アナウンサーの独り言 №17 [雑木林の四季]
友を選ばば・・…・尾崎紀世彦君
コメンテイター&キャスター 鈴木治彦
「やった」去年の大みそか「また逢う日まで」にレコード大賞が決定した瞬間、私は家の者たちと一緒に思わず叫んでしまった。画面では尾崎紀世彦君が得意のポーズ、両手のⅤサインをみせている。そのうち彼のお母さんや、以前彼がアルバイトをしていた茅ヶ崎の黒崎肉屋のおやじさんが舞台に上がってくるや彼の目には涙が浮かび、見ているこっちまで涙が止まらなくなってしまった。この息子の栄光を知らずになくなった彼のお父さんのことを思うとたまらなかった。
尾崎紀世彦君の家と私の家は、茅ヶ崎で隣同士である。お父さんは貝谷バレエ団などへ特別出演しておられたバレエの大家。お母さんも元バレリーナという環境に、彰彦、清彦、幸彦三兄弟の一人として生まれた彼は、小さいころは顔の青ッチロい、体の弱そうな坊やだった。庭つたいにマサキのかきねをくぐり抜けて「おニイサーン」と毎日のように遊びにきていた清彦ちゃんが、そのうちギター片手にワンダースでフォークを歌うようになり、やがて病に倒れたお父さんにかわって一家を支えるようになった。この時期が彼にとっても一家にとっても一番苦しい頃だったろう。
でも長いこと芽が出ないでいる苦闘の間も、彼はくじけずに、ひたすら歌の勉強を続けていた。そしてその苦しみの間にお父さんがなくなった。「また逢う日まで」がパッと世に出て彼が一躍スターダムにおどり上がったのも知らず、その半年前に彼のお父さんはなくなったのである。彼にとってこれほど心残りだったことはあるまい。
その後、あれよあれよという問にあらゆる賞を総なめにして、彼は日本の尾崎紀世彦になった。だがこれほど人気が出ても、彼は以前のままの素直で謙虚な礼儀正しい好青年である。外でバッタリ会ったりすると、道の向こう側からでも「おニイサーン」とあいかわらず大きな声で呼んで駆けよってきたりする。そしてとてもママ思いで、今年の正月にはママをハワイへつれていった。
その彼の今の念願は、一日も早くママのために今の茅ヶ崎の家を建てなおしてあげることだという。だからそのうち私の家の隣にはものすごくりっはな尾崎邸が出現するに違いない。
『アナウンサーの独り言』光風社出版
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