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【サッカー】

沢 “最後の五輪”で悲願メダル

2012年8月11日 紙面から

試合後、銀メダルを胸に母満寿子さん(右)と握手を交わす沢(沢田将人撮影)

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 【ロンドン松岡祐司】サッカー女子のなでしこジャパンは9日、当地のウェンブリー競技場で行われた決勝戦で宿敵の米国に1−2で惜敗し、昨年の女子ワールドカップ(W杯)優勝に続く“連覇”はならなかった。初出場した1996年アトランタ大会から4度目の五輪で、ついにメダルを手にしたMF沢穂希(33)=INAC神戸=は「W杯優勝と同じくらいの重み」と話し、感謝の気持ちを表した。今大会限りでの代表引退は明言しなかったが、「集大成」と位置づけた大会で「銀」に輝く大きな成果を収めた。

◆顔がくしゃくしゃに

 宮間の体を力の限り抱き締め、安藤とは肩を組んで屈託なく笑った。

 「よくやったよ。よく頑張ったよね」「みんな、本当にありがとう」

 試合後、明るく声をかけ続けたが、1人になると涙があふれた。こぼれ落ちないように頑張って顔を上げた。無理に笑おうとしたら、顔がくしゃくしゃになった。沢はロンドンの空を見つめ、大きく息を吐いた。

 「目指してきたのは金メダルだったけど…。正直悔しいけど、後悔はないです。最高の舞台で、最高のスタッフ、最高の仲間と最高の相手とやれた。五輪のメダルを目標に掲げてやってきて、18年、19年かかったけど、やっとメダルを取れた。W杯の優勝の時と同じくらいの重みだなって思う」

 因縁のライバル決戦。重い展開、行き詰まる攻防の最終局面で、沢はやはり沢だった。

 「まずは1点」

 2点を追う後半14分、阪口に代わって田中が入ると、沢はボランチから1列前に上がり、かつての主戦場だったトップ下へ。これが反攻の合図。監督の指示ではなく、沢自身の判断だった。

 「『沢をトップ下にしろ』という指示はしていない。とにかく前線、中盤の選手もどんどん積極的に上がるように、と。その中で、沢はトップ下で活動してくれたんだと思う」(佐々木監督)

 その4分後だ。宮間のスルーパスで抜け出した大野が右足で折り返すと、ゴール前へ駆け上がった沢がダイレクトでシュート。一度はDFに阻まれたが、あきらめない。猛然と詰め寄り、体を投げ出してクリアボールを右足に当てた。執念が乗り移った球は大儀見の足元へこぼれた。

 「最後の最後まで走り続けて、最後まであきらめず、みんなで点を取りに行く気持ちだった」

 強気な姿勢の陰で、消耗、重圧は想像を絶した。今年3月、ポルトガルで突然、めまいに襲われた。6月のスウェーデン遠征までは「調子が上がらず不安だった」。死力を尽くして乗り越えた先にあった「感謝、恩返しのメダル」。今大会を最後に代表引退を視野に入れていたが、現状では「ノープラン」と保留。今は体を休め、長年の思いが詰まったメダルの充足感に浸る。

 

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