2012年08月11日

竹島問題と「大河の一滴」

五木寛之「大河の一滴」より
<引用開始>
分断とスポーツについて
 今、この平和な時代に、われわれはばらばらである。孤立して生きている。人間と人間同士がお互いになんの関係もなく、物のように存在している。こういう不幸を、われわれはいま感じているわけです。
たとえばサッカーだとか、あるいは野球だとか、オリンピックだとか、あるいは競馬だとか、こういうものに熱中する人びとを見ていて感じるのは、人間というのは、たったひとりで生きているのではなくて、多数の人間との一体感を求めて生きているのだなということです。
 みんなが、ひとつの試合とか、スポーツの行方に対して一喜一憂しながら、つまり他人が、二人とか三人ではなく、百人、千人、万人という人たちが全部、なにか同じ心にとけあって、いまここに存在している ― 熱い興奮がそこにあって、それを求めて人びとはスポーツに熱中するのではないか。ぼくはそんなふうに思います。
 どんなに経済的に恵まれ、どんなに健康に恵まれ、あるいは幸せに生きていたとしても、孤立している人間というのは、生きているときに本当につらいものなのです。生きていることが喜びと感じられない。そこへ忍びよってくるのが、そのような時代全体が高揚しているとき、その時代に自分も一緒に巻き込まれていく快感、あるいは興奮ではないでしょうか。そんな気がして仕方ありません。
 ファシズムとかナショナリズムとかいうもののきわどさは、そのへんにあるような気がします。いくらそういうものが間違っているといったところで、人間は頭だけで動くものではありません。そして、物でもなく、頭でもなく、利益でもなく、自分と他人とが一体になって、燃えるような興奮なのかにいる、という状況を一度あじわった人間は、その病から免疫を得ることはできないのです。
<引用終了>

韓国の李明博大統領が竹島に上陸した問題は、五木氏指摘の「自分も一緒に巻き込まれていく快感、あるいは興奮」が背景にあると私は見ています。オリンピックの最終章の時期であり、8月15日の日韓併合からの解放記念日をねらって、李大統領は国民のナショナリズムの高揚を政治に利用したのです。新聞各紙は「窮地にある自身の支持率回復をねらった」と論じています。そうであれば、韓国の国益にかなうものにはならないでしょう。

ヤフーの掲示板を見ると、恐ろしい勢いで投稿がなされています。ヤフーの掲示板や2ちゃんねるには、デイトレーダーと呼ばれる人たちが「暇つぶし」のために、常に攻撃相手を求めて群がっています。李大統領は日本人の閉塞感が、このような人たちを生み出したり、原発デモに参加させたりしていることを知りません。

経済評論家の内橋克人氏は、政治を選ぶ投票行動そのものが「うっぷんばらし」と評しています。

広島では、韓国領事館に投石されたそうです。何か怖い雰囲気です。

私も攻撃され、ブログ投稿ができなるかもしれません。

日本人は、冷静になって欲しい、そう願ってやみません。
posted by M.NAKAMURA at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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