先日、先生が説教をしにいらしたので、オオクボは赤ん坊を抱いて
泣きながら訴えました。
「この子には、母親が必要なんです!」
先生は、タジタジになって帰っていかれました。
先生の説教の趣旨は、
「オオクボの言動が理解できない。もっと周りとコミュニケーション
をとって、理解と納得を得ながら支部活動を進めて欲しい」
というもっともなもの。一方オオクボは、決して説明を怠って
いるつもりはない。それどころか、しつこくしつこく、ここまで
言ったらきっとうるさがれるわと思いながらも訴えて、それでも
通じないから、行動で示す。周囲は、オオクボの行動をみて
はじめて、事の重大さに気がついて焦る。その繰り返しをしております。
宮城県自民党初の「子育て中の女性支部長」なので
お互いに、これまでの常識が通用しない。互いにすりあわせて
新しい形をつくっていかなきゃいけないのですが、いくら
説明をしたとしても、未体験のことを言葉だけで理解しろ
と言われたって無理なのです。体験してみてはじめて
わかることがたくさんあり、当然
「聞いてはいたけど、体験してみて、こんなはずじゃなかった」
という驚きやショックも数多い。言葉の意味ひとつとっても
互いの常識と歴史が違うから、ぞれぞれに異なることを
イメージしてしまっていることも数多く起きる。
オオクボが子どもを抱いて泣いて訴えたのは
「大久保が、言葉を尽くして周囲に説明するだけでは、事は進まない。
間にはいって、連絡・調整・交渉・通訳・教育をしてくださる存在
が必要。一方的にオオクボを説教するのではなく、先生自らが
間にはいって調整役をしてほしい」
ということでした。
泣いて訴える、しかも子どもが小道具、
なんてすごい強行手段にみえますよね?この手法、医療や福祉
の給付をゲットする際に、当事者の皆さんがよく使う手でも
あります。その強行手段に上手く抗しきれないと、サービスを
どんどん出さなきゃいけなくなる。生活保護費が莫大にふくれ
あがってしまったのも、「拒否か丸呑みか」という対応しか
とれなかった行政職員が、数多くいたため。
必要なサービスは出していかないと、当事者の生活が
成り立たなくなるから、行政の責務ではあります。しかし
間にはいって、連絡・調整・交渉・通訳・教育をやる努力を
放棄すれば、当事者はどんどんサービスに甘えるから自立でき
なくなる。給付が増えれば国民の税金を無駄遣いすることに
なるから、行政に対する信用をなくす。誰にとってもよいこと
ではないのです。
支部長公募の最終面接は、党本部で行われました。
「今の自民党は、多選の中高年ばかりになってしまってい
るから、国民の感覚とずれてしまっている面があり、支持率
低下の一因と考えている。若い子育て中の女性支部長ということで
宮城五区を注目しているよ」
と言われました。党本部の面接は、概ね県連の内定を確認する
だけのもので、
「自分たちで異文化の支部長を選んだのだから、お手並み拝見」
という言外の意味を含んでいる重たいものでした。
生物の歴史をひもとくとわかります。
進化し、生き残ることができるのは、多様性を有し
変化できたものです。多様性あるコンポーネントが
バラバラにならないよう、しっかり束ねる役割が
今、自民党に求められているのだと感じます。