ぱんだのマラソンとお天気ブログ

走りを始めて二十数年 フルマラソ130回以上 ウルトラマラソン50回以上完走。 311が人工地震では?と気づいてから気象操作されている事やケムトレイル散布に気づきました。
走っている人にケムトレイル散布の事実を知って貰おうと思って始めました

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こんばんは

今日は811ではなく812ですが 先ほど 福島中通りで震度5弱の地震があったようですね!

被害がありませんようにm(_ _)m

震源の深さは ごく浅いって気象操作庁は発表してますが ごく浅い所にプレートなんかないですよね?
人工地震ではないでしょうか?


今日はJAL123便が御巣鷹山に墜落させられた日ですが 墜落した時間と今日の地震が起きた時間は偶然にも18時56分だったようですΣ( ̄□ ̄)!

阪神大震災
911
2005年の宮城沖地震
311
すべて46分に起きました!

911はアメリカのやらせですが 46分は偶然ではないですよね?
(この事は何回も書いてます)


今日も大阪城公園はケムトレイルだらけでしたヽ(*`Д´)ノ

走ってる人 とにかく必死ですからねべーっだ!べーっだ!
ケムトレイルなんかに気づかないですね(-_-;)
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おはようございます

今日は出勤です!
曇りですがケムトレイルが散布されない事をいのります!

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このままケムトレイルの散布に気付かなければ特に関西の人達はナノアルミやアスベストを知らない間に吸い込んで何十年後かには、原因不明の病気にかかりますよ(゚o゚)/


故障してから、8年近く経ちますが、たまに?レースに出るので、一応走っています。

iPodにマイケルジャクソンの曲かBTSJというKスポーツクラブが使っているニュージーランドのトレーニングで使われている曲を入れて、聴きながら だらだらと走っています!

その中にwe are the worldが入っていて、一番好きなのはマイケルジャクソンが2回目に歌うパートです(^o^)

走りながら、今日もケムトレイルは散布されていないかなどと気を取られているといつの間にかマイケルのパートが終わり コーラスの部分に入っている(^^;)

聴いているはずなんだけど 聴き逃した気がしてまた最初から 聴き始めるが またぼやっとしていて マイケルのパートが終わっているの繰り返しで 何回も最初から聴き直して18キロ走っている間に 最後まで聴く事なく走り終わっていた事がありました(^^;)


みなさんは誰が歌っているパートが好きですか?




私はマイケル以外では、シンディローパーが、一生懸命歌っている所が好きですね。



we are the world


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=XblpaAyj234#t=2s



リハーサルで自分のパートを何回も歌うマイケル、美しい歌声です


完ぺき主義のマイケルらしさがこの動画で垣間見れますね


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=nP6vfaSuFGs#t=1s




これらの歌手の中には悪魔に魂を売って イルミナティの広告塔をやっていた人は 何人いたんでしょうか?

ボブディランでさえ 売れたいがために 悪魔に魂を売ったと告白してましたね。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=2yGCifW1hmM#t=0s




日本人のイルミナティ広告塔筆頭は きゃりーばみゅばみゅですが 彼女はイルミナティの広告塔をさせられていると気づいているのでしょうか?


最初からいきなり イルミナティのシンボルの目玉が出てきますね。


タイトルがつけまつけるなので目玉が出てきてもおかしくないと思うでしょうけれど、


彼らはこういうところでシンボルを私たちに洗脳しているのです。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=NLy4cvRx7Vc#t=0s



悪魔=イルミナティに魂を売るためには生贄をささげなければなりません。


ロンドンオリンピックでカメルーンの選手が7名行方不明ですが、イルミナティの儀式であったロンドンオリンピック開会式の生贄になっていなければいいのですが、、、。


http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1013.html




閉会式が無事に終わる事を祈ります。



8/12はJAL123便が 御巣鷹山に墜落した日です。


こちらの追悼碑もイルミナティのシンボルである三角形です。



いずれ真実は明らかになるでしょう!
亡くなられた方々の ご冥福をお祈り致しますm(_ _)m

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サロマ湖100キロマラソンを10回以上完走するとサロマンブルーという称号が与えられて サロマ湖100キロマラソンの時の ゼッケンがブルーになる。
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私がサロマンブルーになった時は、制度が出来たばかりで第一期生?というわけで13人しかいなかった。


今は 犬も歩けばサロマンブルーにあたる状態で、参加人数の2割近くがサロマンブルーです(^^;)

現在、24回完走してグランブルーというのになっていて(ゼッケンはゴールド) 当面の目標は30回完走する事!

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サロマンブルーの時もそうですが、グランブルーになるとグランブルーのワッペンがついたポロシャツが支給されて 開会式などで着用するように言われる(本当はあまり着たくない(^^;)!


めったに着ないグランブルーのポロシャツだが 今日、旦那がそのポロシャツを着て 吉本新喜劇を見に行ったΣ( ̄□ ̄)!

他に着る服はなかったのか?と思うぱんだであった(;゜O゜)←ちびまる子風

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こんばんは(^o^)


15時から大阪城公園5周走ってきました!

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相変わらずケムトレイルは散布されています(-"-;)

ボンクラな日本人は、いつになったらケムトレイル散布に気付くのかな?
ケムトレイを散布している所を直接説明しても、見たことないとかわからないとか言っている大阪在住の人たち…
何で気づかないのか??
毎日あんなに散布されているのにヽ(*`Д´)ノ私は何でわからないのか、そっちの方がわからない(-_-;)

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いつもは一人で、ダラダラ走ってるだけですが 10年程前に100キロマラソンの日本代表で フランスとベルギーのワールドカップに出た事がありますチョキチョキ


当時は今みたいに100キロを7時間台で走る女性があまりいなかったので、サロマ湖100キロで6位までに入賞したら 日本代表でワールドカップに出れたのです!


ところが ワールドカップで日本代表だというのに遠征費は 補助が1~3万円程出るものの 殆ど自腹なのです(x_x;)


2回程 自腹で参加してとりあえず完走はしてきました。(タイムは遅かったので内緒(-_-;)まあ調べたらわかりますが)

サロマ湖の前になるとたまに宇宙人が 50キロとか80キロの練習に付き合ってくれますニコニコニコニコ

宇宙人とは私のラン友達(女性)です。
初100キロが8時間15分
ベストタイム7時間50分
フルマラソンベストタイム2時間50分だから宇宙人並みでしょ?


その宇宙人は、私がワールドカップに出た後、日本代表で出ていたのですが 宇宙人の話によると ワールドカップの遠征費は全額支給されていたはずと聞いたというのですΣ( ̄□ ̄)!

えっ? フランスに行った時は24万円位 旅行会社に払いましたよ(-_-;)

そのお金はどこに行ってしまったんでしょうか?
私だけじゃなくて何人も支払っているはずです(-"-;)


今さら 返せとは言いませんが こういう不正はどこの世界でもあるようです(ノ_・。)


ちなみに 一時期 中尾彬と加賀まりこがテレビで宣伝していた 『肺炎球菌ワクチン』は『赤十字に届いた海外からの義援金』を使って 作ってるそうです!

あるお医者さんがブログで 暴露してたから間違いないです!


ワクチンは人口削減が目的で インフルエンザは製薬会社がケムトレイルか何かに菌を混ぜてばらまいてますよね! 花粉症も多分そうでしょう!
昔は花粉症なんてなかったでしょ?
ケムトレイルの散布が始まったのと花粉症が言われ始めたのは同じ頃なのかも?

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こんばんは


いつもはケムトレイルの散布でブリブリ怒っている私ですが、、。

今日はあるブログの記事を再度読んで、ずっと泣いていました。


日本は広島、長崎と311で3回目の被爆をさせられました。

それはアメリカではなく 私が度々書いている イルミナティという闇の組織です。


テレビに洗脳されている人たちには全く気付かないと思いますが、ロンドンオリンピックの開会式は

イルミナティの儀式でもあったのです。


だから日本選手は、開会式に出場できませんでしたが、却って良かったのかもしれません


ブログの内容ですが、長いので簡単に説明します。


こちらの写真はご覧になった事はありますか?


焼き場に立つ少年というタイトルです
焼き場に立つ少年

photo:01

アメリカのカメラマンが戦争中に佐世保で写した写真です

この少年の後ろに子供がオンブされていますが、この子供はもう亡くなっています。

後ろの子供を焼き場で焼いてもらうために、この少年は直立不動で、順番を待っているのです。

私はこの写真を見ただけで、ずっと涙が止まらなくて、パソコンを打っている今もずっと泣いています。


日本に、広島、長崎と原爆が落とされて、一応終戦となりましたが、今も空からケムトレイルを散布されて、福島で原発をやられて、、。おまけに核兵器と同様の凶器である原発が日本には、54機もあるのです。地震や津波でなくても、稼動していなくても、ミサイルが落ちたらそれで終わりです、、。

それも日本は平和なんでしょうか??



時間がある方は、こちらの記事を是非読んでみてください。

misaのブログからおかりしました。

http://ameblo.jp/aries-misa/


67回目の長崎の原爆の日に、再びこの写真を捧げます。

焼き場に立つ少年

photo:01



この写真を撮ったのは、アメリカ人のカメラマン、ジョー・オダネル氏でした。
 
以前動画があったのですが、やはり削除されてしまいました。

なので、いくつかの過去記事からこの写真とオダネル氏の事をまとめます。

長崎原爆忌にオダネル氏を偲ぶ 2011

オダネル氏は、日本軍に真珠湾攻撃を受けた事により復讐心に燃え、日本人を殺すために19歳で軍隊に志願した。

photo:02



原爆投下後、公式カメラマンとして長崎に入ったオダネルの任務は、原爆の破壊力を記録する事だった。

人体実験として2種類の原爆を投下したアメリカは、その破壊力を知りたかったのだ。

オダネルは爆心地に立ち入る危険性も、本当の目的も何も知らされず、軍からは許可なく人物の撮影をしてはならないとだけ言われていた。

しかし、彼は悲惨な光景に衝撃を受けていた。日本人を憎んでいたオダネルの心を揺さぶるに充分すぎる光景がそこにはあった。

『アメリカはきのこ雲を見て、戦争は終わったと思っていた。しかし、それは間違いだった。

生き残った日本人にとって、苦しみの始まりだったのだから…』


『昨日の事のように思い出される。私は灰と瓦礫につまづきながら爆心地を見渡した。

衝撃的だった。そこには人が暮らした文明の跡形も無かった。

自分が地球に立っているとは思えないほどの破壊だった。』


『多くの子供が親を亡くしていた。生き延びた子供は、幼い弟や妹を親代わりとなって支えていた』

そんな子供たちと接するうちに、オダネルの何かが変わって行った。

軍の命令に背き、オダネルはそこに生きる人々をひそかに撮影し始めた。

そして、オダネルは被爆者が治療を受ける救護病院へと向かった。

『私が見たその人は、これまで出会ったケガ人と全く違っていた。

彼には髪の毛も、眉も鼻も耳も無かった。顔と言える原型はなく、肉の塊だった。

彼は私にこう言った。「あなたは敵でしょ。私を殺して下さい」

私は逃げるように彼から離れ、別の患者に向き直った。部屋を去る時、再び彼を見た。

まだ「殺してくれ」と言っていた。

自分に出来ることなど何もなかった。

その時、肉の塊にしか見えなかった彼の両目から、涙が流れていた。』


その夜、オダネルは眠る事が出来なかった。

翌日、病院を訪ねるとベッドにはもう彼の姿は無かった。

『この世のものとは思えないものを見た。死んだ人、子供たち、その母親、間もなく死ぬ人、飢えている人、そして原爆症。

傷ついた人々を撮影しているうちに、日本人に持っていた憎しみが消えていった。

憎しみから憐れみに変わった。

何故人間が同じ人間に、こんな恐ろしいことをしてしまったのか。』


同じ任務についていた他のカメラマンは、決まりを守って撮影対象との接触を避け、記録班として感情を捨て、記録に徹していた。

だが、オダネルにはどうしてもそれが出来なかった。

そして、火葬場であの少年に出会う事になる。そこで見た光景がオダネルにとって、生涯忘れられないものとなった。

『佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。

しかも裸足です。

少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。

男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。

それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。

少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。』


オダネルの写真集『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』には、写真について次のように補足されている。

『少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。

係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。

炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。

私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。

軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。

私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。

私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。

急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。

係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。

その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。

今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?』


『この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。

アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。

そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。

私はなす術もなく、立ちつくしていた。』


それから帰国後、オダネルは長崎での記憶に精神を乱されていく。

『被爆者達の体をうごめくうじ、助けを求める声、鼻をつく異臭…。私は長崎で見た光景を思い出すまいとした。

しかしその光景は頭から離れず、私をさいなみ続けた。

あの時のアメリカの決断は正しかったと言えるのだろうか。

眠ろうとしても眠れない。悪夢が終わらないのだ。写真を見たくなかった。見ると長崎の悪夢が蘇ってしまう』


苦しみから逃れる為、オダネル氏は「絶対に開けるな」と家族に言い渡し、屋根裏に写真が入ったトランクを封印してしまった。

その後オダネルは、アメリカ情報局に勤務し、大統領の専属カメラマンに抜擢されホワイトハウスで働き始めた。

最初に担当したのは、皮肉な事に、日本に原爆投下の決定を下したトルーマン大統領だった。

《原爆投下は戦争を早く終わらせるためだ。多くの若いアメリカ兵の命を救うためだった。》

トルーマンのこの言葉は、今も多くのアメリカ人が信じている。

オダネルは1950年に一度だけ大統領に「日本に原爆を落とした事を後悔していないか」と尋ねた。

すると大統領は動揺し、顔を真っ赤にして「当然それはある。しかし、原爆投下は私のアイデアではない。私は前の大統領から単に引き継いだだけだ」と答えた。

アメリカが推し進める核戦略と、自分が見た現実との狭間でオダネルは苦しんだ。

『体のあちこちに異変が起きた。25回も手術をすることになった。

爆心地に送り込んでおきながら、軍は何も情報をくれなかった。放射能がもたらす健康被害について何も知らされていなかった。』


その事を軍に訴えても、軍は何もしてくれなかったのである。

そして1989年、オダネルの運命が変わった。

偶然立ち寄った修道院で、全身に被爆者の写真が貼られた像を目撃したのだ。

『私は彫像を見て衝撃を受けた。罪のない被爆者たちの写真が彫像の全身に貼られていたのだ。

それを見た時の気持ちは言い表せない。長崎の記憶が甦り、とても苦しくなった。

しかし、私は何かしなければと痛烈に感じた。

まさに啓示だった。自分も撮影した真実を伝えなければならない、と。』


ついに43年ぶりにトランクは開けられた。

1990年、オダネルは写真を引き伸ばし、写真展を開こうとしたが、受け入れてくれる施設はどこもなかった。

家には嫌がらせの手紙や非難の投書が来るようになり、妻とも離婚する事になる。

母国の正当性の前にオダネルは苦悩した。

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『私は母国の過ちをなかった事にできなかった。退役軍人は私の事を理解してくれないだろう。

私は死の灰の上を歩き、この目で惨状を見たのだ。

確かに日本軍は中国や韓国に対してひどい事をした。

しかし、あの小さな子供たちが何かしただろうか。

戦争に勝つ為に本当に彼らの母親を殺す必要があっただろうか。

1945年、あの原爆はやはり間違っていた。それは百年経っても間違いであり続ける。

絶対に間違っている、絶対に!

歴史は繰り返すと言うが、繰り返してはいけない歴史もあるはずだ。』


自分の幸せよりも、原爆投下への疑問の方を選んだオダネル。

『アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず、8月6日と9日は毎年やって来る。

嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まって来る。「お前は裏切り者だ、アメリカが嫌なら日本へ行け」と。

ある時、娘が教えてくれた。

「お父さんの活動に味方する投稿がひとつだけあるよ」と。

その投稿は、私への批判の声に反論してくれていたのだ。

”オダネルを批判する人たちに言いたい。

原爆とは何だったのか。図書館に行って、歴史を勉強してから批判しろ!”

名前を見ると、それは私の息子だった。

息子が私が日本にいた時と同じ23歳のころだった。

その後、息子はこう言ってくれた。

50年経って僕がお父さんくらいになったら、僕が日本に行ってお父さんのやろうとした事を引き継ぐよ。

平和の為に命をかけて写真を伝えていくよ。』


オダネル氏は諦めずに強い信念を持って核廃絶の活動を続けていった。

『たとえ小さな石でも、波紋は広がっていく。それは少しづつ広がり、いつかは陸に届くはずだ。

アメリカという陸にも届く日が来る。

誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。

そして、誰もが平和を実感出来る日がくると信じる。』


だが、日本とアメリカを行き来する生活の中で、オダネルの病状は悪化していった。背骨の痛みは深刻となり、皮膚ガンは全身に転移していた。

そして、とうとうオダネルは2007年8月9日、85歳で帰らぬ人となる。

奇しくも長崎の原爆の日が彼の命日となった。

しかし、彼の想いは息子タイグさんによってしっかりと引き継がれている。

『父は、死ぬ前に言っていた。あの日の長崎には笑顔がなかった、と。

いつか長崎で笑顔の子供たちを撮りたい、と。』


父親の願いは、タイグさんの代になってようやく長崎の町で叶えられたのだった。

<まとめ終わり>

あれから67年が経ちました。

アメリカ人の中にもオダネルのような人がいるのです。

カメラマンとして、被爆地で生々しい生き様に踏み込んだからこそ、真実が見えたのです。

核と人類は共存できないのです。

その事も分からず、未だに原爆や原発を使い続ける大人たちの犠牲になるのは、いつだって何も知らない子どもたちです。

私たちは、この少年の写真とオダネル氏の事を、ずっとずっと忘れてはならないと思いました




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おはようございます!

今朝の読売テレビの天気予報に、消えない飛行機雲=ケムトレイルがまたまた映ってましたが、うちの方も、撒きまくっていますヽ(*`Д´)ノ


こちらは電車の中から写しました(^-^;

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こちらは上のケムトレイルが時間が経って広がったもの
場所は違いますが、同じ長いケムトレイル!
飛行機雲が、こんなに広がりますか?

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昨日、ラミーコさんのブログのアメリカが枯葉剤の存在を40年隠していた記事を載せましたが、国がケムトレイルを散布していたという事実を公表してからでは遅いのです!


原発だって安全だと騙されてきたでしょう?


ちなみにケムトレイルは散布にばらつきがあり、ひどいのは関西地区と静岡と鹿児島、熊本、福島と最近は愛知周辺です!

これらの地域の方、空を見上げて長~い、白いラインが空にあればそれは有害物質ですよ(゚Д゚)

早く気づいてくださいねm(_ _)m



ホノルルマラソンまで あと4ヵ月!

今年は12月9日(日)に開催です


初マラソンは、ホノルルマラソンでしたが、今年で25回目チョキチョキです


いつも一緒に行っている友人のみどりさんは32回目で 日本人女性で参加回数No.1のはず(^o^)

ホノルルマラソンの次に参加回数が多いのが、福知山マラソンの20回。

ホノルルマラソンと言えば、かなり昔に、雑誌ランナーズのホノルルマラソン特集の時に、表紙になった事があります(゚o゚)/


12月のある日 ランナーズ編集部から 自宅に電話があり

『ぱんださん、ランナーズの表紙になりますが、いいですか?』

『へっ?(´ヘ`;)?』

ランナーズの表紙と言えば、昔は25才以下の女性で自薦、他薦を問わずで募集していたが、推薦されるわけないし、申し込みした覚えもない(゚-゚)

なんでも『ランナーズの橋本社長が、ホノルルマラソンのゴールで写真を撮っていて、私が写っているのを表紙に使いたい』というのだ(^^;)


悩んだ末に『ランナーズの売上が落ちてもいいならどうぞ』というわけで、私は、時の人になってしまった事があった(^^;)

それ以来ランナーズの表紙に登場する人の年齢が、25才以下から 引きあがったようである(^-^;。


ランナーズの表紙は モデルになる人が 支給されたウエアを着用して、撮影されたものが使われるはずだが レース中の写真で、修正なしの物が使われたのは、私だけかも知れない(^^;)


顔は出せません(^^;)

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こんばんは

ラミーコさんのブログをそのままお借りしましたが、、。

ケムトレイルとこの枯葉剤の関係はどうなんでしょうか?

まさか ケムトレイルに枯葉剤の成分なんて混じってないよね??

沖縄に枯れ葉剤米軍文書見つかる/元米高官証言「沖縄で枯れ葉剤散布」

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「沖縄に枯れ葉剤」米軍文書見つかる


沖縄での枯れ葉剤貯蔵を認める米軍の報告書
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社会 2012年8月8日 09時21分
米軍が、沖縄に枯れ葉剤520万リットルを貯蔵していたと認める報告書を公表していたことが7日、分かった。本土復帰の1972年、沖縄から太平洋の米領ジョンストン島にドラム缶2万5千本を運んだと明記している。



米政府は一貫して沖縄での貯蔵を否定しており、事実を認める文書が見つかったのは初めて。



報告書は「ジョンストン環礁の環境アセスメント」で、2003年発行。米陸軍化学物質庁のウェブサイトに刊行物として掲載されている。



「米空軍が1972年、ベトナムで発生し沖縄に貯蔵されていたオレンジ除草剤の55ガロン(208リットル)ドラム缶2万5千本を、ジョンストン島に運んだ」との記述がある。



枯れ葉剤問題を取材するジャーナリストのジョン・ミッチェルさんは「米軍が沖縄での貯蔵を認めた文書は初めて。これまで『使用・貯蔵の記録がない』と言い続けてきたが、うそだったことが証明された」と指摘した。



ジョンストン島には71年、沖縄から毒ガスも移送された。ミッチェルさんは7日付の英字紙「ジャパン・タイムズ」に執筆した記事で、「報告書は(枯れ葉剤の)ドラム缶がレッド・ハット作戦(毒ガス移送)の一環だったことを示唆している」と分析した。



また、沖縄に駐留していた10人の退役軍人が、枯れ葉剤による健康被害の解明を求める手紙を先月、米上院退役軍人委員会に送ったことを報じた。



10人連名の手紙は、「沖縄で除草剤・ダイオキシンにさらされた全ての軍人と沖縄のために正しい行動を取りたい」と強調し、委員会で証言する機会を設けるよう求めた。



ミッチェルさんは「米政府は沖縄に駐留していた退役軍人の補償要求を却下し続けているが、報告書は決定的な証拠になるはずだ」と話している。

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元米高官証言「沖縄で枯れ葉剤散布」(沖縄タイムス)
http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/204.html
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↓イルミナティカードのケムトレイルラミーコのイロエロゆんたく☆-ファイル0071.jpg

ケムトレイルも同じじゃないかな!?何十年も経ってから真実が明るみに出て来る気がしない!?ねぇPさん


ラミーコさんのブログはこちらから




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おはようございます!



朝っぱらからケムトレイルを散布されました(-"-;)

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薄くて写真に写らないですが、歩いている目の前に4本撒かれたケムトレイルが見えています!

ケムトレイルかわかりませんが、変な臭いがします(-"-;)


早朝、ジョギングや散歩されている方は、毎日大量に散布されているケムトレイル=消えない飛行機雲をおかしいと思わないのでしょうか?



ブログを始めてから41日目ですが 何とか更新しています。


読んで下さっている方、ありがとうございますm(_ _)m



走っている人に 空から有害物質を散布されている事実に、気づいて貰おうと始めたブログなので、一応 マラソン、ジョギングのランキングに参加しています。




しかし ブログに来られた方は 全然マラソンブログじゃないじゃんと思ってるかもしれませんね(^^;)




走ってる人って ケムトレイルなんて興味はないのかな?と思うし実際 私がケムトレイルに気づいてから、走ってる人にケムトレイルについて聞いたら、知ってたのは唯一サロマ湖100キロマラソンで話をした、鹿児島の男性だけでした(^^;)





まあ ランナーだけじゃなくても 気づいてくれたら誰でもいいのです!





しかし、これだけ話しても 宇宙の出来事で他人ごとのように感じてる人は テレビで言わないから信用しないのだろうか?




テレビ教という宗教があるというブログがあるので、また紹介したいと思います




私がケムトレイルを毎日観察するきっかけになったのは


遠隔霊視と宇宙のネットワークというブログでこちらのブログでケムトレイルを毎日


観察して、散布された本数を報告する隊員に応募してからです。




観察している地域の隊員さんからはどの地域に何本散布された(分かる範囲で)か報告が入ります。


私が、どこにたくさん散布されたか知っているのはそのためです




こちらのブログでも私のへぼブログ紹介してもらいました




http://blogs.yahoo.co.jp/rocket_bus_company/65795682.html




twitterより


RT @
TeamRocket2021
: 毎日こんだけ頭上に白い粉=ケムトレイルを撒布されまくっているのに、それでもまだ気付かない国民が大半というこの日本。特に西日本に住んでるそこのあなた! 反原発デモの合間に、みんな空を見上げてください。こでまりさんがツイートしてくれてますが、愛知なんて最近とんでもない撒布ですから!






一昨日 神戸で散布されたケムトレイルをおかりしましたm(_ _)m

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ケムトレイルは日本だけではなく世界中で散布されています。


この事実にほとんどの人が気づいていないのです。


同じ人間がやっているとは思えないです!!><


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おはようございます

昨日は 大阪城公園なう~の後 ゲリラ雷雨に遭い 荷物を置いてあるスポーツクラブに戻るまでにびしょぬれにガーンガーン


以前 気象操作庁が発表した 台風が通った後を見ていたら ケムトレイルの激散布地とほぼ一致していた(>_<)


昨日の雷雨発生地域も一致しているのではないかな?と考えてみたりする。
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終戦から67年というが まだ戦争中のような気がする。
日本は経済成長という名の下に 騙され続けて 戦後ではなくてまだずっとアメリカというかイルミナティというか 彼らの監視下にあると思う。


韓流や馬鹿みたいにテレビで流しているゲームの宣伝 全てが日本人から正常な考え方を奪う為の彼らのツールである…と気づいたのは やはりマイケルジャクソンが亡くなってからである(^^;)

気づくのが遅すぎたのかな?

韓流に関しては 私は興味が全くないだけで批判するつもりはない


マイケルの髪型面白すぎ(>_<)
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オリンピックで選手たちが 頑張っている!
メダルは個人の物なのか国の物なのか?

第二次世界大戦中 お国の為にと洗脳されて若くして亡くなった青年たちとオリンピックで頑張っている選手たちが重なって見える(>_<)


お国の為にじゃなくて 個人としてベストを尽くして欲しいと思う

テーマ:
大阪城公園なう~
雷雷がなってます(>_<)

ブログにケムトレイル成分在庫切れか?なんて書いたせいか?大阪城公園にぶっといの撒かれました(^^;)


撒いてる奴らがこのブログみてるわけないか(^^;)

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学校の先生でさえ ケムトレイルと飛行機雲の区別がつかないんだから、仕方ないかと思う反面 中学生でも 気づいてる人いるんだよねにひひにひひ


日本は二回も原爆を落とされたのに核兵器とイコールである原発をなんで54機も作ったんだろうか?

再稼働させようが止めようが日本に原発がある以上 核爆弾があるのと変わらない(>_<)

誰が責任を取るの(´ヘ`;)?

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