いやぁ、ついに…ついに…
原田オーナーの旅好き諭吉が姿形を変え、Feeetに帰ってきました
スタッフ一同待ちわびた瞬間です
もちろん汗だく若も大喜び
そうです
よくよくブログを読み返していると、一体このネタでどれだけ語
っとるんや
それだけに、クーラー最高ッス
オーナーに感謝です
働きます
それにしても、人間てのはすごいですねぇ
当然、昔々はクーラーなんてなく、部屋の空調も自然と共にって
感じだったんでしょうね
夏は暑く、冬は寒い…どっちも嫌っすねぇ
ちょっと話を古着講座に戻しますが、100年くらい前の話ですけど
飛行機も当時は吹きさらしのオープンコクピットで、まさに自然
と共にって感じだったんです。地上にいる我々からすると摂氏30
度から10度までなんてのは、まぁ快適に過ごせるかなっていう気
温で、ましてや30度近いとジャケットなんて不要な気温ですよ
ね。ですが、開放式のコクピットに座ったその昔の飛行士にとっ
ては少々話が違い常に吹き付ける風を受け、「寒さ」との戦いだっ
たようです。
そんな飛行士の身を守る為、生まれた物…それこそがフライトJKT
なんです。
そう
「フライトJKT(ミリタリーJKT)」
ッス
自分だけどんどんマニアっくな方面に進んでいるような気がしま
すが、もう止められません
なんてったって、古着の中でもデニムと競うくらい長い歴史と深
い世界で、まさに「男の世界」を感じるからッス
ではでは、授業開始ッス
ここに一枚のフライトJKTがあります。
「A-2」です。
先程の話で少し言いましたが、摂氏30度〜10度の気温域=ライト・ゾーンで着用されたこのフライトJKT「A-2」は、まさにフライトJKTを語る上で外せない一枚なのです。
1927年から第二次世界大戦中の1944年まで米陸・海軍の双方に支給されていた「A-1」を受け継ぎ、米陸軍航空部隊(USAAF)の主力ライトゾーンフライトJKTとして使用されました。期間は1941年〜終戦の45年までとされており、その後はナイロンを使用した「L-2」に移行していきます。
古着的見地から見て、なぜフライトJKTを語る上で「A-2」が外せない一枚なのかというと、前線の将兵が戦いの合間に描いた戦場の芸術'ウォーアート'それこそがこのJKTを更に有名で、魅力的な存在にしたのではないでしょうか。
この写真の物は、それぞれの各部隊マークをレザーのパッチに描きJKTに縫い付けていた物です。
JKTに描かれた物は残念ながら自店にはありませんが、非常に多種類のアートが存在し、どれもが空の男達の背中で輝いていた物です。
それだけに個人的にも非常に欲しいアイテムなのですが、なかなか出会うことはありません。
そしてふがいないですが、とっても高額なんです
まっ、それはさておきフライトJKT「A-2」についてまとめますと…
・第二次世界大戦中、米陸軍航空部隊(USAAF)の主力ライトゾーンであった。
・ライトゾーンとは摂氏30度〜10度までの気温域の事を言います。
ちなみに摂氏50度〜30度までをベリーライトゾーンと言います。
・写真の通り、レザーシェル、フロント部分のスライド・ファスナー(ジッパー)、エポレットの取り付け、ドットボタンで留められる立ち襟とポケット・フラップの使用が特徴。
・多種存在するウォーアートが背部分などに描かれている。(勿論何も書かれていないものもあります。)
・1941年〜1945年までの支給となり、以降はナイロンシェル「L-2」に移行。
A-1の支給が44年までと、大戦時の主力はA-2だったが、A-1も陸・海軍省には支給されていた。
今日も読んで下さった方、有難うございます。
わからない用語とかあったら気軽に言って下さいね
それでは本日の授業は終了ッス