『僕のアスカ。太陽のような君。』
リベール王国来訪編(FC)
外伝二話 始まりはメイプルクッキー、そしてリフレッシュパイへと続く道
<ロレント市 リノン総合商店>
ロレント市の南側の入口からすぐ入ったところの左手に、リノン総合商店というこの街で唯一の雑貨屋がある。
その名の通り、アクセサリ、小物類の雑貨はもちろん、ストレガー社製のスニーカー、チェロ、レモン色のワンピース、薬や食料まで置いてあるシンジ達の世界では「コンビニ」のようなものだった。
そこの店主の青年リノンは、カウンターに座りながら帳簿とにらめっこをしばらくした後、困惑と苦笑が入り混じった様子で溜息をついた。
「全く、嵐のような騒ぎだったな」
リノンがブツブツそう呟いていると、ワンピースに真っ白なエプロンを身に纏った女性、キディがニコニコと微笑みながら姿を現した。
「エステルちゃんとアスカちゃんを見送ってきました。……二人とも凄い張り切りようでした。ヨシュア君とシンジ君を驚かせてあげるって」
「新鮮ミルク、挽きたて小麦粉、メイプルシュガーを99セット。こんなに売れたのは初めてだよ」
「スニーカーを買うつもりで来たらしいですね。……でも、リノンさんのクッキーを食べたら気が変わったって。そんなにおいしかったんですか?」
キディの言葉にリノンは力の抜けた笑顔を浮かべる。
「ああ、メイプルクッキーには自信があるんだ。……ごめんよ、キディさんの分は今日はもう無理みたいだ」
それに対し、キディは可愛らしい笑みを浮かべて答える。
「別に構いませんよ。アスカちゃんは私の恩人なんですから……」
「恩人って?」
キディは顔を赤らめてリノンを見つめる。
「だって私をこんな素敵な……」
窓から小鳥のさえずりが聞こえる。
二人の間に訪れる沈黙。
「……こんな素敵なお店と巡り合わせてくれたんですから」
リノンは目を輝かせて言ったキディに少しがっかりしたような笑みを浮かべた。
キディはロレントから少し離れた、王都グランセルのエーデル百貨店で働いていた。
しかし、ある日アスカがリノンの店にやって来て、美味しい紅茶が無いと不満を言いだしたのだ。
チェロが欲しい、ブランド物の服が欲しい、上品な紅茶が飲みたい!
それはこの田舎都市とも言われるロレントの雑貨屋では無理な話だった。
今までのんびりと店をやっていければいいと構えていたリノンだったが、アスカの要求には困り果てて、エーデル百貨店に相談の手紙を出した。
そこで、派遣されてやってきたのが、紅茶販売係をやっていたキディ。
今まで恋愛に興味が無く過ごしてきたリノンの胸をかき鳴らす存在だ。
「実は、この前エーデル百貨店に退職願を送ったんです」
舌を出して微笑むキディにリノンはとても驚く。
「ええ!? それじゃあここのバイトも辞めるっていうのかい?」
「いえ、こちらで働いていたいんです」
「そ、それって……」
リノンが震える声でそう言うと、キディは鈴のような軽やかな声で答える。
「ずっと、側に置いてくださいますか?」
リノンは唾を飲み込みながら頷いた。
彼の母親のブルームが嫁探しの旅に王国中を回る事も無さそうだ。
<ブライト家 台所>
「さあ、行くわよっ!」
「ドキドキするねっ」
ブライト家の台所ではウワサに上がった少女、アスカとエステルがメイプルクッキーの材料を揃えていよいよ調理にかかろうとしていた。
シンジとヨシュアの二人は、遊撃士協会の仕事の依頼でミストヴァルトの森へ行っている。
アスカが受付のアイナに頼み込んで苦肉の策として出してもらった依頼だ。
「エステル、足を引っ張らないでよ!」
「やだなぁ、アスカも似たようなものじゃない」
エステルはこの前ようやくオムライスを普通に作れた程度の腕前。
アスカは料理はずっとシンジに任せっぱなしで、こちらの世界に飛ばされてからやっと料理を始めた始末。
一緒に調理をするエステルの底抜けに明るすぎる笑顔を見て溜息をついた。
縞模様の怪しい使徒の影にエヴァごと飲み込まれてこの中世を感じさせる世界に来てから数ヵ月。
アスカはいろいろ世話になったお礼をシンジとヨシュア、カシウスにするつもりでリノン総合商店に足を踏み入れた。
そこで、リノンは休憩しようと思っていたのか、テーブルには美味しそうな匂いを漂わせるクッキーと湯気を上げる紅茶の入ったカップが置かれていた。
目ざとくクッキーを見つけたエステルはまるで自分のことのようにリノンのクッキーを自慢する。
「リノンさんのクッキーはね、とてもおいしいんだよ!」
無邪気な笑顔で誉めるエステルに、リノンは苦笑しながら、”ちょっと”摘むように勧めた。
だが、リノンはエステルの食欲旺盛さを失念してしまっていた。
アスカが止めてもパクパクとエステルは食べ続け、皿に盛られたクッキーはあっという間に空っぽになってしまった。
キディが仕方無いな、と言う感じで微笑みながら溜息を付くのを見て、アスカはこのクッキーが誰のために用意されたものであるか察して、エステルの背中をにらんだ。
しかし、クッキーがとてもおいしかったのも事実。
そこでアスカは一石二鳥の策を思いついた。
「ねえ、リノンさん。この美味しいクッキーの作り方、教えてくれない? 上手くできたらお返しするから」
アスカにせがまれたリノンはカウンターをキディに任せて二人のためにメイプルクッキーの作り方を教える事にした。
台所から店内にあふれ出してくる香ばしい匂い。
それをまた間の悪い事にスクープに鼻が利く、街の小さな”記者”クルーセに嗅ぎつけられてしまったのだ。
「みんなー、リノンさんの店でクッキーの焼き方教室をやってるよー!」
街中にそのスクープを報じて回ったものだから、興味のある女性がわらわらと集まってきた。
街に居るエリッサやステラ、アイナはもちろん、普段は街から外れたパーゼル農園に居るティオまでやってきた。
退くにひけなくなったリノンは講師としてクッキーの作り方を説明し、アスカはその内容をメモに取っていた。
「今日はホワイトデーと言って、クッキーを焼いて日ごろの感謝の気持ちを伝える日なのよ」
アスカの言葉にその日のリノンの店では新鮮ミルク、挽きたて小麦粉、メイプルシュガーが売れに売れた。
そして今こうしてアスカとエステルは台所に立っているのである。
現在の個数……新鮮ミルク99個、挽きたて小麦粉99個、メイプルシュガー99個
「あー、焦げちゃった!」
「火加減が難しいわね」
現在の個数……新鮮ミルク98個、挽きたて小麦粉98個、メイプルシュガー98個
「エステルっ! トレイを乱暴に取り出すから、ボロボロになっちゃったじゃないの!」
「ごめーん」
現在の個数……新鮮ミルク97個、挽きたて小麦粉97個、メイプルシュガー97個
「なんかおいしくないねー。もっとメイプルシュガーを多く入れてみようか」
現在の個数……新鮮ミルク96個、挽きたて小麦粉96個、メイプルシュガー95個
「甘すぎ……今度はミルクを多めに……」
現在の個数……新鮮ミルク94個、挽きたて小麦粉95個、メイプルシュガー94個
「なんか、びちゃびちゃしてるよー」
<ミストヴァルトの森>
アスカとエステルが台所でクッキー作りに挑戦している頃、シンジとヨシュアは遊撃士協会の緊急の依頼で深い森の中を探索していた。
受付のアイナの説明によると、街の教会のデバイン教区長が薬の調合に必要な「ピンク色のベアズクロー」という草をを必要としているらしい。
そして、その草は女性が近づくと枯れてしまうという性質を持っているので、アスカとエステルは同行できないという話だった。
シンジはちょっと違和感を感じる依頼内容に首をかしげながらもヨシュアと共に森へと向かっていた。
「これは……白いベアズクローだね。朝から探しているのに、なかなか見つからないな」
シンジは自生していたベアズクローを傷つけないように確認すると溜息をもらした。
現在の個数……新鮮ミルク80個、挽きたて小麦粉78個、メイプルシュガー77個
「もっと奥の方に行かないと見つからないかもしれないね。湿気を好むって言うし」
ヨシュアはそう告げると歩きにくい道を奥へと進んで行く……。
シンジは慌てて後へと付いて行く。
そしてしばらくシンジとヨシュアは森の中を再び探索したが、目的のものはなかなか見つからない。
「はぁっ、はぁっ……」
「ここら辺で休憩にしようか」
魔獣との戦いもあって相当疲れたのか、息の切れたシンジを見て、ヨシュアは広場になったところで休む事を提案した。
現在の個数……新鮮ミルク60個、挽きたて小麦粉60個、メイプルシュガー60個
「やっぱり君達はアーツを使った戦いの方が向いてるね」
「ごめん、全然体力が無くて。これじゃあ足手まといだよね」
「……今はそうかもしれないけど、努力すれば平気だよ」
ヨシュアがさらりとそう言ったのでシンジは苦笑しながら言い返す。
「普通、そんな事は無いって否定するものじゃない? 結構キツイこと言うんだね君は」
「はは、それはきっと僕がシンジに対して遠慮が無くなってきたからだよ。本当の意味で家族になれて来たってこと」
「そう言われると嬉しいな」
休憩の間、シンジとヨシュアはお互いの事を話ながら過ごした。
現在の個数……新鮮ミルク40個、挽きたて小麦粉40個、メイプルシュガー40個
シンジとヨシュアは探索の末、ついに森の奥のセルベの大木の近くに生えていたピンク色のベアズクローを見つけた。
「やっと、見つかったね。赤と白のベアズクローばかりで焦ったよ」
「そうだね、空が完全に茜色に染まったら分からなくなるところだったよ」
見れば時刻は夕方に差し掛かっている様子だった。
二人は急いで森を出て、デバイン教区長が待っているという街の入口に向かうためエリーズ街道を北上する。
現在の個数……新鮮ミルク23個、挽きたて小麦粉25個、メイプルシュガー20個
「確かに受け取りましたよ。ありがとうシンジ君、ヨシュア君」
デバイン教区長にピンク色のベアズクローを渡したシンジはホッと胸をなでおろした。
「難しい依頼だったけど、達成できて良かったね……ヨシュア?」
ヨシュアは何がおかしくてたまらないのか、必死に笑いをこらえているようにシンジには見えた。
「いや……教区長さんにまで嘘を付かせるなんてさ」
「嘘?」
喋りすぎてしまったと後悔したのかヨシュアは口をつぐむ。
現在の個数……新鮮ミルク9個、挽きたて小麦粉10個、メイプルシュガー8個
「今頃、アスカ達は家で夕食でも作っているのかな?」
すっかり茜色に染まりきった空に浮かぶいわし雲を見つめながらそう呟くと、ヨシュアは真剣な顔になってシンジに向かって話しかける。
「なんか、急いで帰らないといけない気がするんだ」
「……僕もそんな気がするよ」
ヨシュアとシンジはそう言って顔を見合わせて頷くと、疲れ果てた体に鞭を打って急いで街の郊外に立つブライト家へと急いで帰るのだった。
家が見える場所までたどり着くと、煙突から煙が上がっているのが見える、周囲に香ばしい匂いと少し焦げくさい匂いが漂っている。
玄関のドアを開けると、アスカが驚いた顔をして叫ぶ。
「うげっ、もうシンジ達、帰って来ちゃったの!?」
「……どうしたのアスカ、そんなに驚いて。夕食を作っていたんじゃなかったの?」
わけが分からない様子で呆然と見つめるシンジに、ヨシュアは極めて冷静に声をかける。
「どうやら、夕食を作っていたわけじゃないみたいだよ」
「えへへ、アスカがね、シンジにクッキーを作ってあげるって張り切ってたんだよ」
台所の様子を見て、シンジも納得した様子でアスカに話しかける。
「アスカ、そうなの?」
「バ、バカっ! シンジはおまけよ! カシウスさんやヨシュアのついで」
「えー? だってさっきからずっとシンジの名前しか言って無いよ? 父さんやヨシュアの名前なんて一言も!」
シンジの言葉を否定したアスカだったが、エステルの暴露によって顔を真っ赤にする。
「ええ、そうよ! アンタには世話になったから礼の一つでもしないとアタシのプライドが許さないからね! ……でも」
アスカは開き直って言い返したが、最後には下を向いて声を落とした。
現在の個数……新鮮ミルク1個、挽きたて小麦粉1個、メイプルシュガー1個
「なるほど、もう失敗できないね。……任せて」
ヨシュアは慣れているのか手際良くメイプルクッキーを焼いた。
そして一枚のクッキーを4つに割って口に入れる。
「すっごい、ヨシュア、リノンさんが作ったみたいにおいしい」
「何で、比率が変わらないのにこんな美味しくできるのよ」
質問するアスカに、ヨシュアは少しからかうように答える。
「料理の年季の差だと思うよ」
「なんですってー!」
シンジはヨシュアがアスカに向かってそんな冗談を言えるようになった事に驚き、そして笑みを浮かべてアスカを宥める。
「……ところでさ、夕食はどうするの?」
「……あ」
……その日の夕食はロレントの街のアーベントでの外食になった。
<王都グランセル 西区画 コーヒーハウス《パラル》 >
それから数ヵ月後、リベール王国各地を旅したシンジとアスカ、ヨシュアとエステルの四人は女王誕生祭で賑わう王都の一角に居た。
「えーと、リフレッシュパイの一人前は挽きたて小麦粉5、メイプルシュガー1、完熟リンゴ1、アゼリアの実1、泥付きニンジン1、ロイヤルリーフ1、フレッシュハーブ1ってところね」
そう呟きながら材料を用意して調理していくアスカの姿を見て、店の主人の老人は感心した声をあげる。
「ほう、お嬢ちゃん手際が良いな」
「アスカ、手伝わなくていい?」
シンジの言葉にアスカはウインクを返す。
「大丈夫、シンジ達はゆっくり座って待っててよ」
ここは濃くて渋いコーヒーと、香辛料の効いたスパイシーなカレーを出す専門店だったのだが、祭りで盛り上がる王都に初めて来る観光客も多く、甘いものを食べたいというお客も来ていた。
しかし、店主の老人は甘いものを作るのが苦手だった。
そこでおせっかいなアスカが店主の老人の代わりにリフレッシュパイを焼くことになったのだ。
「でも、アスカがこんなに料理が上手くなるなんて思わなかったよ」
エステルが感心した様子で言うと、シンジはクスリと微笑む。
「アスカは傷つけられたプライドを10倍にして返すって言ってたからね。ヨシュアに言われた事が堪えたんじゃないかな」
「僕は、それ以外にも原因があると思うけど……」
ヨシュアがからかうようにシンジの目を見つめると、シンジは照れ臭そうに嬉しそうに笑った。
「できたわよ、みなさん、お待たせー」
アスカがそう言って老人と共に店内の客にパイを配って行く。
甘いものに目が無い女性客はもちろん、普段カレー目当てで来ている男性の常連客も感心している様子。
アスカもシンジの隣に腰を下ろす。
「どう、シンジ?」
「うん、美味しいよ、適度に甘くて」
アスカに差し出されたパイを口に入れたシンジは笑顔で答える。
エステルとヨシュアも、店内の客も、この若いカップルの姿を微笑ましく見守っていたのだが……。
「あ、シンジ。唇にリンゴがついてる」
そう言ってアスカは素早くシンジにキスをするようにシンジの唇についたかすかなパイ生地とリンゴの塊を舐め取る。
「うん、甘くておいしい♪」
その様子を目撃した店内の客達は胸を押さえて苦しみ出す。
「甘い……甘すぎるぜ、このパイは……」
「甘過ぎよぉ……!」
「おかしいわね、リンゴが甘すぎたりしたのかしら」
そんな客の様子に首をかしげながら自分の作ったパイを頬張るアスカ。
女王生誕祭の間、この店は世界一甘いパイを出す店として噂になった……。
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