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視点・論点 「電力自由化のリスク」2012年07月31日 (火)
21世紀政策研究所研究主幹 澤 昭裕
今日は、いま話題になっている電力の自由化問題について、気をつけておかなければならない点をいくつか申し上げたいと思います。
これまで電気は、それぞれの地域で大きな電力会社によって供給されてきました。家庭は電力会社を選ぶことができません。企業は電力会社を選ぶことはできますが、新しい電力会社は規模が小さいうえに数が少なく、実質的に選べる状況にはなかったと言われています。電力の自由化とは、こうした状況を改革して、様々な電力会社を競争させて、消費者が料金メニューや供給先を選べるようにしていこうという政策です。
もちろん、こうしたメリットばかりが実現するならば、政策の方向性に大きな問題はありません。しかし、電力の自由化に伴って、様々なリスクやデメリットも生まれます。そうしたリスクやデメリットを正しく認識しておく必要があります。
第一に、いまの状況で電力の自由化を急げば、必ず料金は高騰します。
ここ20年来、電力の自由化政策は日本を含む世界中で進められてきました。
しかしその発端は、発電設備が余っていて、それが有効活用されていない状況が続き、そのために電気料金が高止まりしていたことにあるのです。自由化政策によって市場での競争状況を作り出せば、余分な設備を抱えている電力会社は経営が悪化します。それを避けるために、電力会社はより効率的な設備利用を考えたり、無駄な設備を廃棄したりするでしょう。その結果、電気料金が下がるだろうというのが自由化の狙いです。
ところが、いまの日本の状況はどうでしょう。総発電電力量の3割を担ってきた原子力発電は、ほとんどすべてが停まっています。無駄に余っている発電設備はありません。そのうえ、原発の代替として目一杯動かしている火力発電は、原発に比べて燃料費が相当高いため、発電費用がかさみます。その費用を単純に電気料金に転嫁すれば、いまの約2割アップになるでしょう。
それならなぜいま日本中の家庭の電気料金がそれほど上がっていないのでしょうか?それは、料金が自由化されずに国によって規制されているからです。つい最近、東京電力の家庭向け電気料金の値上げが認可されました。認可前に、経済産業省や消費者庁で値上げ幅の妥当性が厳格に審査されました。そして最終的には、東電が燃料コストアップ分を賄うために必要だとして申請した値上げ率が削減されたのです。
ところが、自由化したらどうなるでしょうか。こうした規制的なプロセスはすべて廃止され、市場の価格形成に委ねられます。そうすると、需要と供給が一致する点で電気料金が決まります。いまのような発電設備が足りない状況の中では、節電が相当進まない限り、電気料金はアップしてしまうわけです。
もちろん節電を進めることは重要です。
自由化を支持する論者は、電気料金を上げれば需要が減るはずだと考えています。しかし、電気は生活必需品です。収入の少ない家庭では、普段からぎりぎりまで節電を進めていることでしょう。電気料金が上がったからといって、さらに切り込むことは大変難しいことです。
実は、こうしたことが政治問題となって、アメリカでは電力の自由化は止まってしまいました。家庭向けの電気料金は、やはり行政的な規制のもとにおいて、きちんと監視しておくことが必要だという判断からです。その結果、自由化を進めた州の電気料金は、自由化をやめた州に比べて、高いままの状態が続いています。
第二のリスクは、停電の可能性が増すことです。
自由化されて競争が激しくなると、どの電力会社も余分な発電設備を持たなくなります。いざどこかの発電所でトラブルが起こったり、自然災害に見舞われたりして供給力が大きく失われた場合や、気温が上昇して電力需要が急増した場合、最後のバックアップ役を引き受けてくれる存在がいなくなるということです。どの会社も普段から目一杯設備を稼働させているので、需給が急に逼迫する場合は、対応不可能です。むしろ、電気が足りない状況を利用して、電力の出し惜しみをして料金をつり上げる会社が出てくることも考えられます。
石油は、政府が国家備蓄を持っています。しかし、日本の全電力消費量の何日分もの電気をためられる蓄電池はありません。結局、電力会社にそのバックアップの役割を担ってもらうしかないわけです。これまで地域独占が認められ、料金も総括原価方式で規制されていた理由の一つは、電力会社にこうしたバックアップ用の設備やサービスを確実に維持させることにあったのです。したがって、自由化を進めれば、こうしたバックアップの役割を誰が担うのか、またそのためのコストは誰が払うのかが大きな問題となります。
実は欧米でも、こうした問題をうまく解決できていません。例えば、カリフォルニア州では、自由化政策を進める際に予備力になる電源をどう確保するのかをキチンと考えなかったために大停電を起こしました。また自由化の成功例と言われるテキサス州でも、競争によって予想利益率が低下したことから、設備投資が進んでいません。その結果、ここ10年で既に2回の計画停電を起こしており、毎年夏冬になると、需給の逼迫で電気料金が高騰しています。
日本でも、原発再稼働が進まなければ、当面、電力の供給力に余裕ができることはありません。供給力の実態を無視して自由化政策だけを進めていくことは、非常に危険です。
また、今月初めからは、自然エネルギーの導入を進めていく政策が取られています。こちらはむしろ競争原理を無視した政策です。消費者は、発電コストが高い太陽光や風力で発電する事業者から、従来の電気の数倍の値段で(電力を)買うことを求められます。こうした電源は、自然任せですから、風が吹かなかったり、太陽が照らないときには、火力発電のバックアップが必要になります。しかし、自由化を進めば、こうした自然エネルギー発電事業者をバックアップする役割を進んで担おうとする電力会社は皆無となるでしょう。風が吹いているときには、自社の火力発電設備を止めなければならず、余剰設備となってしまうからです。自然エネルギー導入政策と自由化政策は、このように相矛盾する問題をはらんでいるのです。
最後に、発送電分離の問題に触れておきたいと思います。発送電分離は、こうした自由化政策を補強する一つの方法論です。送電線を公共のものとして、どの発電事業者にも公平・平等に使わせるという方策です。しかし、一部には発電部門もバラバラにして行くことが発送電分離だと考えている人もいます。送電線への公平なアクセスを求めるだけでなく、発電部門も小さく分割すれば、深刻な副作用は避けられません。
発送電分離を積極的に進めた国は、どこもエネルギー自給率が非常に高い国ばかりです。発電部門がバラバラになってしまうと、日本のように化石燃料を全量輸入に頼っている国では、燃料調達の交渉力が致命的に失われます。小さな会社ごとに、相手国政府や国有企業に調達交渉に行っても、有利な条件を勝ち取ることは不可能です。
また、発電会社、送電会社とも組織的に分離されるとなると、組織の壁が高くなり、現場でのコミュニケーションが欠如することは間違いありません。韓国では、発送電分離後の各社間での意思疎通がうまくいかなかったために、去年の夏に大停電を起こしてしまいました。
日本では東日本大震災後、電力会社は、津波で大きな被害を受けた火力発電所を何とか夏までに復旧させました。東北電力は1週間のうちに9割以上の世帯の電気を復旧させたのです。こうした電力会社の現場力に目を見張るものがありました。こうした現場で培われた技術力やトレーニングされた人材は、日本全体の財産です。一部の有識者が頭の中だけで構想した発送電分離モデルは、実際に人間が働く現場にどのような影響を及ぼすのかを捉えきれていないのではないでしょうか。発送電分離問題の検討は、時間をかけて慎重に進めるべきでしょう。