【コラム】「夕食」を味わったことのない韓国の50-60代

 一言で言って、「夕食」というものをじっくりと味わったことのない人生だった。現在の5060世代(50代と60代)は、得てしてそうだろう。1日24時間働き続けた職場で、下宿生のように寝るためだけに帰るマンションの入口で、ヒットラーがアウシュビッツ収容所の入口に貼り付けた「労働が君たちを自由にする」というスローガンの虜になって生きてきた。5060世代には教養もなく、趣味もない。5060世代は、たまたま手に入れたフィルハーモックのチケットを片手に、しわしわの背広姿でコンサートに出掛け、あわてて口に運んだ夕飯のせいでゲップを繰り返しては、眠気に耐えられず、われ知らず椅子から崩れるように落ちていく。次の瞬間、ハッとわれに返って目を見開き、崩れた姿勢を整えるものの、再び眠りに就いてしまう。今だから告白しよう。あのとき、恥ずかしさも忘れて大いびきをかいていたのは、他でもないまさに私だった。残業している同僚のことを思うとなかなか切り出せず、適当にうそで固めて、家族と共にひそかにコンサートに出掛けた私は、まさに5060世代だ。美しく着飾った紳士、淑女たちの冷たい視線を背に受けながら、口元から流れ出るよだれを誰にも見られないようこっそり拭き取った日のことを、今も鮮明に覚えている。

 振り返れば、われわれは「楽しい夕食」というものを経験したことがない。いつも午後9時、午後11時の締め切りに合わせて仕事に明け暮れていた。だからといって、われわれが「ばか」なのかというと、そうではない。何も上司の命令が恐ろしくて、そうしていたわけでもない。国のために昼夜エンジンを回し続けてこそ、数十年、数百年も立ち遅れた先進国との格差を埋めることができると、かたくなに信じて真面目に働いてきただけのことだ。これは何もごく少数の人に限ったことではなく、5060世代であれば、誰もがこのようなコンセンサスを持ち合わせていた。1948年、1カ月かけて船に乗って参加したロンドン五輪。夏服を買う金がなく、冬服を着て参加したその年のロンドン五輪の参加国「コリア」を見ながら、将来は金メダル10個、10位以内入賞という「はるかに高い目標」を達成しなければならないと感じた切迫感がそれだ。民主主義が「まだまだ遠い世界」のことのように思えた時代、5060世代は国民教育憲章の書き出しである「民族中興の歴史的使命を帯びて、この世に生まれてきた」ことを、まるで何かの運命のように叫び続けた。

金侊日(キム・グァンイル)論説委員
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