応援放送がなにより迷惑なのは、各国のアスリートらのパフォーマンスを、<それ自体として>楽しめなくなるからだ。まあ私は、とくに日本人選手や日本の競技チームを応援しているわけではなく、<遺伝的に飛びぬけて優れた“怪物”たち>の繰りひろげる競技を、国境を越えたスリリングな見世物/スペクタクルとして観戦したいだけなので、そう思うのかもしれないが――。
だからといって私は、自国の選手やチームを応援することが、偏狭なナショナリズムだなどと言うつもりは、さらさらない。国家であれ、もっと小さなコミュニティであれ、それに所属している人間が、その共同体を代表する選手を応援しサポートすることは、ごくフツーのことだ(ただし程度問題だが)。しかしむろん、それをしないことだって、まったくアリだし、あとは趣味の問題だろう。
ちなみに、「五輪毒本」と銘打たれた月刊誌『サイゾー』8月号は、オリンピックのダークな裏面史をざっと知るうえでも、元選手らの大胆な発言が読める点でも興味深い1冊だが、本誌には「オリンピックと政治の長き関係史」も簡潔にまとめられている。
それによれば、1964年東京大会から1980年のモスクワ大会までは、大国間の代理戦争期で、民族対立噴出の場、あるいはテロの恰好の標的となった時期であったが、その後の1996年アトランタ大会までは商業化の加速期、そして2000年から今年のロンドン大会までは、脱・政治期であり、と同時に外交を活性化するための準備の場、すなわちプレ外交期となった。
まあ五輪の環境自体が脱政治化し、巨大ビジネス化した現在でも、自国の選手を熱狂的に応援するというナイーブな姿勢は、「にわか愛国者」ともいうべき観客のあいだでは常態化しているが。
さて、くり返すが、外国選手のプロフィールの紹介もそっちのけで、日本人選手ないしはチームに対して、「悲願の金メダルは!?」「××三連覇なるか!?」「行け行け××!」、などと絶叫する醜悪な「応援放送」だけは、何とかしてほしい(以前にも書いたが、とくにテレビ朝日系の・・・・・続きを読む
この記事の続きをお読みいただくためには、WEBRONZA+の購読手続きが必要です。
- 藤崎康(ふじさき・こう)
1950年、東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。現在、慶応義塾大学、学習院大学の講師。専門は映画表現論。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)
関連記事
WEBRONZA編集部
Follow @webronza購入手順 ヘルプ
- 朝日新聞Jpass新規登録(無料)
- Astandは朝日新聞Jpassの決済サービスを利用しています。朝日新聞Jpassに登録してログインIDを取得してください。
- 商品の購読開始
- 購読したい商品のページにある「購読する」ボタンを押して、購読手続きを完了させてください。
- マイコンテンツから閲覧
- ご購読いただいた商品は、ページ右上にある「マイコンテンツ」からご覧いただけます。