ブランド桃の復活を懸けた除染に臨んだ果樹園を取材しました。
福島第1原発事故によって、存続の危機を迎えたブランド桃。
復活を懸けた除染は果たして実を結ぶのか、果樹園の挑戦を取材しました。
全国にファンを持つブランド桃の復活を懸けて、独自の除染に挑戦した果樹園がある。
25年かけて、独自のブランド「吟壌桃」を確立した、フルーツファームカトウ代表・加藤修一さん。
2011年は、原発事故の影響で直販を断念し、復活を目指して古い樹木は伐採し、さらに土を削る独自の除染を始めていた。
加藤さんの果樹園は、2万6,000平方メートル。
サッカーコートおよそ4つ分の面積全ての土壌を、3cm程度削る計画だが、予想以上に時間がかかっていた。
加藤さんは「木のそばなので、木を傷めちゃうっていうのもあるし、このあとは機械でやりますよ。ただ集めるのは、やっぱり手で。手作業でやらないと、残っちゃうんです」と話した。
福島県は、原発事故から1年の時点で、土壌の3cm程度の深さに大半の放射性物質が定着していると発表した。
ただし、放射性物質が根から樹体に移行するのは1%程度として、果樹の除染は、高圧洗浄と樹皮削りの方法を推奨する。
一方、加藤さんは、早く土を削ってしまいたいと考えていた。
加藤さんは「もう1年すぎれば、おそらく(放射性物質が)もうずっと沈んで、そうすると今のような状態で薄く削るだけでは取り切れないというふうになっちゃうのがすごく怖い」と話した。
除染前、加藤さんの果樹園は、平均でおよそ5,500ベクレル(Bq)だった。
表土を3cm削ったあとの数値について、加藤さんは「0.01っていうと、100ベクレル。本当はゼロって言いたいんだけど、そこまではちょっと厳しいですね」と話した。
除染後、加藤さんは、発酵させたオリジナルの肥料を与えた。
花が散った吟壌桃の木は、実をつけようとしていた。
2011年、卸売価格が例年の半分以下に落ち込んだ福島県産の桃。
加藤さん夫妻は、果樹園をやめることを真剣に考えたという。
妻・明美さんは「(桃などを)作っていていいのかなって、自分のところで。すごく考えさせられました」と話した。
加藤さんは「うちら、もう普通には戻れないなっていう悲しさ」と語った。
マルティン・ルターの「たとえ地球滅亡の日があすに迫ろうと、私はきょう、リンゴの木を植えるだろう」という言葉が、心が折れそうになった加藤さんを支えた。
果樹園再生の願いを込め、桃の種を植える。
収穫まで、カウントダウンに入った7月、「摘果」という選別作業が行われていた。
加藤さんは「種を割ってみるとわかるんだけど、(種を)見ただけでわかる。こうなってる、種が死んでる。これ、きれいなの。これ正常なの。こういうのが大きくなって、おいしい吟壌桃になるわけ」と話した。
ただし、注文数は予想以上に伸びず、例年の半分程度だった。
加藤さんは「(放射線量)出ないといいけどね」と話した。
収穫シーズンを控え、加藤さんは吟壌桃の放射線量測定を、山形の分析センターに依頼した。
実際に食べる部分のみを、精度の高いゲルマニウム測定器にかけ、検出限界値は1ベクレルに設定された。
2日後、検査の結果が分析センターからファクスで届いた。
加藤さんは「(セシウム)134は1(ベクレル)以下でしたね。1以下。(セシウム)137は1.9ベクレル。これをホームページ上で公表して、一応。それを納得してくださるお客様だけに買ってもらう、食べていただく」と話した。
8月7日、いよいよ吟壌桃の収穫が始まった。
鮮度を保つため、桃の温度が低い早朝に摘み取る。
加藤さんは「状態は最高」と話した。
直接購入に来た夫婦は、初めて吟壌桃を口にした。
夫婦は「あー、甘い。おいしい」などと話した。
加藤さんは「かなり、数値的には(放射線量は)低い方だと思うんです。除染の効果っていうのは、はっきり言って出ているっていうふうに自分では思っていますよ。無駄ではなかったっていうのは。やっと、ここまでたどりつきました」と話した。
加藤さんがまいた種は、1メートルほどに成長していた。
この木から吟壌桃を収穫できるのは、5年後だという。