ニックネーム:おつる 鶴姫 (洗礼名ジャンヌダルク)
性別:女 
年齢:いい感じの年 
都道府県:兵庫県
日本シルクロード科学倶楽部副会長 たちあがれ日本 かけはし塾第一期生

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2012年08月05日(日)
8/6田母神講演会「ヒロシマの平和を疑う!」真の平和へ ★長崎の原爆とカトリック
8/6 広島平和ミーティング
田母神講演会「ヒロシマの平和」は本当か



日下公人 氏   VS 田母神俊雄氏

ネット中継大阪会場
日 時 平成24年8月6日
 17:45〜20:20(17:30開場、受付)
会 場 サムティフェイム新大阪
    大阪市淀川区西中島6−5−3 TEL:06-6885-9000
   JR「新大阪」5分、阪急・御堂筋線「西中島南方」4分。
会場費 1000円 ご協力ください。

ネット中継大阪会場実行委員会
【実行事務局;MASUKI情報デスク】
〒565-0874  大阪府吹田市古江台2-10-1-3F
TEL 090-3710-4815  FAX 06-6835-0974 

司会 中曽千鶴子

広島までいけない関西の方、ぜひ一緒に講演会の放送を見て
関西でも「真の平和」とは何かを考えませんか?
下記はこの講演会の共催の「平和と安全をもとめる被爆者たちの会」より
http://www.realpas.com/


平成22年度
田母神氏は今年の8月6日には関西地方での講演会を予定されていました。私たちは「会」の主旨から、「もっと田母神氏の意見を聞くべきである」と結論付けました。そこで私達は、その講演主催団体と協議を重ねました。そして、私たちに開催の権利を譲ってもらったのです。関西の団体にこの場を借りて感謝申し上げます。

市長以外からも昨年は「被爆者の心を傷つける講演会の中止要求」という複数団体の連名要求もありました。しかし、これは的外れです。なぜなら、私たちは被爆者だからです。「被爆者の心に配慮して田母神は広島に来るな」というデモもありました。しかし、これも間違っています。なぜなら、私たちは被爆者だからです。「被爆者の受けた体や心の傷を知るべきだ」との声もありました。しかし私たちは十分に知っています。なぜなら私たちは被爆者だからです。

〜中略〜

「核なき世界」と「戦争のない世界」との間の深く超えがたい溝をどう克服するのか、そしてすぐには到来しない「核無き世界」が来るまでの間、私たちと子孫の平和と安全はどう構築するのか、当面続く核時代の中で私たちの持つ力の限界も認めて、冷静で、現実的で、多面的な観点から、いくつもの方策を考え出していかねばなりません。

そしてそれは、核の悲惨さを最もよく知っている被爆者であればこその責務であると確信します。

私たちの平和宣言 (平成24年)
67年前のあの日、
非道なる原爆で一瞬にして残虐で理不尽な死に直面した方々、
そして3日後に同じ運命に直面した方々、さらには無差別爆撃の
あるいは機銃掃射の、艦砲射撃の、標的になって死に追いやられた
わが国各地の方々・・。
夥しい犠牲者は今もってすべてを数え上げることすらできません。
あれは誤爆でも偶然でもありません。あなた方は狙われる謂われのない
無辜の人々でした。あなた方は私たちの父母、祖父母あるいは兄弟たちでした。
惨禍の中、肉親を、同胞を求めて彷徨い、精一杯の手当てを施し、
逝く者に寄り添いました。こうした努力を続け、
そしてかろうじて生き延びた方々は力をふり絞り、
原子砂漠を美しい街に蘇らせました。
歳月はこうした方々の多くも旅立たせて行きました。
そして今、私たちはあなた方に心から感謝の気持ちを捧げます。
 
 
「刀をくれ、やっつけてやる」と見守る人に求め、国歌を歌い、
「母ちゃん」と呼びながら、被爆後一日あまりで短い生涯を閉じた中学生・・
朝5時の汽車で通学して勉学と土木作業に邁進した少年・・
大阪爆撃の瓦礫から遺体を掘り出す作業に携わってから広島に移り、
被爆死した少年・・
20キロ以上の道のりを歩き、
炎上する広島の街に入って我が子を探し歩いた父や母・・
爆心地の防空壕で負傷なく難を逃れながら
直後に救援活動に当たったために受けた放射線障害で、
10日あまりのうちに全滅した長崎のとある町の人々・・。
兵士、警察官、教師、民間人、そして子供達までが、
未曾有の惨禍にあってなお秩序整然として、
同胞相助たすけ合った数々の姿を思うと、
私たちの胸は張り裂け涙が止まりません。
国は負けましたが、心は負けなかったのです。
強い心を持ち、空前の悲惨さの最中でも
他者に分け隔てない慈愛を注ぐことの出来たあなた方は、
私たちにとって最大の誇りです。そしてその精神と行動を受け継ぐことが、
私たちの責務であると信じます。
 
今、私たちには危険が忍び寄っています。
北朝鮮は核爆弾を一層高度化し、弾道ミサイルの射程は伸び、
既にわが国は完全にその攻撃範囲に入りました。
彼らは「我々は堂々たる核保有国であり、強勢大国への道に入った」と呼号し、
米国まで届くミサイル保有まであと一歩の段階です。
中国は、その北朝鮮に弾道ミサイル運搬車両を供与していました。
北朝鮮制裁決議をした責任ある安保理常任理事国でありながら、
平然とそれを犯しているのです。核拡散防止条約は、
核兵器国である中国自らが義務を破ったことで無意味な存在になりました。
中国はまた、通常兵器を質量ともに過去10年で3倍以上に増強させ、
南シナ海全域を軍事的に制圧し、わが国固有の領土である尖閣諸島の奪取は
秒読み段階に入りました。
さらには沖縄本島にも魔手が忍び寄っている兆候があります。
中国の核弾頭の推定保有数はこれまでの200発が3000発以上と
大幅に上方修正されました。
なす術を失っているわが国の足元を見たロシアは、
北方領土問題を無視し去るようになりました。
韓国では、前大統領時代に密かにウラン濃縮を行っていたことが発覚しました。
そして、現政権与党の有力議員が記者会見で核武装の意図を公言したことが、
現地では肯定的に報じられています。
 

そしてわが国の核廃絶主義者達は、「原子爆弾は中華民族の尊厳」
と公言する中国に対しても、核攻撃能力を日々強める北朝鮮に対しても、
驚くほど静かです。反面、すべての核兵器保有国が行うはずの未臨界実験では、
実験を公表する米国にだけ非難の矛先を向けています。
彼らは、米国オバマ大統領のプラハ演説のレトリックに欣喜雀躍はしても、
今年の米国国防報告における中国の記述が昨年よりも極端に減少して
その危険性に目が閉ざされ、融和的に変質した意味を理解できないのです。
それは、北朝鮮の核能力とミサイル性能が向上するにつれて
米国が北の核兵器保有を黙認する政策に転じたように、
中国の軍事力増大に対しても、
米国がその身勝手な行動を抑制する意思を減退させたことを示しています。
韓国の核武装発言もこの文脈の中の出来事だと見なければなりません。
 
憲法平和主義の自縄自縛に陥ったわが国は、
一日も早くこのように冷厳な現実に目覚めて、
あなた方の示された強い精神と行動を取り戻さない限り、
私たちの主権と独立が侵害されても身をやつすしかありません。
 
平和主義こそがわが国の平和を脅かしているとは、
何という皮肉でありましょうか。
学校で「平和教育」を受けてから幾星霜、
私たちは国際情勢の現実を認識するほどに、
それが幻想であったことに気づきました。
そしてあなた方が備えられていた志が、
いかに貴重であったかを知りました。
 

ひと頃盛り上がりを見せた反核運動が、
社会主義国の核兵器の善悪を巡って争い、そして分裂したことからは、
その運動が本当にすべての核兵器を廃絶させるためのものではなく、
見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない悪弊に
陥っていたことがわかります。
彼らは、わが国が取るべき方策を妨害しこそすれ、
肝心の核兵器を開発、保有する外国を自らの主張に
沿わせたことがあったでしょうか?
 
旧ユーゴや南スーダン、エリトリア、東チモールなど、
現代世界は一つ国家の内部で価値観を共有する民族が集結して
分離独立を求めて争い、分割国境が確保されたときに
安定化するという事実が現出してきました。
国家は統合されるどころか分裂し、数は逆に増えているのです。
この状況の何処に「世界市民」などが存在するのでしょうか。
広島平和公園の碑文に刻まれた「あやまち」が
「世界市民」のあやまちだ、との主張は詭弁でした。
犠牲になったあなた方の、
誰一人としてあやまちなどを犯してはおられません。
 
当時の国際法を見れば、誰が戦争犯罪者かは明らかです。
だれが原爆投下を命令したのか、その名前も私たちは知っています。
戦勝国に、不当な根拠で罪科を問われた日本人は、
東京、横浜を始めアジア各地で1000名有余が処刑されたにも関わらず、
彼の地では誰も処罰されることはありませんでした。
 
死に臨んで、刀をくれと叫んだ少年の気持ちを、
兵隊さん仇をとってくれ、と懇願された人の気持ちを、
黙々と復興への努力をし続けた人々の思いを、志を、
私たちは受け継ぐことをここに誓います。
占領時代に恣意的に作られた物語には左右されません。
絶対に・・・。
 

さもなければ、私たちは三度理不尽な惨禍を受ける危険を避けることは出来ません。
私たちは、虚構の「平和教育」から覚め、
幻想の核廃絶運動に身を委ねることなく、
世界の大勢と祖国の現状を見据えて進みます。
そして改めて宣言します。

「あやまちは繰り返えさせませんから................」と。

 
        平和と安全を求める被爆者たちの会


****************************************************************
真の「平和」真の「正義」とはなんでしょうか


★長崎の原爆とカトリックについて続編

私は、今日、カトリック教会でオルガンを弾いて祈りました。
聖母マリア様の像はいつも美しい

日本各地で苦しむ人々へ、東日本大震災の犠牲者さんへ、
戦争で散った英霊へ、ニューギニアで亡くなった叔父へ
病気で苦しむ人へ、いじめや虐待で苦しむ子らへ、未来の日本へ

この8月は、私にとってナガサキを考える夏になりました。
カトリック信徒である夫やそのほかの方々でさえ、ナガサキで
ラテン語の聖歌を歌いながら死んでいかれた修道女、長崎純心学園の
女性徒が「みははマリア」を歌いながら天に召されたこと、長崎で8500人もの信徒が亡くなったことを知らなかったそうです

67回目の長崎の8/9、昼間の式典が終わり、平和公園を訪れる人も少なくなった19時過ぎ、カトリック信徒約1000人による平和を祈念するたいまつ行列が浦上天主堂を目指して歩き始めます。
行列の先頭で聖座には、、原爆によって全壊した旧浦上天主堂の瓦礫の中から奇跡的に発見された「無原罪の聖母像」の頭部がのせられ運ばれます。


長崎に原爆が投下された1945年8月9日の真夜中ごろ、長崎大学病院放射線科の小笹富子看護婦たちは、ラテン語で聖歌を歌っている女声合唱を聞きました。

「苦悶の中で絶命したに違いない27人の修道女たちは、近くを流れる小川のほとりで身を寄せ合い、歌いながらこの世から去っていったのでした。」(ポール・グリン『長崎の歌』260ページ)

「その夜、一晩中美しいラテン語の讃美歌の合唱がとぎれとぎれに聞こえてきました。夜が明けてみると、学園の運動場の草むらの中に、7、8人の修道女がひとかたまりになって、手を取り合い冷たくなっていた」(瓊浦女学校『白夾竹桃の下』田崎光枝)。

 永井博士の妻である緑さんがかつて教えていた純心女子学園の女性徒たちの多くは、1945年8月9日の朝は時津や三ッ山にある工場に学徒動員で働きに行っていました。

 長崎純心聖母会の初代学園長であるシスター江角ヤスは、空襲が激しくなったころから毎日校内全員に聖歌を合唱させていたそうです。

 忌まわしい原爆で、ある生徒は即死し、生き残った者も裂傷を受けたり赤外線で大火傷を負ったり苦しんでしました。ほとんどの者が酷い怪我をしており、多くの者はそれから数日後には躯となる身でした。しかし、彼女たちは歌い慣れた聖歌「み母マリア 身も心も とこしなえに 献げまつる」を一節一節歌いながら励ましあい続けて死んでいったのです。



カトリックの被爆者でもある永井博士が「神の摂理」を説く立場は「反核平和思想」と相いれなかった


永井博士は、長崎医科大学で放射線医学教室に在籍、放射線物理療法の研究満州事変に幹部候補生として出征後、カトリックの洗礼を受け、
再び日中戦争に軍医として中国各地を転戦し帰国(昭和15年・1940)。同年、長崎医科大学助教授となり物理的療法科部長となった方です

私のボスである札幌医科大学教授と同じく放射線の専門家であり
真の科学、医学に取り組んだ方です
永井博士は反ソ・反共の傾向が顕著だったといいます
「浦上の聖者」とたたえられたカトリック信者の永井博士は、長崎市名誉市民であり天皇の見舞いも受けた人だそうです

永井博士の長崎原爆「神の摂理」という言葉は、人間の愚かな業に対する
言葉であり、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の『戦争は人間の仕業です』との言葉と矛盾しない、

そして、私が今回、永井博士、長崎の原爆について考えるきっかけと
なった、カトリック箕面教会の神学者、聖書学者の和田神父様の
「アッシジのフランシスコのような方が核兵器を持っていても脅威ではなく
兵器に問題があるのではなく持つ側の人間が愚かであるかそうでないかが
問題である」と言われたことと、つながることだと思います

永井博士と同様、放射線の権威である札幌医科大学高田純教授が
8/19に、真の平和とは何か、愛国救国の講演会を関西、エルおおさか13時半〜開催します。
札幌医科大学高田教授は、単純な原発推進論者ではありません。
真の平和のために、今回の福島原発についての真実と、原発事故に対する
愚かな政治家、そういう人間の愚かさについても言及されます。


久間発言と「神の摂理」「祈りの長崎」

 原爆忌を評して、「怒りの広島、祈りの長崎」といわれる。
 世界に強い怒りのメッセージを放つ広島に比べ、
 長崎原爆忌では、「核の犠牲者は私たちを最後に」
 との静かな祈りに包まれる。

 長崎原爆忌に祈りのイメージを定着せしめたのは、永井隆博士といわれる。被爆の中心地・浦上地区はクリスチャンが多い地域だった。自ら被爆しながら救護活動に従事して、「聖者」とたたえられた永井博士は「神の摂理」を説いた。戦争という愚かな殺し合いに狂奔した人間の罪に対して神が罰を与えたのだ、と。長年、数々の苦難にさらされてきた信者にとっても、その言葉は救いでもあったのだ。

『批判精神やむことなく』山田貴己(よしき、38歳、長崎新聞記者)
  (2003年8月4日長崎新聞掲載)

神の摂理か、原爆論争再燃 永井博士生誕100年で

長崎で自ら被爆しながら被爆者治療に尽力した永井隆博士(明治41年〜昭和26年)が
著書「長崎の鐘」や「ロザリオの鎖」で、原爆投下を「神の摂理」などとした記述の是非をめぐり、博士の生誕100年に当たる3日を前に論争が再燃している。

永井博士はカトリック信者の立場から「浦上が犠牲の祭壇に(中略)潔き羔(こひつじ)として選ばれた」「神の光栄を世に示すための試練」などと著書に記述。神の摂理を説く立場は反核平和思想と相いれない面もあり、博士のもとで放射線医学を学んだ故秋月辰一郎医師や、被爆詩人の故山田かん氏らは昭和30年代後半以降、批判的だった。

カトリック信者で長崎純心大の片岡千鶴子学長は「永井博士は被爆をキリストの贖罪(しょくざい)と重ね合わせることで、原爆が天罰かもしれないと苦しんでいた浦上の人々の精神の復興を目指そうとした」と反論している。
2008年 産経新聞


永井博士の「摂理論」解説 長崎純心大・山内清海教授講演


 長崎市興善町の市立図書館で三日、講演会「永井隆博士の思想を語る−神の摂理−」があり、長崎純心大の山内清海教授が、永井博士(一九〇八−五一年)の摂理論について話した。

 永井博士は「長崎の鐘」などの著書を残し、核兵器使用の非道を訴える一方、カトリック信者の立場で「浦上に原爆が落ちたのは神の摂理」と容認論とも受け取れる発言をしたため、一部の被爆者らに批判がある。講演会は長崎大付属病院の医師らが「博士の思想が正しく伝わっていない」と実行委をつくり開いた。約百四十人が参加した。

 山内教授は、摂理論について「永井が特に強調した思想的背景には、原爆投下を『天罰』とうわさし、それに迷っていた信者に勇気を与えたかったから。そうした人々への警鐘であり、神への信仰を説くためだった」と指摘。

 その上で、「永井は原爆投下を神の業ではなく、『人間の愚かな業』と嘆いている。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の『戦争は人間の仕業です』との言葉と矛盾しない。摂理論は原爆の苦しみの中で絶望するのではなく、もう一回頑張ろうという未来志向的で、浦上の再建と世界平和構築の再出発点だった」と述べた。

2008年8月4日長崎新聞掲載

◆永井博士の記念館にはいつか行こうと思います
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/japanese/abm/insti/nagai/nagai_s/nagae01.html

◆長崎市 永井博士記念堂
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/

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最後に今日、昭和41年に改訂された 美しい歌がたくさん掲載されている
カトリックの聖歌集にこのような歌があるのを発見しました。
よく、キリスト教は外国の宗教だとか、一神教で日本を侵略し否定する
と誤解されている方がおられます。また
私が 日本を愛することが、カトリック的でないというような人もいます。
ぜひ、この歌を知ってほしいと思います

◆「日出ずる国」  カトリック聖歌集 32番
日出ずる国 わが日ノ本 さいわい 恵たまえ
天(あま)つみ親 大君(おおきみ)を まもれとこしえに

美(うるわ)し国よ わが祖国よ
平和の 光みちて みむねのまま 進みゆけ
とわに ゆるぎなく


◆いさぎよき カトリック聖歌集 408番

いさぎよき やまと島根の ひじりらは いのちを献(ささ)ぐ み教えの為
いさおしは よろずの国に よろず代に ほめ称えられ とわに輝く

くるしみも なにか恐れん ひじりらは 喜び忍ぶ み主(あるじ)のため
血しおもて 染めしまごころ わすれまじ わかせ日ノ本の 弥栄(いやさか)のため 

◆おおしくも カトリック聖歌集 407番

雄々しくも いさぎよき 強者(つわもの)は その生命(いのち)捧げたる
いさおしぞ とうとき
天地果つるも そのみ名とこしえに 尽きせず 語りつかん

主を知らぬ 世のために 生命(いのち)すら 惜しまず
血潮もて 示したる 真心ぞ とうとき

いつわりを 許さざる 汚(けが)れなき 心を
日の本に かかげたる その愛ぞ とうとき









2012-08-05 23:05 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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