ここんとこ書いている、就活生のうつとか自殺とかのつづき。
よくこの手の内容のニュースなんかで、「何度も就職試験を落とされ、“誰からも必要とされてない自分”を悲観して〇〇(自殺とかうつ)になる学生が多い。」と報道される事があるが、このもっともらしいように言われる、誰からか必要とされる事ってそんなに大事なのだろうか?
まあ実際働いたことのない学生が今の月9ドラマ『リッチマン、プアウーマン』
http://blog.livedoor.jp/entamago/archives/7257147.html
(「小栗旬と石原さとみの月9がヒドイ。」って記事がなぜか“小栗旬月9”でヤフー検索されて未だアクセスうなぎ上り・・・。)
なんか見て「会社で働くってステキ!」「私も石原さとみちゃんみたいにイケメン社長に必要とされたい!キラキラ。」みたいな気になったって、それはそういう風に作ってあるんだから仕方がないけど、実際女が会社で働くって、男がテキトーに作った書類のチェックばっかりやらされたり、会議の為のお茶入れたり、客室の灰皿洗ったり、電話取り次いだり、今はどうか知らないけど昔からまったくやりがいのない仕事ばっかり。そのくせ責任はしっかり押し付けられるし、その辺は男も一緒なんだと思う。
就職試験で落とされて誰からも必要とされてないと悲観する気持ちもわからなくもないけど、実際就職できたって大して必要とされる訳ではない。「より良い若い人材を採用して我社の業績をうんちゃらかんちゃら。」とか言ってるけど結局それは建前で、会社は上になれば上になるほど、やりたくない仕事を下に押し付けてラクして儲けたいだけ。その押し付ける相手が欲しいだけで誰も若手を育ててカッコよく活躍させようなんて思ってない。誰かに必要とされたければ常に人手不足の介護や看護の現場で働くのが一番だ。
主婦だって一緒。
今私は腰痛で「病気」という事になっている。実際痛くて重いモノが持てないから家事もできないし、パートにも行けない。ライター復帰しようにもパソコンが長時間打てない。やる事といったら接骨医にかかり、家でゴロゴロしながら韓流ドラマを見る程度だ。でも、そうなってはじめて気が付いた事があった。今までは職場にしろ、家庭にしろ、友人関係にしろ、「私は必要とされている!」と思っていた多くの事が、実はただ単に便利に使われているだけだったという事。
こうなってから、私の周りに次々変化が訪れた。
仕事帰りのパチンコをやめて早々に夕食を買い帰宅し、身の回りの事も全て自分でするようになった夫。いつもこずかいをせびりやってくる生意気な甥と姪やうまくいっていない義理姉が「大丈夫」などと心配してくれる。結局の年寄りの昔話を聞くだけの町内会の集まり(祭りの準備とか消毒とか)も今年は欠席。お盆は自分の田舎の墓掃除と墓まいりを買って出ていたが、それも腰を理由にサボっちゃう。もちろん、毎年義理で行ってた友達のフラダンス発表会とか、子供が生まれたから見においでとかそういう元々行きたくないお誘いも、腰痛を理由に全部断れる。なんか、すごく気がラクなのであった。
ああこれぞ、誰からも必要とされない幸せ!
実はもう腰は大分良くなったけど、もう少しこのままでいようと思う。
(参宮橋ポニー)