『新潮45』掲載の藤倉善郎氏の主張に対する反論文

「カルト」レッテル貼りが生む、深刻なパワハラ・アカハラ

 

                    鴨野 守(統一教会広報局長)

                    南谷 知幸(W-CARP JAPAN広報渉外局長) 

 

 『新潮45』2012年6月号に、フリーライター藤倉善郎氏の「ふたたび増殖中『大学カルト』最新事情」なる記事が掲載された。藤倉氏は、ニュースサイト「やや日刊カルト新聞」を主宰するが、失礼ながらジャーナリストとしてそれほどのキャリアの持ち主ではない。しかし、その無名ライターの原稿が言論界に影響を持つ『新潮45』に掲載されたとあっては看過できない。藤倉氏は大学における新興宗教系サークルを話題にあげているが、その紙幅の半分を統一教会、「CARP(原理研究会)」(正式名称:W-CARP JAPAN・全国大学連合原理研究会、以下CARPと表記)批判が占めているので、CARPの広報担当者と連名でこれに反論する。

 

 CARPは、「統一原理」を学ぶ学生サークルで宗教法人世界基督教統一神霊協会とは友好関係にはあるが、全くの別組織である。共産党と民青(民主青年同盟)あるいは、公明党と創価学会のように、同じ思想・信条をもって活動しながらも全く別団体である事例は多数ある。藤倉氏は、統一教会とCARPをごっちゃにして批判しているが、事実を正確に押さえていただきたい。

 

 さて藤倉氏は統一教会、CARPのほか、顕正会、浄土真宗親鸞会、摂理、ヨハン早稲田キリスト教会などを「カルト」と決めつけ、さらに「カルト=悪」との大前提で議論を展開している。

 まず、この大前提が問題である。そもそも大学が行っている「カルト対策」には法的根拠がない。学生支援の一環として、学生が関わる事件・事故等に想定されているその他の注意事項には、薬物、飲酒、喫煙などがあるが、これらの行為には関連する法律が存在し、違法・合法の境界は明確だ。しかし、「カルト」という法律用語は存在しない。「宗教」と「カルト」の区別も法的には存在しない。

 

 法的根拠が存在しない背景には、「カルト」の学問的定義が確立されていないという事情がある。「カルト」の定義は実際には十人十色であり、しばしば自分が嫌いな団体に対する「レッテル」として使われる傾向にある。大学当局が、そのような定義の曖昧な言語を振りかざして、信仰の自由、思想信条の自由を規制しようとすることは、憲法に抵触する行為と言わざるを得ない。

 

 藤倉氏は統一教会・CARPを批判する論拠として、「青春を返せ訴訟」損害賠償支払いを求めた判決や偽装勧誘をあげる。だが、同訴訟は拉致監禁を伴う強制棄教によって統一教会を脱会させた元信者たちを原告に仕立てて統一教会を訴え、統一教会を窮地に追い込もうとする、統一教会反対派の戦略に基づくものである。読者の方々に留意していただきたいのは、こうした訴訟の原告が自然退会者などではなく、本人の意思に反して無理やり、強制棄教させられて原告になった、言わば「作られた被害者たち」であるという点だ。これには、裁判記録に基づいた根拠がある。

 

 1987年に始まった第1次札幌「青春を返せ訴訟」では、原告たちが教会を離れるようになった経緯が、統一教会の代理人による反対尋問の過程で明らかになっている。裁判記録によれば、21名の原告のうち8名が監禁されたことを文字通り認めている。別の8名は監禁という表現をしてはいないが、部屋は内側から施錠されていて出入りが自由ではなかったと認めている。ほか、2名が軟禁状態であったと証言しており、出入りが自由だったと証言しているのは21名中、3名にすぎない。

 

 この裁判記録から浮き彫りになるのは、①統一教会を訴えた元信者たちの大部分が、教会を脱会する際に家族から物理的な拘束を受けていた ②脱会を決意するにあたって、「脱会カウンセラー」と呼ばれる第三者の介入があった ③「脱会カウンセラー」が話した内容は、聖書と統一教会の教えの矛盾点といった神学的・教義的な事柄であり、統一教会に対する信仰を棄てさせることが「脱会カウンセラー」の目的であった――という事実である。これを「拉致監禁・強制棄教」と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。

 

 今年3月に札幌地裁で判決が下された第2次札幌「青春を返せ訴訟」では、原告63名のうち、40名が元統一教会信者で、その他はその親族たちである。判決文によると、元信者40名中31名が「近親者の保護による脱会」をしており、物理的な拘束の程度こそ不明だが、自発的な脱会ではなかったことは明白だ。第1次訴訟の状況から推察して、この大半は物理的な拘束下で脱会を決意した可能性が極めて高い。これも「信教の自由」の侵害であることは論を待たない。

 

 さて、これらの判決で原告勝訴の理由の一つとなったのが「正体を秘匿した勧誘」である。これに関しては2009年3月25日付で徳野英治・日本統一教会会長(当時)が教会員に対して、「勧誘の当初から目的を明示し、宗教との関連性や統一教会との関連性を聞かれた際には的確に説明をする」よう指導文書を出し、不実告知と誤解されないよう法令遵守の徹底を図っている。さらに、社会に対して責任を持って対応する意思表示として、この文書を教会の公式ホームページに公開もした。

 

 こうした指導に基づき現在、統一教会信者たちは初めから教会を名乗って伝道活動をしているし、文鮮明師の自叙伝を配布する等、積極的な情報開示を行っている。事実、CARPが堂々と「CARP」と名乗っていると藤倉氏自身も『新潮45』の中で認めている。

 

 万が一、勧誘の方法に問題があれば、ルールを守るように大学側が指導すればよいことである。ところが、大学側の本音はどうもそこにはない。ルール遵守の如何にかかわらず「カルト」を排除したいようだ。「特定の宗教の活動の価値観のみでものを考え、勧誘活動等で学内での友人を失うことを、大学という教育の場において放置することはできません」という、「ある国立大学の担当者」の言葉を、藤倉氏は紹介している。

 

 このような主張は、「信教の自由」に対する根本的な無知から来ていると言わざるを得ない。そもそも信教の自由は、宗教的な事柄に対して国が強制力を発揮せず、国民の自由に任せることによって保障される。これは要するに、国は異端審問を行わず、宗教的真理の真偽・優劣に関しては判断を放棄して中立を保つということだ。これによって宗教的独占が国家の力によって支持・促進されることなく、国民は多様な宗教の中から自分の好むものを自由に選択できるようになる。

 その中から「特定の宗教」を排除すれば、選択の幅を狭めることになり、逆に多様性は失われる。

 

 また、安易に「カルト」のレッテル張りをすることは、前述したような統一教会信者の拉致監禁事件を誘発する要因にもなる。拉致監禁事件の悲劇については、梶栗玄太郎編『日本収容所列島』(2010年、賢人舎)、米本和広著『我らの不快な隣人』(2008年、情報センター出版局)に詳しいので是非、参考にしていただきたい。

 

 ここでは、CARPメンバーが大学で受けている深刻な迫害について、その一端を報告したい。

 2002年夏。期末試験の最終日、国立大学法人岡山大学のIさんは、試験後に教室を出た瞬間に親戚らに拉致された。友人等がIさんを取り戻そうとして大騒ぎになった。周辺の学生たちは騒然としていた一方、大学職員は平然とただ眺めており、大学側も拉致を幇助していたと思われる。実際に、大学試験の最終日に拉致されるのは常套手段になっていたという。結局、Iさんは車で連れ去られてしまった。

 

 さらに、2006年9月中旬、国立大学法人大阪大学のNくん(当時、大学院生)は、大学の研究棟を出ようと玄関に降りたところを待ち構えていた両親、親族ら6名に取り囲まれた。

 

 2008年8月初旬、国立大学法人名古屋大学のKくんは、理工学部の研究室において、両親や親族ら15名によって拉致された。研究室の柱に捕まり抵抗したにもかかわらず、引きずるようにして校舎の外に出して車に乗せたという。関係者によると、Kくんの両親、研究室の担当教授、名古屋大学の「カルト対策」を担当している臨床心理士の3名で事前協議が行われ、担当教授は、研究室での拉致を許諾し、さらには自らKくんを両親に引き渡すことを提案したという。

 

 以上、3事例はすべて大学内で拉致され、Nくん及びKくんは、マンションの一室に監禁され、キリスト教系牧師が介入し、「保護説得」と称する強制脱会説得を受けている。

 

 2011年6月25日、日本脱カルト協会により「カルト問題からみた大学の役割―対策から教育へ―」と題する公開講座が行われた。そこでは、岡山大学の松岡洋一教授や大阪大学の太刀掛俊之准教授の基調講演があり、同時に、倉敷めぐみキリスト教会の高山正治(ただはる)牧師による講演があった。高山牧師は、質疑応答の時間に国立大学法人愛媛大学からカルトに関する講演のみならず、「救出」(拉致監禁・強制改宗)もしてくれないかといった打診があったと発言している。さらには、実際に「救出」に関わったと証言しており、一時期はあるカルト団体を壊滅状態にまで至らせたと述べている。つまり、大学教授と牧師が連携して「カルト」からの「救出」(実際は脱会活動)を行ったと認めているのだ。

 

 加えて、2012年7月18日、国立大学法人千葉大学で行われた公開講座「豊かな学生生活と現代学生の問題―元原理研究会メンバーと話そうpart2―」では、講演者である元原理研究会の村上一典氏は、救出カウンセラーに5年間ほど関わったと話し、その手段として「ある日、家に帰ったら家族に強制的に連れていかれて鍵のかかった部屋に連れていかれて、さんざん説得される」状態にすると発言している。このような拉致監禁と見られる行為をしてきた人物を大学が招請しているのである。さらに質疑応答で、ある特任教授は村上氏に対して「説得」を続けるべきなのではないかと発言している。

 

 こうしてみていくと、大学当局は明らかに「カルト」の勧誘行為や人権侵害を問題にしているのではなく、その排除が目的であることが分かる。こうした弾圧は、強制脱会説得だけでなく、構造的なハラスメントをも生じさせている。

 

 2010年8月上旬、関東の国立大学のJくんは、担当教授から「反社会的な新興宗教である統一教会という宗教に入っているため信頼できない」として、大学院合格後の研究室配属を拒否された。また、別の大学でも、CARPに所属する学生が担当教授に呼び出され「一刻も早くCARPをやめろ」「すぐに勧誘を止めないと他の学生に迷惑がかかるから、君の退学も考える」などと言われたという。これらは、明確なアカデミック・ハラスメントであるが、彼らは前述した大学、牧師及び両親の結託による拉致監禁を恐れて、訴えることもままならない二重苦を味わっている。

 

 2012年5月、国立大学法人佐賀大学のCARPに所属する女子学生が担当教授により信教の自由及び名誉感情の侵害を受けたとして、担当教授及び佐賀大学を訴えた。彼女は、担当教授から、CARPは「邪教」として棄教を迫られた他、彼女の両親が統一教会信者であり、合同結婚式を受けたことについて、「(両親の結婚は)犬猫の結婚」などと侮辱発言を繰り返された。 

 

 大学による「カルト」への迫害は、直接的被害のみならず間接的被害も生じさせている。

 ある関東の国立大学では、統一教会及びCARPを名指しで批判し、学生の中には「カルト=統一教会、CARP」といった先入観が定着している。そのような大学環境で過ごす統一教会信者である学生は、信仰の告白と同時に友人を失う恐怖感に苛まれる。同大学のある学生は、友人等に統一教会信者であると告白すると「カルトじゃん」といって、口をきいてくれなくなったという。さらには、トイレの個室で頭上から生卵を投げ入れられるなど、悪質ないじめを受けている学生もいる。

 

 陰湿なパワハラ、アカハラ被害を引き起こしている大学の「カルト対策」にどれほどの正統性があるというのか。

 真理探究の場である大学の目的が多様な価値観や考え方について学ぶことにある以上、大学は思想信条の領域に対してはいかなる強制力も発揮せず、学生の選択の自由に任せなければならない。「特定の宗教や思想」を排除すれば、かえって学生の選択の幅を狭めることになり、多様性は失われる。

 

 大学の「カルト対策」は、現代日本の「過保護」「過干渉」「管理教育」が生み出した現象ともいえる。大学を思想的無菌状態にすれば、失敗を恐れて何事にも挑戦しない主体性のない学生をさらに増殖することにしかならないだろう。一体、いつ彼らは大人になることを学べば良いのだろうか。

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