久しぶりだな。と、言っても数日振りか?(笑)
もう正宗を捨てた君には興味はないが、少し書かせて頂こう。
君が今後、学者的な見地から大聖人の仏法を語るのなら、それはそれでいい。
であるならば、君の過去を清算する意味でも石山教学の矛盾点から行うべきではないか? 成仏云々を語っている以上は、石山の血が抜けていない証拠だと判断してる。
「ほんまつ」でも「もとすゑ」でも、どちらでも良いことなんだ、所詮、日精と云う坊 さんが、著したことであって、日周がそのように語ったなどとは誰も断言できない。
君が、学者として論者として余生を送るのなら、まずは、『随宜論』の正訳から始める ことをお勧めするよ。
その時は、石山から矢や鉄砲が飛んでくるが、君なら跳ね返せるだろう。
できないなら、単なる退転者で終わる。
現宗門は、葬式仏教以外の何者でもない。寺の経営上必要と言うのならば、もはや宗教 としての役割は終わっている。
法太郎よ、過去の清算をして、仏法を大いに語れ。
その時には、再び君に興味を抱くかも知れない。
最後に、江戸時代の将軍家所縁の後家さんと坊さんの関係は…。
これは、君に任せよう。
ではな。
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