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生きられる社会へ:生活保護の今 本格的に働くまでの準備「中間的就労」 若者「自立」の訓練場に http://mainichi.jp/select/news/20120809mog00m040007000c.html … 丁寧な記事。中間的就労の問題点(低賃金、義務化の危険)にも言及しつつ支援の意義を伝えている。現場も報道も粘り強く。
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そこは涼しいんだろうな pic.twitter.com/7rMRJvGG
その友人が、その策を実行したかは、解らない。永久に、解らない。もしかしたら、未遂するつもりが、本当に死んでしまったのだろうか。それとも、致死的な手段を最初から選んだのか。具体的な死因は訊けなかった。棺の中の御顔は綺麗だったので、首吊りか、大量服薬だったのかもしれない。解らない。
先月自殺した友人には、ぎりぎりの策として、「自殺未遂してみるといいよ」と勧めていた。そんな策は正気ではないのは、解っている。でも、死の淵でもがいている人には、正気がどうなんて通じない。未遂して戻ってくると状況や心境が変化する事があるよ、という、自分の体験からの窮余の策だった。
「本当に自殺する人は、死にたいと言わない」などというのは、迷信です。死にたい、辛い、苦しい、と言っても、誰も助けになれなくて、本人も自分を助けられないと、自殺は本当に起こります。
自殺した二人の友人(一人は6年前、もう一人は先月)は、生前から「死にたい」と言っていたのを、私は知っている。6年前に友人が自殺した時に救急車を呼んだのは私だったし、先月死んだ友人とは自殺について話し合っていた。私だけでなく、家族やパートナーも気付いていた。
誰かが自殺して、本気で「何も思い当たる節が無い」と思うなら、それは生前からの関係が希薄だったんだよ。
その人が独りで狂って自殺するケースは、かなり少ないと思う。深刻な精神疾患で自殺したように見えても、よくよく原因を紐解けば環境要因であるケースも、実は多いのではないかな。本人が死んでしまうと、周りは「仕方なかったんだ」と言うけれど、ほんとは皆、何か思い当たる節があるものだと思うな。
自殺は「自分を殺す」と書くけれど、実際には環境に殺されている場合がほとんどだと思う。家族・友人知人・恋人。学校・職場・家庭。そういった人達や場との関わりが上手くいかなくて、むしろ苦しくて辛くなって、攻撃性が内向した時、自殺は起こるのだと、私は考えている。
友人が二人も自殺したのに、私は生きている。なんでかなあ。私はまだ、生きていたいです。何故、自殺してしまったんだろう。他に道が無かった訳ではないけれど、自殺に追い込まれてしまったのだろう、きっと。
後追いしたら情が厚いかというと、それは全く別問題なのだけれど。情がどうとかではなくて、巻き込まれてしまうか否か、だ。頭ではそれを解っていても、気持ちは落ち着かない。私は自分を「薄情者だ」と思う。思ってしまう。違うよ、と言い聞かせてあげても、どこかで思う。
死にたくならないのは本当。何故ならないのか解らないけれど、ならない。最近、希死念慮は無い。感覚が少し麻痺しているのかもしれない。身近な人の死は自殺の引き金になりやすいのだけれど、今の私は大丈夫だと思う。ただ、時に不安感には苛まれる。あと、自分は薄情なのでは、という感覚にも。
だから、独りで行く。主治医との信頼関係はかなり出来ているほうだと思うので、独りで行って「死にたくならない」と言えば、だいぶ信用されるはず。夫が一緒だと、私が嘘をついてもおかしくない状況。仮に一緒に行っても、夫が診察室から出されるかもしれないので、無駄足踏まない為にも独りで行こう。
それにしても「楽」「得」が侮辱に見えるという事自体、日本人気質の病理を示しているじゃないか。「苦」「損」を尊ぶ空気はいったい何なんだ?
今月8/20の定期診察には、独りで行くことにした。大学時代の友人の自殺の話をするから。主治医に「あなたも死にたくなりますか?」と訊かれるのは必至で、その時に夫が一緒に居ると、私がごまかしていると思われる可能性がある。「死にたくならない」のは本当だけれど、信用されないかもしれない。
ふあん。たまたま借りた本が、どうやら自殺した方が書いた物らしい。読んで、大丈夫かな。で、iPhone慣れなくて、寝転びながら余計にふあんになる。どうしよう。
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