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デモと選挙 - シングルイシューの政治の錯覚と陥穽
ウェーバーの『職業としての政治』の結語にさしかかるところで、シェークスピアの『詩篇』の一説が引用されている。「そも二人の愛の成りしは、恰も春のことなりしが、其のころ、われは、春を迎ふるには、常に物語の歌もてせり。かの妙音鳥(フィロメル)でふ鳥は、夏の初めには歌ひ奏づれども、漸く月日経て真夏となれば、其笛の音を止むるを例とす」(岩波文庫 P.104)。この詩の紹介のあと、次の文章が続く。ウェーバーのペシミズムと言われる有名な箇所だ。「いまわれわれの前にあるのは、花咲き乱れる夏の初めではなく、さしあたっては凍てついた暗く厳しい極北の夜である。(略)やがてこの夜が次第に明けそめていく時、いまわが世の春を謳歌しているかに見える人々のうち、誰が生きながらえているだろうか。また、諸君の一人一人はその時どうなっているだろうか」(同 P.104)。このウェーバーの警句と予言を自然と思い出していた。「夏の初めには歌ひ奏づれども、漸く月日経て真夏となれば、其笛の音を止むるを例とす」なのだそうだ。そして、雪も凍てつく極北の夜へ向かうのだ。ミュンヘンのある学生団体のために、ウェーバーが講演を行ったのは1919年1月のことだった。第1次大戦が終わった直後、したがってロシア革命の熱気と興奮に欧州とドイツが包まれていたときである。同じ1月、同じミュンヘンで武装蜂起が起きている。


何か時間が止まったように、ずっとデモの記事を書いている。他の問題には目もくれずに、デモに関する事象や議論ばかり追いかけている。デモの動きに視線を集中して固定しているために、私の中でデモは静止していて、脇をいろいろなニュースと共に時間が流れていく。気がつけば8月になった。その世界は、薄汚れて貧相な、寒々として刺々しい、苛立ちで神経がすり減らされるだけの世界なのだけれど、どうやら、今の日本の政治の中心がそこにあるようであり、そこに意味があると思い、関心を途切らせずに報告や観察を続けている。小熊英二が後で「歴史」を書くと言っているのだから、きっとこれは、60年安保や70年安保の激動に匹敵するような、日本の政治史上の大きな動きの中にいるのだと、そう思ってデモの問題に首を突っ込んでいる。何で知識人は誰も首を突っ込まないんだろうと思っていたら、小熊英二が首どころか身体全体を突っ込んできて、観察者でなく実践者になっている。私は首を突っ込みながら、寒々とした気分にならざるを得ない。あまりに薄っぺらい感じがするからだ。丸山真男や日高六郎や埴谷雄高などの60年安保に較べて、この政治にはあまりに中身がない。空疎で軽薄だ。それは、今の日本の政治が空疎で軽薄だということであり、日本人がかつてのような政治をする能力を持っていないということを意味するのだろう。

間接民主主義が行き詰まっているからデモだ、これが直接民主主義だ、と、マスコミをはじめそういう論調になっている。そういう言説で、今のデモが正当化されている。それは確かにそのとおりだ。しかし、こうした議論の中で見落とされているのは、何で日本の間接民主主義すなわち議会政治が機能不全になったかという問題だ。そして欠落している認識は、嘗ては日本の議会制民主主義もそれなりに機能していた時代があったという事実だ。行政を監視し、憲法を守り、国民の生活と権利を守る役割をよく果たしていた時代があったということだ。それは、社会党と共産党が一定の勢力を国会内に維持していた中選挙区制の時代のことである。反原連やそのシンパの社会学系には、日本の間接民主主義を立て直すという発想が全くない。日本国憲法がその理念を実現するべく設計し構築した議会制度と議会政治が、どうしてここまで無残に崩壊し、何も機能しない廃墟になってしまったかについて、原因と経過を正しく究明しようとする者がいない。例えば、今井一の国民投票運動の論理もそこに関連する。今井一が言うには、脱原発を政策実現しようと思っても、選挙ではとても無理で、いま選挙をやったら、現在よりも原発推進派の議員が増える結果になり、全く展望がないから、だから国民投票・住民投票しかないのだと言う。その政治の経路と手段で脱原発を実現するしかないのだと。ここで国民投票運動そのものの是非は論じないが、今井一のこの主張には同意できない。

選挙こそ重要なのではないか。どれほどデモをやっても、それが選挙に結びつき、国会の院の構成の変化に繋がらなければ、政府の政策が変わることはないのである。次の選挙で、自民党が大勝する、あるいは3党大連立が固まれば、デモの情勢によって今は少なからず動揺しているところの、原子力規制委人事にしても、将来のエネルギー計画(原発比率15%)にしても、何の抵抗もなく堂々と押し通せる状況になるのである。なぜなら、それが投票で明確に決せられた民意だからだ。デモは行われ、デモの論議はさかんに行われているが、この国民の要求を次の選挙で実現すべき投票の受け皿作りについては、何も動きがなく、動きが必要だという声すら上がらない。選挙がそこまで近づいているにもかかわらず、自民が圧勝するとか、維新が過半数を制するとか、反原発とは全く逆方向の結果が予想され、それが素通りして黙認されている。異議を唱える者がおらず、この不条理な政治の進行を阻止しようと立ち上がる者がいない。当たり前の話だが、橋下徹の維新が過半数を取れば、原発推進政策は継続される。どれほど国民投票や住民投票の運動を盛り上げても、権力に直結する国会の勢力が反原発と逆方向に大きくなれば、反原発は政策として実現することはないのである。われわれは、直近に迫った衆院選でこそ勝利しなくてはいけない。デモの民意を選挙の民意として実現しないといけない。デモの民意を選挙でリセットされないようにしないといけない。

そしてまた、いろいろな問題をシングルイシューで解決していこうというのは、よく考えれば非効率な政治なのだ。オスプレイの配備に対して、消費税増税に対して、TPP参加に対して、われわれは国民投票でそれを阻止するのか。何か問題があるたびに国民投票で「いのちとくらし」を守るのか。官邸前デモに参加している多くの者は、オスプレイ配備に反対であり、消費税増税に反対であり、TPP参加に反対の者たちだ。これらの政治案件について、バイアスのない正確な世論調査をすれば、6割から7割の国民が反対だろう。であるならば、オスプレイ配備反対、消費税増税反対、TPP参加反対、原発再稼働反対の政策を掲げた政治勢力が、衆院選で過半数の議席を得て勝利してよいし、それはリアルな政治の発想に違いないのだ。それなのに、そのイマジネーションを提起する者がおらず、政治勢力を作ろうとする者がいない。私が提起しても、同意する者が少ない。脱原発の国民投票がどうのこうのという方向に流れ、そこでエネルギーを無駄に浪費している。一人一人の国民は、決してシングルイシューで悩んでいるのではない。抱え込まされてる問題はマルチイシューだ。解決しなければいけない問題はマルチにある。反原連は、デモの勢いを背にして、社民と共産が手を握って選挙共闘することを発表するように動くべきだ。左側に政界再編で一つの勢力を作り、モメンタムを拡大し、小沢新党の政策を左側に引き寄せる動きをしないといけない。そうしないと、維新が出てきて、選挙の争点を右側に引き寄せる。

反原発、オスプレイ配備、消費税増税、TPP、これらが争点にならず、尖閣防衛、教育、改憲、国土強靭化が争点になる。


by thessalonike5 | 2012-08-08 23:30 | Trackback | Comments(2)
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Commented by nyckingyo2 at 2012-08-08 12:12
子安宣邦が、ローマにはギリシャと違って民主主義はなく、ただ選挙をしただけ、という小田実の言葉を取り上げています。http://www.youtube.com/watch?v=LfaUav2OI-k&feature=youtu.be 現代の選挙で出来上がる政治とは民主主義ではない。このローマ的選挙政治は現代国家のほとんどすべてに蔓延していると思います。たとえば僕の住むアメリカでもOWSのデモが盛り上がり、あれだけ現大統領の批判勢力となったのに、現実に11月の大統領選ではオバマに入れるしか方法がない。OWS運動は官邸前デモより多少ともスマートだったと思いますが、現実に政治を変えることができない。エジプト然り。このことをどうお考えになるか、世に倦む日日さまの更なるご意見をお聞かせ願いたいのですが。金魚
Commented by たそがれ裕次郎 at 2012-08-09 13:43 x
今井一は2年前の名古屋であの河村の煽動した住民投票を応援して、名古屋市議会を奈落の底に落とし入れた主犯の一人だ。偽造署名までやって強奪した住民投票の犯人の一人が今井一だ、私は生涯アイツを許さない。住民投票はナンにでも利用してイイものではない。原発は住民投票に値するが、イチ市長の権力欲の為の議会解散リコールは値しない、今井はそれをやった。彼の話を聞けば解かるが、彼には住民投票に対する思想が全くない、住民投票のセールスマンに過ぎない。ナンでもカンでも住民投票で決着するなら、議会も議員も必要ない。ああいう知性の乏しい人間が住民投票を喧伝する事は、民主主義の最終手段である住民投票を冒涜するものである。
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