アスカは音の無い世界で、シンジに看取られ死を迎えた。
しかしアスカの意識は途絶える事は無かった、アスカの魂はまだ肉体にとどまっていたのだ。
だからシンジが自分の体を抱きしめて叫んでいる事は分かったのだが、アスカは答えられなかった。
シンジがレイの誘いを断ってこの世界に残ると宣言した時は、アスカは自分の胸を打たれる思いがした。
しかし自分はもう死んでしまったのでその気持ちだけで充分嬉しい、だからレイと幸せな世界で暮らしてほしいとシンジに伝えようにも伝える事のできないもどかしさをアスカは感じた。
そしてアスカはシンジの側でレイの話を聞いた。
この世界を巻き戻してもう一度やり直せる。
その話を聞いた時はアスカの胸にも自分も生き返る事ができるかもしれないと希望が芽生えた。
しかし逆行して戻る事が出来るのはシンジだけだと聞いた時、アスカは落胆してため息をついた。
「やっぱり、アタシはこのまま死んでしまうのね」
赤い世界が崩壊する寸前、シンジの顔がぐっと自分に近づいて来た。
自分がキスをされているのだと、アスカは理解する。
「……バカね、もう遅いのよ」
でもアスカはシンジが最後に自分の事を想ってくれていた事に胸がいっぱいになり、涙があふれる感覚を感じた。
すると、シンジが驚いた顔をして自分を見つめているのにアスカは気が付いた。
そして急に感じる浮遊感。
アスカは自分の意識がシンジに吸い込まれて行く気がしたところで意識が途絶えた。
視界が開けた時、アスカは自分が第三新東京市のリニアレールの駅前に立っている事に気がついた。
「使徒はまだ来て居ないようだし、あの時より早く来れたのかな」
シンジの独り言がアスカの頭の中に直接響いた。
まるで大声でどなられているようだった。
アスカはシンジに向かって言い返してやろうと思ったが声が出ない。
そして、シンジの見た事、聞いた事、感触などが自分にそのまま伝わって来ている。
アスカはこの世界では傍観者なのだと言う事を理解し始めた。
自分からシンジに何かを伝えたくても伝えられない。
しかし、シンジのもらしたつぶやきは自分の頭の中に直接伝わって来る。
どうしてこのような事になってしまったのかアスカは思考を巡らせる。
思い当るのはシンジにキスをされたと言う事だけだ。
そして、アスカはこの状態を自分に課せられた義務として受け入れる事にした。
自分から意識を消滅させる方法はあるのかもしれない。
しかし、シンジが全ての使徒を倒し終えるまでは見届けようと思ったのだ。
アスカはシンジが戦略自衛隊の部隊と戦っている時もただ見ている事しかできなかった。
ATフィールドでネルフ本部を包むと言う消極的な戦い方。
自分は夢中で戦艦や戦闘機を破壊していたのを思い返すと、いかにもシンジらしいとアスカは思った。
シンジがミサトと同居をする事になって、シンジがアスカとまた3人で暮らせるかもしれないとミサトが驚くほど大喜びした時は、アスカは自分まで恥ずかしくなる思いをした。
「でもミサトさんが僕と同居したのは、父さんに言われて僕を監視するためなんだよね」
シンジが悲しそうにつぶやくとアスカも、同じように悲しい気持ちになった。
アスカは思いつく限りの言葉でシンジを励ましたが、その思いがシンジに伝わらない事に悔しさをにじませた。
「アスカに会ったら、第一印象は好かれるようにしないと」
そう言って鏡の前で色々な服装を試すシンジ。
この時シンジはまだ中学校に通っていなかったため、シンジは私服を着て行く事になった。
相変わらず服装のセンスの悪さにアスカは苦笑した。
使徒の力を得てもそこは前と変わらない。
シンジが出会う事になったパイロットがアスカでは無くカヲルだった事には、アスカもガッカリした。
「さ、さっさと離れなさいよ!」
カヲルがシンジに抱きついた時、自分もカヲルに抱きしめられている気がしてアスカは鳥肌が立った。
シンジが自分の心を崩壊させた使徒があっさりと倒したのを見ると、アスカは胸がすっとした気分になった。
本当は自分の手で倒したかったが、今のシンジとは一心同体の様なものだ。
「使徒の出てくる順番が……もしかして、世界全体が”逆行”しているっていうのか?」
シンジのこの言葉を聞いた時、アスカはその推測はおそらく正しいと思った。
すると、アスカとシンジが会うのはかなり先だと言う事になる。
この世界のアスカは自分とは違う存在だ。
シンジがこの世界のアスカと上手くやっていけるようであれば、アスカは自分の意識を閉ざしてしまおうとも考えていた。
同じアスカだとは言え、自分以外の人間と親しくしているシンジには、自分は耐えられないと思ったからだ。
そしてシンジとレイが再会し、レイの笑顔を見たアスカはとても驚いた。
それはアスカが見てもかわいいと感じる笑顔だったからだ。
「ちょっとシンジ、”アタシ”と会うまでその感動はとっておきなさいよ!」
アスカはレイの笑顔を見て大喜びをするシンジに、そうぼやいた。
次の使徒戦もシンジは楽に勝利するものと思っていたが、アスカの予想に反する結果になった。
シンジの攻撃が使徒に通用せず、カヲルが使徒を道連れに自爆してしまったのだ。
「僕はまた、カヲル君を殺してしまった……! ちくしょおおおおお!」
使徒戦を終えた後のシンジの咆哮がアスカの頭の中にも響く。
目の前で守りたいものを失ってしまったシンジの心の痛みがアスカにもヒシヒシと伝わって来る。
この時アスカは、慰めの言葉一つ掛けられない自分の無力さに心の底から腹を立てた。
しかしトウジ達と出会いシンジが中学校での日常生活を楽しむようになると、アスカはホッと胸をなで下ろした。
このシンジの小さな幸せが壊されないようにアスカは祈りつづけた。
だが、その幸せはすぐに壊された。
シンジはトウジが死ぬ事となった過去の悲劇を何とか回避しようと必死に努力するがそれも叶わず。
「ちくしょおおお! 止まれ、止まれー!」
「止まりなさいよ!」
ダミープラグが起動し、トウジの乗った四号機を滅多殴りにして行く初号機に向かってアスカも必死に念じた。
そして四号機に乗っていたトウジが命の危機である重体に陥ると、シンジは滝のような涙を流す。
アスカもトウジの入院を知ったヒカリが受けるショックを考えると、胸が張り裂けそうな思いだった。
「ヒカリ、ごめん……鈴原を助けられなかった……!」
アスカも自分の事のようにヒカリに対して何度も謝った。
その後、シンジがレイと話している時に、アスカは冷静さを取り戻した。
「気が強くて意地っ張りだけど、本当は面倒見の良い優しい子なんだよ」
「あ、あたしったらシンジにあんなにわがままな態度を取っていたのに……」
シンジにそう言われた時、アスカは顔から火が出るほど真っ赤になっていた。
こんな素直にシンジに褒めてもらったのは初めてだからだ。
「きっとエヴァのパイロット同士、仲良くなれるはずだよ」
自信たっぷりにシンジはレイにそう言うが、アスカはやはり意地を張ってしまうのではないかと少し不安だった。
「こればっかりは、シンジに頑張ってもらうしかないわね……」
次に現れた使徒も無情にもまたシンジとアスカの幸せと希望を奪って行った。
「……さよなら」
「嫌だっ、綾波、僕はもう誰かが死ぬのを見たくないんだっ!」
「……ごめんなさい」
目の前でレイが命を落とす姿を目の当たりにして、アスカも半狂乱になって空に向かって怒りをぶつける。
「何でこんなにシンジを苦しめるのよ、シンジに何か恨みでもあるって言うの!?」
そのアスカの叫びに答える者は誰も居ない。
シンジの心が傷つけられていくのを見続けていたアスカの心もすっかり疲れ果ててしまった。
いっそ意識を消し去って楽になってしまおうかとアスカが思い悩んでいた。
ミサトがシンジにやっと心を開いたのを見届けると、アスカはシンジに別れを告げて去ろうとする。
「良かったわねシンジ、これからはミサトが側にいてくれるわ。さよなら、シンジ……」
「もしかしてシンジ君って、心に決めた好きな子が居たりするの?」
「えっ、どうしてそう思うんですか?」
「そうじゃなければ、キスを拒んだりしないはずよ。健全な男の子ならね」
ミサトとシンジの会話を聞いて、アスカは驚いて振り返った。
ミサトのキスを拒むとは、シンジはそこまで自分を大切に思ってくれているのかと心を打たれた。
そしてミサトからセカンドチルドレンが派遣されると聞かされた時、アスカはもう少しここに踏み止まってシンジとこの世界のアスカとの出会いを見届けようと思った。
シンジがアスカと仲良くなれれば、自分は思い残す事は無く逝けるとアスカは考えた。
しかし、シンジの前に姿を現したこの世界のアスカは、すでに人格を破壊されてしまっていた。
ゲンドウを殺そうと獣のように暴れるアスカ。
一番辛いはずのシンジが必死にアスカを守ろうとしている。
「シンジ、アタシのためにそこまでしなくて良いのよ、もう諦めて楽になりなさいよ……」
アスカは涙を流してシンジに訴えかけた。
シンジの気持ちだけでもう十分幸せだ、だからシンジは早くアスカを諦めて自分の幸せを探してほしいとアスカは願う。
しかしシンジは獣のようになってしまったアスカの食事の世話から全ての世話までするようになった。
アスカは本能のままに食べて、シンジ相手に殴る蹴る噛みつくなどの暴力を振るい、疲れ果てて眠る、と言う日々が続いた。
まるで自分がシンジを傷つけているような気分になり、アスカの胸は今までにないほど痛んだ。
そして、ある日の夜、寝ているアスカを目の前にしてシンジがポツリとつぶやく。
「アスカ、こんな卑怯な事をしてごめん。だけど僕はもう自分の気持ちを抑えきれないんだ!」
シンジは目を閉じて眠っているアスカの唇に、強引にキスをした。
すると、シンジの中に居た精神体のアスカは、自分の体が目の前で寝ているアスカに吸い込まれて行くような感覚にとらわれ、意識が途絶えた。
そして、次にアスカが感じたのは、自分がシンジにキスをされていると言う感覚だった。
アスカは驚いて目を見開くと、目の前には驚いて唇を離して起き上がったシンジの姿があった……。