岐阜県 可児市(かに市)
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行政:歴代首長
可児市長
現代
高度経済成長以降、石油が燃料の中心となっていったことで亜炭採掘は急速に衰退していった。一方で戦前からの萱場工業を中心とした製造業は発展し、昭和30年代には名古屋パルプ(現大王製紙)、昭和40年代には可児工業団地と相次いで大型の工場・工場用地が完成している。
また丘陵地を開拓しニュータウンを造成したことで、可児は名古屋に程近いベッドタウンとして注目されるようになった。1970年代以降西部・南部を中心に人口が爆発的に増加し、1970年には3万人に満たなかった人口は10年後には5万人を突破した。人口の急増を受けて1982年に可児町は市制を施行し、全国で650番目・県で14番目の市として可児市が誕生した。
以後も可児市の人口は鈍化はしたものの増え続け、可茂の拠点都市として発展した。1989年には県で推し進める「花の都ぎふ」運動の中心拠点として県営可児公園(現在の花フェスタ記念公園)敷設予定地に花トピア(岐阜県花き総合指導センター)がオープン。後に県営可児公園は花フェスタ'95ぎふ及び花フェスタ2005ぎふの開催地となり、大勢の人出で賑わった。2005年に兼山町を合併したことで10万人を突破したと市は公称している。中でも近年は製造業への就労を目的としたブラジルやフィリピンなどの外国籍住民が増加しており、文化の違いにより発生するさまざまな問題に対処する必要に迫られるようになった。(関連項目外国人集住都市会議)
比嘉照夫 NPO花のまちづくりネットワーク理事長
農林水産省・国土交通省提唱「全国花のまちづくりコンクール」審査委員長 公益財団法人 日本花の会 (花の町コンクール) 非常勤評議委員・コンクール審査委員長
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