠能力を認めた。裁判所が最先端の科学技術の威力を信じて疑わなかったのはやむを得まい。

これ以降、DNA鑑定が犯罪捜査で本格的に導入され、初年に48件だった鑑定は08年には3万件を超すほど飛躍的に増えた。鑑定の精度が年々向上し、いまや真犯人を突き止める重要な手がかりになっているのは評価していい。

ところが、ここに来て、足利事件のころに警察庁が導入した初期のDNA鑑定は、技術的に確立されていなかったことが露呈した。

足利事件の再審請求の即時抗告審で、東京高裁が検察側、弁護側の推薦した鑑定人に再鑑定を依頼したところ、いずれも「不一致」の結果が出た。女児の衣服に付いていた体液が被告のものでないということは、真犯人が別にいることになる。

現在のDNA鑑定では、4兆7000億人に1人を識別できるまで精度が高まっており、今回の再鑑定で出た「不一致」の結果は十分信頼に足りうる。自白の決め手となったDNA鑑定が否定されたとなると、自白の任意性、信ぴょう性まで疑わしい。東京高裁が再審開始を決定する公算は大きくなった。

再審開始には「新たに発見され、確定判決の事実認定に合理的疑いを抱かせる証拠が必要」との最高裁決定がある。着衣の体液が作為的なものとは考えられず、再審開始の条件を満たすとみるのが妥当だ。高裁は再審開始を決定すべきである。

足利事件同様、初期のDNA鑑定が決め手になって有罪に持ち込んだ事件にも目を向ける必要がある。飯塚事件のようにDNA型が一致して死刑になったケースもある。冤罪(えんざい)を防ぐ意味からもDNA鑑定の見直しを急がなければならない。

 

09年05月11日付『東京新聞』−「社説」=DNA再鑑定 積極活用で冤罪なくせ

 

1990年の「足利事件」は再審開始の公算が大きくなった。遺留物と受刑者のDNA型が不一致という再鑑定が出たからだ。「科学的」とされた当時のDNA型鑑定は信頼が大きく揺らいでいる。

栃木県足利市で保育園女児が殺害され、県警は91年、女児の服に付いていた体液のDNA型が一致したとして、元バス運転手の男(62)を逮捕した。1審は無期懲役とし、2審も支持。最高裁が2000年にDNA型鑑定の結果を証拠能力として初めて認め、有罪判決が確定した。

男は無実を訴えて再審請求し、宇都宮地裁が棄却したため東京高裁に即時抗告した。高裁は昨年、弁護側、検察側双方が推薦した法医学者2人に再鑑定を依頼した。

女児の下着に残っていた検体と男のDNA型が一致するかどうか調べたところ、どちら側の鑑定でも一致しなかったという。

検体から検出のDNA型が捜査員のものである可能性も排除できないというが、両鑑定とも男のものでなかった結果は極めて重い。

確定判決は鑑定だけでなく、自白なども考慮している。ただ、2審判決は「鑑定結果を告げて供述を求めた。秘密の暴露がない」と指摘した。有罪の柱は当時の鑑定であり、その信用性を覆す再鑑定が異なる立場からそれぞれ出た以上、再審は開始されるべきだ。

検察側鑑定人は「当時、刑事司法に適用する科学技術としては標準化が達成されていなかった」と述べ、精度の低さを指摘した。

弁護団は「同じDNA型の男性は足利市周辺で700人」という。刑事事件の証拠で採用するには時期尚早だったのではないか。

現在の検査法は格段に進歩し、4兆7000億人に1人の確率で個人識別できる。07年には約2万1200の事件で鑑定が導入され、遺留物や容疑者のDNA型記録のデータベース化も進んでいる。

DNA型鑑定は捜査段階では容疑者を犯人と特定するとともに嫌疑を晴らす役割も担っている。

鑑定が有罪根拠となった過去のほかの事件についてあらためて鑑定した場合、DNA型が一致しないケースは起こり得るのではないか。

米国では死刑囚や懲役囚にDNA型鑑定を受ける権利を認める法律が成立し、すでに200人以上が再審で無罪となったという。

冤罪(えんざい)をなくすには再鑑定の制度化も考えなくてはならない。再鑑定の信頼度を保つためには、遺留物保管の厳格化も求められる。

 

09年05月11日付『毎日新聞』−「余録」=DNA鑑定

 

高名な医学者でもあった推理作家の故・由良三郎さんは、同業の科学知識の誤りを題材に、多くのエッセーをものした。ヒトのDNAから犯人を特定できるとした88年出版の海外作品を取り上げた一文は「まだ未来話」と評したうえで、10年もたてば犯罪捜査の最強兵器になると予言している。

91年の単行本化で、長い注釈が加筆された。DNA鑑定が急速に実用化され、事件解決に役立った例を挙げて「推理作家の顎(あご)が干上がると言ったのも冗談でなくなる」と結んでいる(「ミステリーを科学したら」文芸春秋社)

90年5月、栃木県足利市で4歳の女児が殺害された事件は、ちょうど過渡期に起きている。元運転手の男性が遺留物とのDNA型一致を決め手として逮捕され、公判途中で自白を翻したが、無期懲役刑が確定した。これがDNA鑑定の本格導入を後押しした。

その再審請求に基づく最新の鑑定で、DNA型不一致という決定的な結果が出た。事件当時、別人が一致する確率は1000人に1.2人で、鑑定精度はまだ低かった。肉眼判定を誤った可能性もある。科学を過信して捜査の目が曇らなかったか。疑念が募る。

同時期の事件で、無実を訴えながらDNA鑑定を証拠に死刑が確定、執行された例もある。適切に活用すれば、過去の冤罪(えんざい)を晴らす有効な手段にもなる。証拠物の冷凍保存や再鑑定を制度化することも欠かせまい。

電子機器による現在の鑑定精度は、4兆7000億人に1人まで向上した。これから始まる裁判員裁判でも幅広く採用されよう。真実のささやきを聞き逃すことがないよう、市民みんなが科学の効用と限界を肝に銘じておきたい。

 

09年05月11日付『熊本日日新聞』−「社説」=足利事件 私たちはなにを学ぶべきか

 

裁判員制度のスタートを目前にして私たちはまた一つ、忘れてはならない教訓を得ることになりそうだ。
 1990年、栃木県足利市で当時4歳の保育園女児を誘拐、殺害したとして殺人罪などに問われ、無期懲役が確定した菅家利和[すがやとしかず]受刑者
(62)の再審請求で東京高裁は、女児の着衣に付着していた体液と、菅家受刑者のDNA型が一致しなかったとの再鑑定結果を関係者に伝えた。
 弁護団によると、再審請求中の事件でDNA再鑑定が行われたのは初めて。再鑑定は東京高裁が職権で行った。検察側、弁護側それぞれが推薦した鑑定人が異なる方法で分析した結果、いずれも不一致の結果だったという。確定判決が有罪の有力な証拠としていたのが、捜査段階の鑑定によるDNA型一致。再鑑定はこれを根底から覆すもので、再審開始の公算が大きくなった。
 私たちはこれまで何度となく、誤った捜査と誤った裁判によって起きる冤罪[えんざい]事件をみてきたが、足利事件の特徴は、DNA鑑定という先進的な科学手法そのものが問題になっていることだ。最高裁は2000年、この事件でDNA鑑定の証拠能力を初めて認定して、無罪を主張する菅家受刑者の上告を棄却した。ところが今回は、その鑑定が完全に否定されたことになる。
 最初の鑑定が実施されたのは1991年、捜査に導入されて3年目のことだった。今回の再鑑定結果は、当時の鑑定の証明力について、もっと入念に検討する必要があったことを示すものだろう。科学的とされる証拠を過度に信頼することへの戒めとしたい。
 DNA鑑定が、捜査の過程で自白の強要に使われていることも問題だ。DNA型が一致したことを菅家受刑者に告げて、供述を引き出したとされるからだ。強い疑問を抱かせる捜査手法である。
 免田事件をはじめ、冤罪事件には冤罪であることを知らせるサインがあるものだ。足利事件でも、一審公判の途中から菅家受刑者は否認に転じて無罪主張を始めている。なぜその時、じっくり耳を傾けなかったのか。捜査から一審公判途中までの心境を菅家受刑者は「刑事から『おまえがやったんだ。ちゃんと証拠があるんだ』と言われた。おかしいと思ったが刑事たちが怖くなり、もういいやと思った」と説明している。
 犯行をやってもいない人がなぜ自白するかについて、疑問を持つ人も多いことだろう。しかしこれまでの冤罪事件をみれば、証拠とされる自白調書は、捜査側が書いたものを密室で容疑者に認めさせたケースがほとんどである。
 裁判所の責任も大きい。再審請求を認めてこなかったことで、結果的ではあるが、時効を完成させてしまった。
 刑事訴訟法は再審開始要件を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した時」とする。裁判所は再鑑定結果を受け、速やかに再審を開始し、審理をやり直すべきだ。
 誤判は二つの問題を生む。一つは罪もない人に罪を着せること、もう一つは真犯人を逃がしてしまうことだ。こんなことを繰り返すような社会であってはならない。

 

09年05月11日付『京都新聞』−「社説」=足利事件  「再審」迫る再鑑定結果

 

栃木県足利市で1990年、女児が誘拐、殺害された「足利事件」で、確定判決が有力な証拠と認めた当時のDNA鑑定の結果が覆された。

再鑑定は犯人が別人である可能性を客観的な事実で突きつけており、最高裁が無期懲役とした「決め手」が大きく揺らぐこととなった。東京高裁は再審を開始すべきだ。

菅家利和受刑者は91年、女児の着衣に付着していた体液のDNA型と一致したことを根拠に逮捕された。捜査段階で犯行を自白、1審途中で無罪主張に転じたが、2000年に無期懲役の判決が最高裁で確定。弁護側は再審を請求し、東京高裁が08年12月に再鑑定の実施を決定した。

再鑑定では検察側、弁護団が推薦した鑑定人2人が異なる方法で分析。着衣に付着した体液と菅家受刑者のDNA型は、いずれも一致しなかった。

今回の鑑定で、結果が翻った背景には、著しい技術進歩がある。

現在のDNA鑑定で、個人を識別できる確率は「4兆7000億人に1人」とされる。ところが、菅家受刑者が逮捕された1991年は鑑定が捜査に導入されたばかりで「1000人に1・2人」という低い精度。当時から識別の正確性などを疑問視する声があった。この方式は既に使用禁止になっている。

にもかかわらず、最高裁は2000年、上告審で「科学的に信頼できる」とDNA鑑定の証拠能力を認定、初めて「お墨付き」を与えてしまう。

確定判決では、「自白」の信用性も有罪を導く根拠とされた。ただ、2審判決が「捜査員が逮捕前、DNA鑑定の結果を告げて供述を求めた」と指摘するように、鑑定は菅家受刑者から自白を引き出す決定打にもなった。

再鑑定の信用性が認められ、当初の鑑定結果が否定されれば、自白そのものの信用性も危うくなる。

十分に確立されていない科学鑑定を万能視した捜査の在り方や裁判所の有罪認定を検証する必要があろう。

また、導入初期のDNA鑑定が決定的な証拠となった事件については、再鑑定も検討すべきではないか。

21日に始まる裁判員制度では、公判立証に「分かりやすさ」が求められ、DNA鑑定などの科学鑑定がより重要視されることになる。精度の高い鑑定でなければ裁判員の心証を誤った方向に導きかねず、冤罪(えんざい)を生む可能性をはらむ。

米国ではDNA鑑定が冤罪防止に使われている。懲役刑の確定者に鑑定を受ける権利を認めた04年以降、200人以上が再審で無罪となった。
冤罪防止のためには、取り調べの全過程を録音・録画する「可視化」も必要だ。科学鑑定に頼るのではなく、ほかの物証とも合わせたより綿密な捜査が求められるのは言うまでもない。

 

09年05月13日付『朝日新聞』−「天声人語」

 

東京の築地にある小社の近くに「指紋研究発祥の地」という石碑がある。宣教師として明治の初めに来日した英国人医師ヘンリー・フォールズの居宅の跡だ。彼はあるとき、土器についていた縄文人の指の跡を見て、ひらめきを得る。

指紋から人を特定できるのではないか――。

研究を進め、母国の科学誌「ネイチャー」に論文を送った。それがのちに、犯罪捜査に欠かせない指紋鑑定の源流になったとされる。フォールズ自身も探偵はだしに、病院の器具の指紋から盗人を探し出したことがあったそうだ。

指紋が20世紀の捜査の主役なら、いまはDNA型鑑定だろうか。その精度は折り紙つきの印象がある。だが栃木県で90年に起きた女児殺害事件で、無期懲役刑になった受刑者をめぐり、鑑定に重大な疑問が生じている。 

逮捕の決め手になったDNA型を改めて鑑定すると、遺留物とは不一致という結果が出た。有罪の大きな根拠が崩れ、別の犯人の可能性が強まったことになる。再審の扉が開く公算が大きいそうだ。

事件の頃は、まだ1000人に1.2人を識別できる精度だった。今は4兆7千億人に1人という。世界の人口は67億人だから決定的ともいえる。罪が濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)なら、DNAで奈落に落とされDNAに救われるという、むごい皮肉になる。

フォールズの論文から来年で130年がたつ。科学捜査は悪を逃さぬ「天の網」として進歩してきたが、結果をもとに裁くのは昔も今も人である。裁判員制度への秒読みを聞きながら、「取り返しのつかぬもの」の重みを思ってみる

 

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足利事件の経過

 

1990(平成2)年5月12日

栃木県足利市のパチンコ店駐車場で保育園の女児=当時(4つ)=が行方不明

13日

足利市の渡良瀬川河川敷で女児の全裸遺体発見。川の中から女児のTシャツを回収

1991(平成3)年 6月

栃木県警、菅家利和受刑者のゴミ袋から体液の付いたティッシュペーパーを押収

11月

警察庁科学警察研究所(科捜研)の鑑定で女児のTシャツと菅家受刑者のごみ袋から得た体液のDNAが「一致」

12月1日

早朝、県警が菅家受刑者を逮捕状もなく、足利警察署へ連行、同日夜中まで取り調べられる。DNA鑑定を突き付けられ、夜半に自白。同日付朝日毎日読売の3紙が、朝刊の全国版に大きく「DNA鑑定一致。容疑者事情聴取」と先行報道。地元紙の下野新聞や、東京新聞、産経新聞等には情報がなく掲載されず。続いて79年と84年の女児殺害も自白、県警は「市民を恐怖に陥れた幼女連続殺害事件の全面解決」を発表、マスコミも「執念の捜査が実を結んだ」と大々的に報じる=⇒93年2月物証不足で不起訴決定

2日

県警、未明に菅家受刑者を殺人と死体遺棄で逮捕。

24日

菅家受刑者を79年の「万弥ちゃん殺害」で再逮捕

1992(平成4)年 2月

宇都宮地裁の初公判で菅家受刑者が起訴事実を認める

12月

菅家受刑者、第6回が公判で否認に転じ無罪主張。第7回公判でいったん認めるが、その後、再び否認(二転三転するが、最終的に否認)

1993(平成5)年 7月 7日

宇都宮地裁久保眞人裁判長、DNA鑑定について「一致する確率は100人あたり1.2人の頻度でしかないが、これまでの鑑定でも、誤りや、問題は生じていない」とした上で、「自らの性欲を満たすために幼児を殺害した犯行の動機は常軌を逸したもの」と求刑通り無期懲役の判決=⇒控訴

1996(平成8)年 5月 9日

東京高裁高木俊夫裁判長、「DNA鑑定の証拠能力に問題はなく、自白も信用できる」と控訴棄却=⇒上告

1997(平成9)年10月

弁護側が女児の着衣に付いた体液と菅家受刑者のDNA型が一致しない疑いがあるとする日本大学押田茂実教授(法医学)の鑑定を証拠として最高裁に提出

2000(平成10)年12月 7日

最高裁2小法廷亀山継夫裁判長、DNA鑑定の証拠能力を初認定した上で、上告棄却。無期懲役確定

2000(平成10)年12月20日

日本弁護士連合が足利事件再審支援を決定

2002(平成14)年12月

菅家受刑者が宇都宮地裁に再審請求。弁護側がDNA型に関する鑑定書などを新証拠として提出

2008(平成20)年 2月13日

宇都宮地裁、「それぞれの立証命題と関連する旧証拠の証明力を減殺させるものではないから、いずれも明白性を欠くといわざるを得ない」として再審請求を棄却=⇒2月18日東京高裁に即時抗告

2008(平成20)年 2月13日

日本弁護士連合会(日弁連)、会長声明を発表

12月

高裁が国内初となるDNA鑑定の再実施を決定

2009(平成21)年 1月

DNA再鑑定開始。弁護側・検察側双方が推薦した2人の鑑定人に鑑定依頼

5月 8日

高裁が再鑑定結果を弁護側、検察側に伝える。弁護側記者会見で2人の鑑定人の「いずれもが不一致」とした鑑定結果を公表

5月19日

弁護側、刑の執行を停止し釈放するよう東京高検に申し入れ

6月 4日

検察側、刑の執行を停止。午後3時48分、00年12月7日の最高裁判決の確定以後9年、91年12月2日に逮捕されてから17年半ぶりに千葉刑務所から釈放

 

  

1991年12月01日付『朝日新聞』=重要参考人を近く聴取 毛髪の遺伝子ほぼ一致 足利市の保育園児殺し(東京朝刊31面) 

 

 栃木県足利市内の保育園児、松田真実ちゃん(当時4つ)が昨年5月に誘拐され絞殺された事件で、栃木県警足利署の捜査本部は30日までに、同市内の無職男性(45)が事件に深くかかわっていた疑いを強め、近く、この男性を重要参考人として足利署に呼び、事情を聴く。同市周辺では同様の幼女誘拐殺人事件が過去12年間に3件発生し、解決していない。捜査本部はこれら3件の事件についても、この男性との関連を重視している。
 捜査本部の調べによると、真実ちゃんは昨年5月12日夕、父親
(34)に連れられて足利市伊勢南町のパチンコ店に行き、駐車場で遊んでいるところを目撃されたあと行方不明になった。翌13日午前、500メートルほど離れた渡良瀬川河川敷で絞殺死体で発見された。
 その後の捜査で、真実ちゃんが行方不明になって間もなく、駐車場から約50メートル離れた渡良瀬川河川敷の土手付近で、真実ちゃんと見られる幼児の手を引く中年の男性が目撃されていることが分かった。同本部はこの中年男性を事件とかかわりが深いと見て調べていたが同市内の男性が浮上し、約1年にわたって周辺捜査を続けてきた。
 これまでの調べで、現場に残された真実ちゃんの衣服に付着していた、犯人の物と見られる毛髪などを遺伝子鑑定
(DNA鑑定)した結果、この男性の遺伝子とほぼ一致した。
 遺留品の毛髪などがわずかしか残っていなかったが、遺伝子のパターンがこの男性のものと一致する確率はかなり高いという。また、これら遺留品から判明した血液型
(B型)とも一致した。
 足利市内では1979年に福島万弥ちゃん
(当時5つ)、84年に長谷部有美ちゃん(当時5つ)、また隣接した群馬県新田郡尾島町では87年に小学2年生の大沢朋子ちゃん(当時8つ)が、それぞれ誘拐されて殺されているが、3件とも未解決だ。
 真実ちゃん事件を含め4つの事件は、失跡場所や死体遺棄現場が近いうえ、殺害の手口がよく似ている。

 

1991年12月01日付『毎日新聞』=元運転手、きょうにも聴取 現場残存資料、DNA鑑定で一致−−松田真実ちゃん殺害(東京朝刊27面)

 

 栃木県足利市の渡良瀬川河原で昨年5月、同市山川町に住んでいたパチンコ店従業員、松田俊二さんの長女で保育園児、真実(まみ)ちゃん(当時4歳)が殺されて見つかった事件で、同県警足利署捜査本部は30日までに、身辺捜査していた同市内の元運転手(45)の体液と遺体発見現場に残されていた資料をDNA(デオキシリボ核酸)鑑定で照合したところ「一致する」との鑑定結果を得た。このため捜査本部は1日朝にも元運転手に任意同行を求め、事件との関連について事情聴取を始める。

 調べによると、真実ちゃんは昨年5月12日午後6時過ぎ、松田さんに連れられて車で同市伊勢南町のパチンコ店「ロッキー」に行き、一人で遊んでいるうちに行方不明になった。同8時ごろ、松田さんは真実ちゃんが見当たらないのに気付き、同9時45分に足利署に届けた。

 このため同署で周辺を捜索したところ、翌13日午前10時20分ごろ、「ロッキー」から直線で約500メートル離れた渡良瀬川左岸のアシの茂みの中で、死んでいる真実ちゃんを発見した。死因は窒息死で、首を絞められて殺された後に投げ捨てられたとみられる。真実ちゃんの衣服のうちスカートや下着、片方のサンダルなどは近くで見つかった。

 捜査本部は変質者の犯行の可能性が強いとみて捜査していたが、約半年前まで運転手をしていて「ロッキー」によく来店していた男が浮上した。この元運転手の身辺捜査を続けている過程で体液を入手、警察庁科学警察研究所にDNA鑑定を依頼したところ「真実ちゃんの衣服に付着していたものと一致する」との鑑定結果が出た。

 足利市では、1979年8月3日、同市通五、会社員、福島譲さんの長女万弥ちゃん(当時5歳)が行方不明になり、同9日、真実ちゃんが見つかった現場から約200メートルの渡良瀬川右岸で、リュックサック詰めの他殺死体で発見された。

 さらに84年11月17日、同市大久保、会社員、長谷部秀夫さんの長女有美ちゃん(同)が同市山川町のパチンコ店で不明になり、1年4カ月後の86年3月8日、自宅近くの畑から白骨死体で見つかったが、いずれも未解決。

 ◇来年度から制度化

 DNA鑑定 遺伝子の本体であるDNAを構成する4種の塩基の配列順序から個人差を読み取る個人識別法。警察庁は「容疑者を積極的に特定し、かつ容疑者以外の者を捜査対象から排除することが可能」として、来年度からDNA鑑定を制度化し、全国の警察本部に導入する。

 この方式だけで100%の個人識別はできないが、科警研は「従来の血液型分類法を併用すると精度が高まる」としている。今年9月以降、茨城、熊本県など3件の事件の裁判に科警研方式のDNA鑑定が証拠申請されており、司法段階での評価が注目されている。

 

1991年12月01日付『読売新聞』=幼女殺害の容疑者浮かぶ 45歳の元運転手、DNA鑑定で一致/栃木・足利(東京朝刊1面)

 

 栃木県足利市の渡良瀬川河原で昨年5月、同市内のパチンコ店員松田俊二さんの長女真実ちゃん(当時4歳)が他殺体で見つかった事件を調べている足利署の捜査本部は、30日までに、容疑者として同市内の元運転手(45)を割り出した。一両日中にもこの男性に任意同行を求め、殺人、死体遺棄の疑いで事情を聴取、容疑が固まり次第逮捕する。真実ちゃんの衣類に付着していた男の体液のDNA(デオキシリボ核酸)と元運転手のものが一致したことが決め手となった。同市とその周辺では、昭和54年から62年にかけ幼女3人が他殺体で見つかる事件が起きており、捜査本部は関連に強い関心を抱いている。
 ◆周辺に類似殺人3件
 真実ちゃんは昨年5月12日午後6時半過ぎ、父親に連れられ遊びにきていた同市伊勢南町のパチンコ店「ロッキー」で行方不明となり、翌13日午前、パチンコ店から南へ約500メートル離れた渡良瀬川左岸のアシ原で死体で見つかった。死因はケイ部圧迫による窒息死で、絞殺されたと見られる。
 現場付近は当時、車や人通りが多かったにもかかわらず、有力な目撃情報はなく、捜査は長期化した。捜査本部は、市内全域でローラー作戦を展開するなどして不審者や変質者の洗い出しを続け、昨年秋ごろこの男性が浮上、慎重に周辺捜査を進めていた。
 捜査本部は、現場近くで見つかった真実ちゃんの衣類に付いていた体液と、内偵中に入手した元運転手の毛髪を警察庁科学警察研究所に送り、血液鑑定とDNA鑑定をした結果、「ほぼ同一人物の伝子。他人である確率は1000人に1人」との結果を得た。血液型も一致した。
 さらに、捜査本部は、これまでの調べで、男性が〈1〉少女を扱ったビデオソフトや雑誌を愛好している〈2〉真実ちゃんが失跡したパチンコ店に度々きていたが、事件後、姿を見せなくなった〈3〉事件当日の夕方以降の足取りが不明――などをつかんでいる。
 足利市と、県境を隔てた群馬県尾島町では、ほかにも3件の未解決幼女殺人事件が起きている。
 昭和54年8月、足利市内の会社員福島譲さんの長女万弥ちゃん
(当時5歳)が、近くの神社の境内に遊びに行ったまま行方不明となり、6日後、約2キロ離れた渡良瀬川河川敷で、リュックサックに詰め込まれた絞殺死体で見つかった。
 また、59年11月には同市内の工員長谷部秀夫さんの長女有美ちゃん
(当時5歳)が、両親と遊びにきたパチンコ店から姿を消し、1年4か月後、自宅から約1・7キロ離れた畑で、白骨死体で発見された。死因は窒息死。
 62年9月には、同市から約15キロ離れた尾島町の会社員大沢忠吾さんの二女朋子ちゃん
(当時8歳)が、自宅を出たまま消息を絶ち、翌年11月、自宅から約2キロ離れた利根川河川敷で白骨体で見つかった。死因は特定されていないが、他殺と見られる。
 《DNA鑑定》細胞核内の染色体に含まれるDNAには、遺伝情報が四種類の塩基の配列順序として記録されている。この配列順序は個人によって異なるため、体液や血痕、毛髪など犯行現場に残された資料のDNAを分析すると個人を635通りに分類でき、血液鑑定と併用すれば100万人中の1人を特定できる。今回は、真実ちゃんの衣類に付いていた体液が微量だったため、「1000人に1人」の精度にとどまった。警察庁は今後1・2年で全国の捜査に本格導入する計画だ。昨年2月に東京都足立区で発生した主婦のバラバラ殺人事件では、容疑者の車に残されていた血痕がDNA鑑定で被害者のものと判明し逮捕の決め手となった。

 

1991年12月25日付『読売新聞』=連続殺人の菅家容疑者 「万弥ちゃん殺害」で再逮捕/栃木・足利署(東京朝刊26面)

 

栃木県足利市の松田真実ちゃん(当時4歳)に続いて、福島万弥ちゃん、長谷部有美ちゃん(いずれも当時5歳)の殺害を自供した同市家富町2265、元保育園運転手菅家利和容疑者(45)を取り調べている足利署の捜査本部は24日、同容疑者を万弥ちゃん事件について殺人の疑いで再逮捕した。
 調べによると、菅家容疑者は昭54年8月3日午後零時半ごろ、自宅近くの神社境内付近で一人で遊んでいた同市通5の2820、会社社長福島譲さん
(37)の長女、万弥ちゃんを神社裏の織姫山の山林に誘い、万弥ちゃんの首を両手で絞めて殺害した疑い。
 菅家容疑者は事件当時、市内の保育園に運転手として勤めていたが、この日もふだん通り勤務していた。調べに対し、「昼休みに昼食をとりに実家に帰る途中、神社で遊んでいた万弥ちゃんを見つけ、いたずらしようと思った。殺害後はいったん遺体を山林に隠し、バスで園児を送った夕方、現場に戻って遺体をリュックサックに詰め、自転車で殺害現場から約2キロ離れた渡良瀬川の河原に運んで捨てた」などと供述。リュックについては「拾った」と話しているという。
 同署は事件発生直後、万弥ちゃんの遺体から検出されたアオダモ、アカマツなど6種類の植物の葉から殺害現場を織姫山中と特定するとともに、植生から十数か所のポイントを割り出していた。菅家容疑者が供述した殺害場所は、この一つと一致した。
 捜査本部は万弥ちゃん殺害容疑を十分に詰めたうえで、昭和59年発生の有美ちゃん殺害事件についても菅家容疑者を追及し殺人の疑いで再逮捕する方針。

 

1991年12月03日付『読売新聞』−「社説]=難事件を解決したDNA鑑定

 

栃木県足利市の河原で昨年5月、4歳の幼女が殺されていた事件で、45歳の元保育園運転手が逮捕された。
 容疑者は性的異常者と見られるが、自分の欲望のために、罪もない無抵抗な幼女を殺害する犯行は、憎んでも余りある。
 同市周辺では、昭和54年から3件の幼女殺害事件が未解決のままだ。絞殺して遺体を河原に捨てる手口などから、捜査当局は、この男との関連性を追及している。これほどの犠牲者を出す前に、容疑者を逮捕していればと思うと残念だ。
 最近、幼女を対象にした性的犯罪が増えている。犯人は普通の日常生活を送っており、外見から区別することが難しいケースも多い。病的な欲望や衝動に動かされて犯行を繰り返し、手段をしだいにエスカレートさせていく傾向も強い。
 この種の犯罪は被害者が幼いため、犯人につながる手がかりが少なく、解決に時間を要するのはわかる。だが、卑劣な犯行を防ぐには、やはり犯人を一日も早く逮捕することが重要だ。
 同時に地域社会が、犯罪の前兆を見逃さないことも大切だ。こうした性的な犯罪には前段として、幼女が見知らぬ男から声をかけられたり、下着が盗まれたりする前兆が必ずある。どんなささいなことでも警察に届ける一方、地域がその情報を共有して警戒心を強めることが、犯罪を未然に防ぐことにつながるだろう。
 今回の事件では、幼女の衣類に残されていた微量の体液と元運転手の毛髪の遺伝子DNA
(デオキシリボ核酸)が一致したことが、逮捕の有力なキメ手になった。
 人の細胞の中にあるDNAは、その配列や構造が、人によって違い、生涯変わらない。それを分析することで、個人を識別するのがDNA鑑定だ。従来の血液鑑定と併用すれば、100万人の中の1人を特定できるほど、精度が高いと言われる。
 指紋に近い識別効果があり、血液鑑定などが困難な微量でも、鑑定が可能とされることから、警察庁が研究を進めてきた。すでに50件近い事件捜査に活用され、裁判で証拠採用されたケースもある。
 科学捜査の有力な武器となることは間違いない。だが、今回のように超微量で完全な検査が困難な場合には、識別確率が落ちることもある。基礎データも不足しており社会的にも、刑事訴訟手続き上でも、完全に信頼を得るまでには至っていない。
 当面は他の物証と併用しながら、科学的な証明度をさらに高め、社会的な承認を得る努力を続けてほしい。
 DNAの分析によって、人の資質など隠れた遺伝情報のほとんどを読み取ることも可能だ。プライバシーそのものと言っていい。警察庁では、鑑定するDNAはごく一部のため、プライバシーの問題は起きないと説明している。
 本格的な実用化に当たっては、DNAの分析範囲や分析データの管理に関するガイドラインを作るなど、慎重を期すべきだ。大きな可能性を持つ捜査手法だけに、わずかな疑念も残さない配慮が必要だ。

 

1991年12月22日付『読売新聞』=真実ちゃん殺しの菅家容疑者 「万弥」「有美」ちゃんも自供/栃木県足利(東京朝刊27面)

 

 栃木県足利市の松田真実ちゃん(当時4歳)殺害事件で、足利署の捜査本部に逮捕された元保育園運転手菅家利和容疑者(45)(同市家富町2265)は21日、昭和54年と59年に同市内で起きた別の2件の幼女殺害事件について「2人とも私がやりました」と自供した。捜査本部は裏付け捜査を急ぎ、容疑が固まり次第、殺人などの疑いで再逮捕する方針。
 新たに自供した2件は昭和54年に発生した同市内の会社員福島譲さんの長女万弥ちゃん
(当時5歳)殺しと、59年に起きた同市内の会社員長谷部秀夫さんの長女有美ちゃん(当時4歳)殺害事件。真実ちゃんを含めた3人の遺体はいずれも菅家容疑者が同市福居町に借りていた家から4キロ以内の所で見つかっているうえ、行方不明時や遺体発見の状況が似ていることから捜査本部は菅家容疑者との関連を追及していた。
 捜査本部の調べに対し、菅家容疑者は同日午後6時過ぎから、両事件の犯行をほのめかし始め、まず万弥ちゃん、続いて有美ちゃんを「殺した」と自供、両容疑を認めたという。
 捜査本部は、真実ちゃん事件起訴の見通しのついた20日朝から、両事件についての取り調べに着手、雑談を交えながら事情を聞いた。
 万弥、有美ちゃん事件は発生から12〜7年経過し、菅家容疑者の記憶もかなり薄れていることから、自供を裏付けして起訴、公判を維持するためには困難も予想されるが、捜査本部では慎重に取り調べを進め、容疑が固まり次第、菅家容疑者を再逮捕する方針だ。
 万弥ちゃんは54年8月3日正午ごろ、自宅近くの八雲神社境内に遊びに行ったまま行方不明となり同9日、渡良瀬川右岸の河原で、リュックサックに詰められた下着姿の遺体で発見された。遺体に付いていた土の鑑定結果などから、捜査本部では殺害現場を福島さん宅裏の織姫山の山中と特定している。
 一方、有美ちゃんは59年11月17日夕、両親と一緒に来ていた同市山川町のパチンコ店「大宇宙」で行方不明となり、61年3月8日、約2・4キロ離れた畑の土中から白骨体で見つかった。
 菅家容疑者は、一連の幼女殺害事件発生以前の52年から同市福居町に家を借り週末を過ごしていた。有美ちゃん、真実ちゃんの失跡はともに土曜日、万弥ちゃんは金曜日だった。
 失跡場所は有美ちゃん、真実ちゃんの2事件がパチンコ店。殺害方法は、白骨体で見つかり特定出来ていない有美ちゃんを除く2人が絞殺だった。
 3人のうち万弥ちゃんの遺体だけは、ひもで縛ったうえリュックサックに詰め込む手の込んだ方法で捨てられていたが、遺体発見場所は河原や畑など、いずれも周囲が見渡せる場所だった。

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