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【サッカー】佐々木監督「立派な銀。選手を誇りに思う」2012年8月11日 紙面から 優しくほほ笑んでいた。聖地に無情の笛が響くと、一呼吸置いて佐々木則夫監督(54)はピッチへゆっくりと歩みを進めた。あおむけに倒れてむせび泣く宮間を抱き起こした。泣きじゃくる丸山の体を両腕でそっと包み込み、涙が止まらぬ岩渕の頭をポン、ポンとたたいた。全力で駆け抜けた「なでしこ」を迎え入れる温かな姿は、娘の成長を喜ぶ父親のようだった。 「この大会で一番いいゲーム、決勝にふさわしいゲームをしてくれた。本当に立派な銀メダルだと思う。僕自身は非常に満足している。結果は出なかったけど、選手たちを誇りに思っている」 監督就任5年半。スポットライトなど浴びることのなかった「なでしこ」を、まぶしい光が差し込む場所へと導いた。あらゆる苦難を乗り越えて−。そのストーリーは挫折と失敗が続いた佐々木監督の人生とどこか重なった。 埼玉・川口市の芝中学時代。サッカーにのめり込みすぎ、ガムシャラにボールを追って足首の骨を折った。完治すると、運動会の応援の練習中に、土台にしていた椅子が崩れて鎖骨骨折。「どん底。悔しくて、悔しくてしょうがなかった」。3年間、公式戦で一度もプレーできなかった。 西野朗氏(現J1神戸監督)に憧れ、浦和西高校を受験したが不合格だった。名門の帝京高に進んでインターハイ優勝、高校選手権4強、高校選抜という華やかな経歴を加えたが、今度は大学受験に失敗した。明治大時代はユース代表から漏れ、大学選抜ではレギュラーにもなれなかった。 NTT(旧日本電信電話公社)時代の1985年、妻の淳子さんが病に倒れた。髄膜炎だった。付きっきりで看病するため、約1年半もサッカーから離れた。悩んだ。「サッカーを辞めようと思った」。でも、淳子さんが背中を押してくれた。 「あなたが大好きなサッカーなんだから、やりなさいよ」 幾多の苦難に直面してきた。「すごく苦しいときが何度もあった」。ただ、決して逃げなかった。陰で日向で、周囲の支え、励ましがあったからずっと頑張れた。だから、自信を持って言える。 「厳しいところを乗り越えるとき、人間はすごいパワーが出る。乗り越えれれば、それがパワーになるんだ、と」 なでしこを満開に咲かせたタクトは、指揮官自身の生き様だった。 (松岡祐司) PR情報
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