2012.8.12 05:05

サオリン号泣!28年ぶり「銅」韓国に圧勝(2/2ページ)

特集:
火の鳥ニッポン
銅メダル獲得を決め、コートで喜びを爆発させる木村(中央)、迫田(左)ら日本チーム。遠かった夢を現実にした(撮影・鈴木健児)

銅メダル獲得を決め、コートで喜びを爆発させる木村(中央)、迫田(左)ら日本チーム。遠かった夢を現実にした(撮影・鈴木健児)【拡大】

 時間が止まった。勝利の瞬間、エース木村は目の前が真っ白になった。1万3500人の観衆があげる地鳴りのようなどよめきの向こうに聞こえる、仲間の声にならない声。無意識に跳びはね、気がつくと、竹下と熱い抱擁を交わしていた。

 「ホントに、ホントに良かった。今まで積み重ねてきたことが最後の最後に結果になりました」

 メダルをかけた韓国との大一番。ことし5月の世界最終予選で敗れた相手にここで負けるわけにはいかなかった。チーム最多得点は後輩の迫田さおりに譲ったが、2位タイの11得点。集中して狙われるサーブレシーブで我慢し、流れの中の守備も献身的にこなした。

 17歳で五輪代表に選ばれ、初出場したアテネ大会から8年。「メダルがあるのとないのは違う。絶対に日本に持って帰ろうと思った」。夢にまで見たメダルに、やっと手が届いた。

 ママさんバレーをしていた母・朋子さん(47)の影響でバレーを始めた。小学生の頃から工夫して練習するのが好きで、自分でトスを上げてスパイクする練習は単調ですぐに飽き、あえて打ちにくいボールを上げて遊んでいた。視力は両眼とも2・0。動体視力にたけ、わずかに空いたコースを見極めたり、守備陣をあざ笑うかのようなフェイントをコートに落としたりと状況に応じたプレーは早くから世界水準だった。

 強豪・成徳学園中(東京)に進学後は朝練習のため、毎朝5時半の始発電車に乗る日々。全日本の合宿に呼ばれたのは高校2年の夏。だが、夏休みがなくなることの方が嫌だった。翌年のアテネ五輪は、本番直前に腰痛になり不完全燃焼に終わった。続く北京五輪も準々決勝で敗退。決勝戦を生観戦し、ロンドンに懸ける思いを強く持った。

 「チームを引っ張ったというのはない。テン(竹下)さんが引っ張って、まとめてくれた」

 好不調に関係なく、ここ一番で自分にトスを上げ続けてくれた恩人。ともに泣き、ともに笑った日々を思い返し、力いっぱい抱き合った。

 「自分ではまだエースとは思っていません。真鍋さんが思い描く選手にもなれていないと思う」と木村。大会後には海外初挑戦となる強豪揃いのトルコリーグ移籍が決まっており、「いろんな刺激を受けられたらいい」と向上心は尽きない。

 「全員が同じ気持ちで戦ってメダルを取れたことに満足しています。早く帰って、親やたくさんの人に見てもらいたい」

 今月19日が26歳の誕生日となる木村。自らへのバースデープレゼントは、ここまで自分を育ててくれたバレーボールと仲間への最高のプレゼントにもなった。(山田貴史)

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(紙面から)