【英国・ロンドン発】体操の男子個人総合(1日=日本時間2日)で内村航平(23=コナミ)が総合得点92・690点を獲得し、1984年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司氏(55)以来28年ぶり、日本選手団第2号となる金メダルに輝いた。団体ではミスを連発して銀メダルに終わったが、ここ一番で絶対王者らしい美しい演技を見せて世界を圧倒。この裏には内村を支えた親友と母による“陰のアシスト秘話”があった。
内村は“鬼門種目”のあん馬でスタート。団体予選で落下し、決勝でも着地が乱れたが、この日は大きなミスなく終え、15・066点をたたき出すと、初めて笑顔を見せた。
「あん馬を乗り切れば、良い流れで最後までいけると思った」(内村)
その後はまさに“内村劇場”だった。つり輪、平行棒を無難にまとめ、跳馬で16・266点の高得点をマーク。鉄棒でF難度のコールマンを回避したものの、G難度の大技をバッチリ決めた。全6種目でただ一人、15点以上の高得点を並べ異次元の強さを発揮した。
結果だけ見れば圧勝ながら、実際は重圧に苦しんでいた。内村も「苦しくてどうなるかわからなかったが、気持ちだけは強く持とうと思った」。今大会前には、金メダルを量産するため団体用、個人用、種目別用とそれぞれ演技構成を変えた。「通常、そこまで用意する選手はいない」と森泉貴博コーチ(41)。当然、他の選手より負担は大きく、練習量も多い。そんなエースを陰で支えたのが高校時代からの親友・山室光史(23=コナミ)だ。
山室本人が本紙にこう打ち明ける。「うちのメンバーはみんな自分の体操にこだわりがある。そのため他の選手の欠点を指摘しづらいんです。練習中なんてみんなイライラ。でもチームの雰囲気を良くするには、誰かが言わなきゃならない。それが僕だった」
内村のために代表チーム内の雰囲気に気を配った。ただでさえ個性の強い集団。欠点の指摘は、ともすれば本人否定につながり、険悪なムードになりかねない。そこで山室はアドバイスも「こうした方がいい」という断定表現を避け「こうした方がいいかも」などと言い方を工夫。後輩がいい演技をした時には「うまい! 負けたわ~」とおだててみせた。内村の重圧を少しでも和らげるため、陰ながらフォローし続けたのだ。
その山室は団体戦で跳馬の着地に失敗し、左足甲を骨折。負傷退場する際に笑っていたことから、「何を考えているんだ」とあらぬ疑いを受けたが、笑顔はメンバーを心配させないための配慮だった。やむなく個人総合を欠場を欠場した山室に対し、内村が「親友の分まで」と闘志をかきたてたことは想像にかたくない。
もう一人、金メダルのカギとなった人物が母親の周子さんだ。父親の和久さんとともに「元体操選手」として知られるが…。「実はあまり知られていませんが、周子さんは元バレリーナなんですよ。幼いころからお母さんがバレエの視点から指導をしたから、航平の演技は難度が高くても美しいんです」(体操元メダリスト)
内村は常々「体操の美しさを見てほしい」と口にしてきた。アクロバチックな技だけならサーカスと変わらない。バレエのような美しい演技をしてこそ体操…が内村家の教え。表彰式後、内村は観客席の母に花束を投げ渡し、感謝の意を伝えた。
「親には一番感謝の気持ちがあった。『ありがとう』とガッツポーズした」(内村)。世界選手権と五輪の個人総合2冠は日本初の快挙。内村は多くの人に支えられ、苦しみ抜いた末に「レジェンド」となった。