2009年11月30日
奄美大島旅行記・前編
年に一回、男たちの旅を続けてきました。ある時は京都。お寺を巡りながら夜は人生初となる茶屋街での芸者遊び。うなじに塗られたあの白粉と便付け油の混じり合った香りがなんとも心地よく、芸子さんのお隣で目をつむりながら真剣にうなじの香りをクンクンと嗅いでいたものだから、怪しんだんでしょうね、彼女が「どうしてそんなに嗅ぐんどすえ?」と尋ねてこられたので「この香り癒されるんです。来週からヒマラヤ遠征に出かけますので、なおさらこの香りに癒させるのかもしれません」と話したら、東京に戻った数日後、1つの小包が届いた。開けてみたらなんと
「芸者のうなじの香り」と書かれた缶詰が出てくるではないですか。そしてあの芸者さんからのお手紙が添えてあり「野口さん、この缶詰を私と思ってヒマラヤに持って行ってくださいね」と。思わず涙がポロリと、優しさに感謝でした。それにしても「芸者の香り」なる缶詰があるとは知らなんだ。さすが大阪人はなんでも作ってしまう。
ただ、ヒマラヤでテントの中で缶詰を開けたら香りが強すぎてちょっと目が染みたかな。テントの入口を半分ぐらい開けておけばちょうどいいんだが、吹雪の時はそうもいかず、むせたものです。ただそれはそれで無臭のヒマラヤの世界では、女性の香り自体が癒し。それ以降、ヒマラヤ遠征にはあの缶詰は吾輩の相棒となりました。
またある時は鹿児島の知覧に出かけ特攻隊員の遺書を拝読しながら涙を流したこともありました。涙にも色々あります。
そして今回は奄美大島。そして男二人旅が男3人旅に。まずは千葉にある自宅近所のお寿司屋さん(まなぶ)の常連さんである黒岩裕勇起さん。黒岩さんとはかれこれもう10年近くの友達。鹿児島の黒酢屋さんの社長ですが、何故かお住まいが千葉。黒酢以外にも焼酎やアミノ酸などのサプリメントも作っています。不思議な人で私もよく把握していませんが、とにかく全国を旅している旅人です。黒岩さん「〇〇〇行ったことありますか?」と尋ねて「ない」と返事が返った事はほとんどない。年がら年中、旅から旅。まるで寅さんのような方です。その黒岩さんと千葉のお寿司屋さんで再会する度に新たな旅の武勇伝を聞くのが楽しみとなっていましたが、そのうち「じゃ一緒に旅しよう」となり二人旅が始まったわけです。
そして今回は私の友である山際大志郎さんが加わった。山際さんはクジラの専門家。獣医さん出身で私が初めて出会ったのが自民党本部。「自然と共生する勉強?」なる会に講師としてお呼ばれした時からのお付き合い。前回の選挙では残念な結果になりましたが、ただあの選挙は議員個人の活動など争点にも上がらず自民か民主かといった大きな流れで決まってしまったようなものだからどうしようもない。
そんな事よりも山際大志朗という男はなんとも面白くまた魅力的。先日も環境雑誌のソトコトにて対談させて頂きましたが、海の生態系を通して環境問題を伝えていく中で彼の力は大いに発揮されている。南氷洋に調査捕鯨に出かけた現場での実体験など実に興味深い。捕鯨の世界こそ世界の政治問題。いかに日本が国際社会相手に弱いのか、山際さんは専門家として捕鯨国である日本の立場を世界に対し訴えていた。感情論が先走る事もなく、科学的な根拠に基ずいているところがさらに説得力を増す。私自身知らなかった話ばかり。そして力強い言葉になんとも説得力があるんだなぁ〜。山際さんの話を多くの子どもたちにも聞いてもらいたいなぁ〜。
海の男、山の男と、どこかで同じ匂いがしたりする。よく顔が似ていると言われますが、どうでしょうか?
まあ〜そんな濃い顔をした男3人組みの旅は奄美大島となりました。しかし、旅が始まる前からズッコケ。数か月前に黒岩さんとお寿司屋さんで飲みながら奄美大島行きを決めたのですが、お互いに酔っていて私は「11月21からの三日間でどうですか?」と。そこで日程が決定したのですが、なんと黒岩さんは20日からの二泊三日と勘違い?していました。ただ、無理もないのが20日から三連休であり、社会人が二泊三日の旅となれば通常はこの三連休を利用するわけです。酒の席で日程を決めていたので後でちゃんと確認するべきでした。
20日に我々が奄美大島入りすると信じて疑わなかった黒岩さんは一足先の19日夜に奄美大島入りしていた。そんな事を知らない我が方は19日の夜に「明後日からよろしくお願いします」と電話を入れたら、
「えっ!明日でしょ!」と黒岩さん。「・・・・?」返事も出来ないまま「なに!この緊迫感」と恐る恐る「ところで黒岩さんは今どちら?」と尋ねたら、「もう今夜から奄美にいますよ!」と。「あの〜明後日ですが・・・」と。「え〜!!!!」と受話器の向こうから絶句。しばしの沈黙のあと、黒岩さんから「野口さん、明日来られないの?」。
しかし、その日は和歌山県内の海岸清掃で活動を終えどんなに急いで関空に向かったところで奄美行きのフライトはない。なにしろ羽田からだって一日一便しかないのだ。その旨を伝えると「ではジェットヘリでも飛ばして来られないの?」と訳わからない。ただ明らかに動揺しているようで「無理です」とも言えずしばし沈黙が続いたら「野口さん、こちらも最大限努力しますから、野口さんも最大限の努力をしてください」と告げられ「ハイ、了解致しました。最大限の努力は致しますが・・・」と電話を切り、もう一度、あらゆる手段を使っても明日中に奄美に入れないものかと調べ始めたがダメなものはダメ。
結局、黒岩さんが我々に合せてくださり、全ての予定を一日ずらしてくださった。「会社のほうは大丈夫ですか」と尋ねれば「火曜日の当日に会社には行けなくなったと連絡するしかないでしょ」と。本当に申し訳ございませんでした。
11月21日、羽田で山際さんと合流し、いざ黒岩さんが待つ奄美大島へ。奄美大島の飛行場で我々を見つけた時の黒岩さんの安堵した表情が忘れられない。さぞかしホッとしたに違いない。さてさて、スタートがこれだ。どんな旅になる事やら。

左が山際さん・右が黒岩さん

南国特有の生命力溢れるジャングルの木々

黒砂糖工場

サトウキビから作られた黒砂糖

リュウキュウアサギマダラ

マングローブ林

次に続く
ただ、ヒマラヤでテントの中で缶詰を開けたら香りが強すぎてちょっと目が染みたかな。テントの入口を半分ぐらい開けておけばちょうどいいんだが、吹雪の時はそうもいかず、むせたものです。ただそれはそれで無臭のヒマラヤの世界では、女性の香り自体が癒し。それ以降、ヒマラヤ遠征にはあの缶詰は吾輩の相棒となりました。
またある時は鹿児島の知覧に出かけ特攻隊員の遺書を拝読しながら涙を流したこともありました。涙にも色々あります。
そして今回は奄美大島。そして男二人旅が男3人旅に。まずは千葉にある自宅近所のお寿司屋さん(まなぶ)の常連さんである黒岩裕勇起さん。黒岩さんとはかれこれもう10年近くの友達。鹿児島の黒酢屋さんの社長ですが、何故かお住まいが千葉。黒酢以外にも焼酎やアミノ酸などのサプリメントも作っています。不思議な人で私もよく把握していませんが、とにかく全国を旅している旅人です。黒岩さん「〇〇〇行ったことありますか?」と尋ねて「ない」と返事が返った事はほとんどない。年がら年中、旅から旅。まるで寅さんのような方です。その黒岩さんと千葉のお寿司屋さんで再会する度に新たな旅の武勇伝を聞くのが楽しみとなっていましたが、そのうち「じゃ一緒に旅しよう」となり二人旅が始まったわけです。
そして今回は私の友である山際大志郎さんが加わった。山際さんはクジラの専門家。獣医さん出身で私が初めて出会ったのが自民党本部。「自然と共生する勉強?」なる会に講師としてお呼ばれした時からのお付き合い。前回の選挙では残念な結果になりましたが、ただあの選挙は議員個人の活動など争点にも上がらず自民か民主かといった大きな流れで決まってしまったようなものだからどうしようもない。
そんな事よりも山際大志朗という男はなんとも面白くまた魅力的。先日も環境雑誌のソトコトにて対談させて頂きましたが、海の生態系を通して環境問題を伝えていく中で彼の力は大いに発揮されている。南氷洋に調査捕鯨に出かけた現場での実体験など実に興味深い。捕鯨の世界こそ世界の政治問題。いかに日本が国際社会相手に弱いのか、山際さんは専門家として捕鯨国である日本の立場を世界に対し訴えていた。感情論が先走る事もなく、科学的な根拠に基ずいているところがさらに説得力を増す。私自身知らなかった話ばかり。そして力強い言葉になんとも説得力があるんだなぁ〜。山際さんの話を多くの子どもたちにも聞いてもらいたいなぁ〜。
海の男、山の男と、どこかで同じ匂いがしたりする。よく顔が似ていると言われますが、どうでしょうか?
まあ〜そんな濃い顔をした男3人組みの旅は奄美大島となりました。しかし、旅が始まる前からズッコケ。数か月前に黒岩さんとお寿司屋さんで飲みながら奄美大島行きを決めたのですが、お互いに酔っていて私は「11月21からの三日間でどうですか?」と。そこで日程が決定したのですが、なんと黒岩さんは20日からの二泊三日と勘違い?していました。ただ、無理もないのが20日から三連休であり、社会人が二泊三日の旅となれば通常はこの三連休を利用するわけです。酒の席で日程を決めていたので後でちゃんと確認するべきでした。
20日に我々が奄美大島入りすると信じて疑わなかった黒岩さんは一足先の19日夜に奄美大島入りしていた。そんな事を知らない我が方は19日の夜に「明後日からよろしくお願いします」と電話を入れたら、
「えっ!明日でしょ!」と黒岩さん。「・・・・?」返事も出来ないまま「なに!この緊迫感」と恐る恐る「ところで黒岩さんは今どちら?」と尋ねたら、「もう今夜から奄美にいますよ!」と。「あの〜明後日ですが・・・」と。「え〜!!!!」と受話器の向こうから絶句。しばしの沈黙のあと、黒岩さんから「野口さん、明日来られないの?」。
しかし、その日は和歌山県内の海岸清掃で活動を終えどんなに急いで関空に向かったところで奄美行きのフライトはない。なにしろ羽田からだって一日一便しかないのだ。その旨を伝えると「ではジェットヘリでも飛ばして来られないの?」と訳わからない。ただ明らかに動揺しているようで「無理です」とも言えずしばし沈黙が続いたら「野口さん、こちらも最大限努力しますから、野口さんも最大限の努力をしてください」と告げられ「ハイ、了解致しました。最大限の努力は致しますが・・・」と電話を切り、もう一度、あらゆる手段を使っても明日中に奄美に入れないものかと調べ始めたがダメなものはダメ。
結局、黒岩さんが我々に合せてくださり、全ての予定を一日ずらしてくださった。「会社のほうは大丈夫ですか」と尋ねれば「火曜日の当日に会社には行けなくなったと連絡するしかないでしょ」と。本当に申し訳ございませんでした。
11月21日、羽田で山際さんと合流し、いざ黒岩さんが待つ奄美大島へ。奄美大島の飛行場で我々を見つけた時の黒岩さんの安堵した表情が忘れられない。さぞかしホッとしたに違いない。さてさて、スタートがこれだ。どんな旅になる事やら。
左が山際さん・右が黒岩さん
南国特有の生命力溢れるジャングルの木々
黒砂糖工場
サトウキビから作られた黒砂糖
リュウキュウアサギマダラ
マングローブ林
次に続く
fuji8776 at 12:21│Comments(6)│TrackBack(0)
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by 野口剛 2009年11月30日 14:11
男旅イイですね
たまにはゆっくりしてくださいね( ´∀`)
後編楽しみにしてます
たまにはゆっくりしてくださいね( ´∀`)
後編楽しみにしてます
2. Posted by みうこ 2009年11月30日 17:53
舞子さんクンクンして お茶目な一面も男の子らしい一面が見られて
3. Posted by さとべりぃ 2009年12月01日 00:37
いいですね〜奄美大島!
いつだったかトライアスロンの試合に参加する友達にくっついて行ったことがあります♪
女子だけの試合で、たくましくカッコイイ女性に感動しました。
さて、男子三人旅
山際さんは健さんとそっくりですね
兄弟みたい!
クジラのお話、子どもじゃぁないですけど私もお聴きしたいです。
それに旅のスペシャリスト黒岩さんの武勇伝は面白そうですね
奄美で一人待たせちゃってかわいそうでしたね
素敵なお仲間で綴る三日間
後編も楽しみにしてま〜〜す
いつだったかトライアスロンの試合に参加する友達にくっついて行ったことがあります♪
女子だけの試合で、たくましくカッコイイ女性に感動しました。
さて、男子三人旅
山際さんは健さんとそっくりですね
クジラのお話、子どもじゃぁないですけど私もお聴きしたいです。
それに旅のスペシャリスト黒岩さんの武勇伝は面白そうですね
奄美で一人待たせちゃってかわいそうでしたね
素敵なお仲間で綴る三日間
4. Posted by ・・・ 2009年12月01日 01:03
遺骨収集について検索してたらいい記事を見つけました。
日本兵の遺骨収集活動を知る―アルピニスト・野口健さん
【社会ニュース】 V 2009/10/29(木) 22:23
「7大陸最高峰世界最年少登頂記録」を25歳で達成し、富士山の清掃活動など環境問題にも積極的に取り組むアルピニスト・野口健さん。彼が現在NPOを設立し、第二次世界大戦時に戦地に置き去りにされた、日本兵の遺骨収集活動を行っていることをご存知だろうか。国による収集活動だと年平均600〜700体だが、野口さんたち『空援隊』は平成21年1月から8月までで、4305体の日本帰還を果たしたという。
この活動を知り、賛同する人の声がブログにも見られる。ある人は、戦死した父の遺骨は還らず、白い布に包まれた箱には名前が書かれた木札が入っていたといい「他にも何十万もの遺族が、同じ無念さを感じたことでしょう」と、その思いを語る。「戦争を知っている世代ではありませんが、人ごととは思えない部分があるんです」という『落書きノート2冊目ヽ(゜∀。)ノ』のブロガーは、「おいら自身は直接的に行動するのが難しいけれども、行動する人たちを陰ながら支えていきます」と、『空援隊』への寄付をすることにしたそうだ。
野口さんは自身のブログで「『知る』ということは同時に『背負う』ことでもあります(中略)どうか日本の皆様にも一緒にこの責任を背負って頂きたい」と述べる。終戦から60年以上経った今も、異国の地で無念の死を遂げ置き去りにされている兵士たちがいるという事実。ズラリと並んだ頭蓋骨、数々の遺留品の写真に、“戦後”はまだ終わっていないのだと、私たちは思い知らされる。(ははぎく)(情報提供:ココログニュース)
日本兵の遺骨収集活動を知る―アルピニスト・野口健さん
【社会ニュース】 V 2009/10/29(木) 22:23
「7大陸最高峰世界最年少登頂記録」を25歳で達成し、富士山の清掃活動など環境問題にも積極的に取り組むアルピニスト・野口健さん。彼が現在NPOを設立し、第二次世界大戦時に戦地に置き去りにされた、日本兵の遺骨収集活動を行っていることをご存知だろうか。国による収集活動だと年平均600〜700体だが、野口さんたち『空援隊』は平成21年1月から8月までで、4305体の日本帰還を果たしたという。
この活動を知り、賛同する人の声がブログにも見られる。ある人は、戦死した父の遺骨は還らず、白い布に包まれた箱には名前が書かれた木札が入っていたといい「他にも何十万もの遺族が、同じ無念さを感じたことでしょう」と、その思いを語る。「戦争を知っている世代ではありませんが、人ごととは思えない部分があるんです」という『落書きノート2冊目ヽ(゜∀。)ノ』のブロガーは、「おいら自身は直接的に行動するのが難しいけれども、行動する人たちを陰ながら支えていきます」と、『空援隊』への寄付をすることにしたそうだ。
野口さんは自身のブログで「『知る』ということは同時に『背負う』ことでもあります(中略)どうか日本の皆様にも一緒にこの責任を背負って頂きたい」と述べる。終戦から60年以上経った今も、異国の地で無念の死を遂げ置き去りにされている兵士たちがいるという事実。ズラリと並んだ頭蓋骨、数々の遺留品の写真に、“戦後”はまだ終わっていないのだと、私たちは思い知らされる。(ははぎく)(情報提供:ココログニュース)
5. Posted by ももこ 2009年12月01日 01:24
けんさん、いつも頭抱えてばかりではいけませによ。
6. Posted by ハスユ 2009年12月03日 18:37
健さん
奄美大島
鯨の専門家
僕も旅行がしたくなりました。