今日の古着講座
はやっぱりLEVI’Sを語らなければ、始まらん
い込み、幸いにも前回もLevi'sの代表的なパンツを御紹介さして
もらったんで
今日は皆さん、かなりの長文のみになりますんで、しっかりコー
ヒーと煙草で読書気分で読んで下さいね
それでは授業開始ッス
第一章 鋲(リベット)を打ち込んだ頑丈な作業ズボン
今日、ジーンズの原点とも言えるリーバイス501へと繋がる原
点のパンツ。その本来の用途はファッションとはかけ離れた作業
用のズボンだったのです。
時は1870年12月、アメリカネバダ州のリーノという町の仕
立て屋を営んでいたジェイコブ(ヤコブ)・W・デイビスは店の経営
的に衣類の仕立てのみならず、注文があればテントや幌(ほろ)な
ど何でも仕立てていたそうです。ほそぼそと仕立て屋を営んでい
るジェイコブスの店に、近所に住む木こりの妻が「主人に丈夫な作
業ズポンを仕立てて欲しい」。と注文があり、当時としては高価な
3ドルで仕立てることになり同月末頃その作業ズボンは仕上がっ
た。この時はまだリベットは打たれてはおらず、仕上がった作業
ズボンを眺めていると、作業台に転がるテントや幌の補強に使う
リベットが目に入り、木こりの妻が注文の時「よくポケットを壊し
てくる…」と、話していたのを思い出し、作業ズボンで3ドルは少
し高かったかな!?と思っていたジェイコブはサービスでポケッ
トの入り口にリベットを打ち込んだのです……
と、こうして初のリベットを打ち込んだ作業ズボン(10オンスの
生成りのキャンバス地)が出来上がったのです。このズボンは木こ
りの間で瞬く間に評判になり、更に木こり仲間のみならず評判は
うなぎのぼりとなり一年半で200本を仕立てるまでとなったの
です。
第二章 リーバイ・ストラウス
リベットを打った丈夫な作業ズボンの注文が増え、評判が高まる
につれジェイコブは「真似されたらどうしよう…」と不安も高まっ
てくる。そこでジェイコブは特許を取り真似されないようにと考
えたが、はたしてそうかんたんンに特許が下りるのだろうか??生
地にリベットを打つのは当たり前のように誰もがしていることだ
ったので、ズボンにリベットを打っただけで特許を取るというの
はどうかとも考えたが、現にリベットを打ったズボンは評判も良
く注文も増えているので、やはりこれは商売になると踏んだジェ
イコブは、当時、小額だが取引していたサンフランシスコでは知
らないものはいない洋品雑貨等で手広く商売していたリーバイ・
ストラウス社に力になってもらおうと1872年7月に手紙と1
0オンスの生成り色のキャンバス地と9オンスのデニムで作った
ものを送った。「このズボンの秘密は壊れやすい箇所にリベットを
打ち込み丈夫にしてあることです。キャンバス時は3ドル、デニ
ムは2ドル50セントですが大変売れています。ですが、この売
れ行きを良く思っていない人がいます。そこで、リーバイ・スト
ラウス社の力を借り私の名前で特許を取って頂けませんか。もし
そうして頂けるのなら、権利の半分をそちらにお譲りします。」と
いった内容の手紙を受け取ったリーバイ・ストラウスは当時68
ドルと決して安くない特許申請料だったが「やってみる価値はあ
る」と即決断を下した。こうして最初の特許申請が行われた……翌
月1872年8月、最初の……と書いたのは、一度目の申請は却
下された為である。どういう申請ないようだったかわ分かりませ
んが、靴の縫い目をリベットで補強する。という先例がありズボ
ンのリベット補強の特許は降りなかったそうです。これで諦める
リーバイ・ストラススではなく、二度三度と申請をし、何とか特
許が下りるよう特許事務所に掛け合い、翌年1873年5月、つ
いに特許が下りた。特許内容は「リベットによるポケット開口部の
補強」だったそうです。特許が下りるまでの経緯をみるとリーバ
イ・ストラウスに特許の申請を頼んだのは正解だったのでしょう
ね。
第三章 501誕生
1890年にロットナンバー501が誕生。1873年に特許が
下り、特許権が切れる1890年までの17年間にリベットを打
った丈夫な作業ズボンは売れに売れて想像を絶する売り上げだっ
たそうです。もちろん特許権が切れれば誰でもリベットを打った
ズボンは販売できることになり、各社こぞって安値のリベット付
きズボンを売り出してきた。そこで、リーバイ・ストラウス社は
17年間培ったノウハウを基に、より丈夫で穿きやすい完成度の
高いズボンを売り出す戦略にでた。10オンスXXデニムでの完成
度を高めると共に、腰周りにフィット感が得られるようバックヨ
ーク(ウエストバンドとバックポケットの間にある三角の切り返
し部分)を付け、懐中時計を入れるウォッチポケットを右前ポケ
ットの上に付け、501というロットナンバーで売り出す。今
後、現在のジーンズの基本であり目標の501XXを世に生み出す
ことになる。
ところでジェイコブはどうなったの?と気になる方もいるかと思
いますので次の章で話を少し戻したいと思います。
第四章 ジェイコブとリーバイ・ストラウスの出会い
1873年に特許が下り、ジェイコブとリーバイ・ストラウス社
に販売権があったのですが、ジェイコブ個人では販売することは
ありませんでした。特許が下りる数週間前にリーバイ・ストラウ
ス社はリベット付き作業ズボンの製作部署を新しく設け、生産監
督者としてジェイコブを招いたそうです。ここであれ?っと、疑
問が出てきます。特許がまだ下りていないのにリベット付き作業
ズボンの製作部署を設けジェイコブを生産監督者として招
く……。と、ここまでの資料はあるのですが、疑問を解決する資
料がないので私なりの考えで話を進めたいと思います。
リーバイ・ストラウス社がリベット付き作業ズボンの製作部署を
設けるのは問題ないと思います。特許が下りても下りなくてもリ
ーバイ・ストラウス社はリベット付き作業ズボンを販売できるの
ですから。疑問はジェイコブを特許が下りる前にリーバイ・スト
ラウス社に招いたことです。例えば、特許が下りてリーバイ・ス
トラウス社での独占販売を目論んでの戦略だとしてもちょっと解
せませんよね。当時のリーバイ・ストラウス社の実績と知名度が
あればジェイコブ個人がリーバイ・ストラウス社の売り上げを脅
かす存在になるとも思えませんしね。仮に特許が下りなかった場
合で考えた場合は、ジェイコブにとっては自分の発案したズボン
の生産監督者としてリーバイ・ストラウス社で働けて安定した収
入にもなるのでこの上ない申し出だったと思います。ですが、リ
ーバイ・ストラウス社にとっては特許が下りなかった場合にして
もジェイコブを招き入れる理由はないはず・・。ジェイコブにし
か作れないのであれば別だが、手紙と一緒に見本をリーバイ・ス
トラウス社に送っているので見よう見まねで作れたはずだし、し
かも、まだ販売もしていない実績もない商品に新設の部署を設け
ジェイコブを高待遇で招いた。売れなければ損・・・というリス
クは商売人として成功していたリーバイ・ストラウスが考えなか
ったはずはないと思います。ここでこの章の題名にしたジェイコ
ブとリーバイ・ストラウスの出会い、これは私がこうであってほ
しいという思いなのですが、お互いが損得勘定抜きで互いに惹か
れ合う何かを感じたのだと・・・。リーバイ・ストラウスは今後
の衣料と社の未来をジェイコブに見、ジェイコブは自分でも気付
かない才をリーバイ・ストラウスが見たのを感じリーバイ・スト
ラウスの下で働こうと・・・。と、まぁ今後ジェイコブがリーバ
イ・ストラウス社に貢献することが分かっているのでこう書かせ
てもらいました。ですが、ジェイコブとリーバイ・ストラウスが
出会わなければジーンズの名品501はなかったかもしれません
し、今何気なく穿いているジーンズそのものもなかったかもしれ
ませんね・・・。
ふぅ〜〜
今日はこの辺で……
次回は後半、<第五章 501の歴史>からスタートッス