チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第二十四話 再度のシ者


<ネルフドイツ支部 会議室>

ネルフドイツ支部の会議室では、緊急のゼーレの会議が開かれていた。

「加持ミサト議長、これは我々ゼーレに対する背任行為ではないのか?」

ゼーレの会長であるキール・ローレンツは書類を取り出してミサトの席へ向かって乱暴に放り投げた。
床に散らばった書類に書かれているのはゼーレの支出報告書の明細。
所々の金額の欄にマーカーで赤い印が付けられている。

「ゼーレの目的は使徒を倒すことだ。そのための経費は惜しむまい。だが我々は慈善団体では無いのだよ」
「左様。印がつけられた金額の支出。表向きはエヴァの整備や新技術の開発となっているが、実体は別の物」
「ダミー会社を使ってNPO法人や、戦災孤児保護団体への出資とは舐めた真似をしてくれる」

他のゼーレの議員たちも口々にミサトをなじる。

「加持ミサト君。篤志家を気取って自分の給料の中から寄付するのはいっこうに構わんが、議会の資金に手をつけるのはやりすぎではないかね?」
「……はい」

ミサトはそう返事をして下唇を噛んだ。
ゼーレの議員たちは自分たちが生き残るために巨額の資金をエヴァ関係につぎ込むのはためらわない。
世界各国で同時に進められているエヴァ量産機建造計画もその例。
またエヴァの新武装の開発についても概算要求額がそのまま通過する。
ミサトは目の前を通過する兆単位の資金に対して、議長権限を乱用し、社会奉仕団体へ寄付を行っていた。
しかし、ミサトもリョウジも軍事についてはプロフェッショナルだが、資金洗浄などの知識は浅かった。
幼稚な隠ぺい工作を今まで見逃してきたキール達だったが、今こそ時期到来とばかりにミサトの罪を暴いたのだ。

「ただいまをもって、君を議長から解任する」

キールの宣言に、ミサトは次はどんな罰則が下されるのか唾を飲み込む。

「ただし、使徒殲滅戦における指揮など今までの功績を考慮し、ゼーレの議員資格喪失以外の罰則は課さないものとする」

その言葉にミサトは驚いて息をのむ。

「なにか、不満でもあるかね? 加持特佐」

ミサトはほっと安心した表情を浮かべる。

「いえ、格段の恩赦、ありがとうございます」
「では、今から君はゼーレの議員では無い。直ちに退席したまえ」

一礼をしたミサトは、足早に荷物をまとめて退出して行く。

「キール議長、やっと長かった茶番劇も終わりですな。しかし、なぜ加持特佐をお許しになったのです?」

質問した議員の男とは別の議員の男がいやらしい笑い方をする。

「あの女の安心しきった顔、それが苦痛にゆがむ様を見るのはまた格別かもしれませんな」

また別の東洋人風の年配の議員が二つのファイルを組み合わせて立てて、器用に『人』という文字を作る。

「支えを失った者ほどもろいものはありませんな」

老人が片方のファイルを引き抜くと、もう片方のファイルは音を立てて倒れる。

「犬の始末は犬にやらせよう……」

キールがそう締めくくると、ゼーレの緊急議会は終了した。

 

<ネルフ本部 第一発令所>

ミサトがドイツ支部に出かけている間に、ネルフのセンサーが使徒を感知した。

「私はあと30分でそちらにつくわ。それまでなんとか持たせて」

ドイツから日本に戻るネルフ専用機の中で使徒接近の報告を受けたミサトは、そう指示を出した。
ネルフにとって悲劇だったのは、ミサトに代わるほどの指揮を執る逸材が存在しなかったことである。
自然と代理としてゲンドウが指揮を執る事になったが、独創的でもある作戦を思いつくこともなく、典型的な策をとる。
出現した使徒は輪のような状態のまましばらく進むと、動きを止めた。

「使徒は滞空して回転を続けています」

マコトの報告のように、発令所のモニターには滞空している使徒が映し出される。

「戦略自衛隊の戦闘機に攻撃命令を出せ」

ゲンドウの命令により戦闘機が接近し、ミサイルによる攻撃を加える。
ミサイルは使徒の本体に当たる前に、ATフィールドに阻まれて爆発した。

「目標のATフィールドは依然健在」

反撃もせず、使徒はゆっくりと回転を続けるのみ。
その緩い動きをみたゲンドウは、先手必勝とばかりにエヴァ三機の出撃を命じる。

「エヴァ三体は、目標を取り囲むように出撃。ATフィールドを中和し、一気に倒せ!」

ゲンドウの作戦は至極もっともなものと思えた。
オペレータの三人も次々とエヴァを地上に射出した。
リツコは胸の底で何か嫌な予感を感じていた。
確かに、物理的な攻撃でやってきた昔ながらの使徒が相手なら妥当な作戦だ。
しかし、最近の使徒は知恵や心と言ったものを備えつつある。
最初に地表に射出されたのは発射ケージから一番距離の短かった弐号機。
すると、エヴァに反応したのか使徒は輪の形を崩し、紐のような形になって弐号機に向かっていく。

「弐号機、応戦しろ!」
「だめです、間に合いません!」

オペレータのマコトの叫び声と同時に、使徒は弐号機のATフィールドを突き破り、弐号機の下腹部へと突き刺さった。
アスカは紐のような体の使徒をつかんでパレット・ライフルで攻撃するが数発撃っても効き目が無い。
遅れて初号機と零号機も地表に射出される。
発令所はエヴァの武器も効かない使徒を相手に緊迫を通り越して絶望に包まれそうになったが、弐号機のアスカから通信が入る。

「初号機用に作った、マゴロク・E・ソード、あれを使えば使徒も切り裂けるはずよ!」
「そうね、あの切れ味なら使徒を分断できるかも……シンジ君、ポイントX130Y470のビルに武器を射出させるわ」
「……はい!」

リツコに指定された場所に向けて初号機は走り出す。
レイは少しでも使徒を止めようと弐号機の方に直接向かっていく。

「使徒、弐号機と接触しました!」
「弐号機のATフィールドは展開されているのか?」

シゲルの報告に、ゲンドウも慌てて席から立ちあがる。

「はい、しかし使徒に浸食されています!」
「使徒がエヴァと融合しようとしているの?」

マヤの報告に、リツコはそうつぶやいた。

「……すまん、私のミスだ。安易にエヴァを出すべきではなかった」

自分の作戦の失敗を悟ったゲンドウは、謝りながら自分の判断を悔いた。

「くっ……ううう」

弐号機のエントリープラグの中で、アスカは強い痛みを感じている。

「弐号機の侵食度、5%!」
「早くしてくれ、シンジ!」

先発した零号機が使徒の攻撃圏内に入ると、弐号機に浸食した側と反対の使徒の体の先端が零号機にも襲いかかる。
だが、零号機に接触して間もなく初号機のマゴロク・E・ソードが使徒の先端を輪切りにして切り裂いた。

「いける!」

シンジの確信を込めてそう呟き、零号機の無事を確認すると弐号機の元に向かう。
輪切りにされて多少短くなった使徒の先端は今度は初号機に狙いを定めるがまたシンジは輪切りにして切り捨てた。
そしてかなり弐号機に接近してきた時、しなる様に使徒の先端がまた初号機の脇腹に突き刺さる。
慌てずシンジは自分の脇腹に刺さった使徒を切り裂こうとする。

「シンジ君、横に輪切りにしても結局はトカゲのしっぽ切りよ! 縦に切り裂いて!」
「了解!」

リツコの指示に従い、シンジはマゴロク・E・ソードを構える。
その時シンジにだけはアスカの弱々しい声が聞こえて来た。

「タスケテ……シニタクナイ……」

その声は使徒から発せられたものだとシンジは思ったが、声色はアスカそっくりだ。

「コロサナイデ……オネガイ……」
「目標、さらに浸食!」
「シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ!」

シンジはその声に、使徒にとどめをさせないでいた。
その間に弐号機のエントリープラグ内のアスカの意識は遠のいて行った……。
混濁した意識の中、アスカは自分がオレンジ色に満ちた水たまり以外は赤い空しかない、不思議な空間に居る事に気がついた。
アスカの目の前にはプラグスーツを着たもう一人のアスカが居る。

「……アンタの命をちょうだい?」

目の前のアスカは無邪気な笑顔でそう言った。

「……イヤ、そんなの無理な話よ」

すると、アスカは胸に痛みを覚え、頭の中に眩しい光のようなものが広まったと思うと一面白い世界が広がる。
目の前にシンジの姿が浮かび上がると、幻のように消え失せる。

「……シンジ?……レイ……ミサト……ヒカリ……リツコ……リョウジさん……みんな……なんで突然思い浮かぶの?」
「アンタの心を壊しているの。アンタを消して、アタシがアスカになるの。……そうね、式波・アスカ・ラングレーとでも名乗ろうかしら」
「……そ、そんな……」
「アタシはアンタみたいに不完全な人間にはならないわ。自分一人で生きて行くの。他の人間と馴れ合うなんてまっぴらよ」
「……いやっ、私はそんなの認めないっ!」
「無駄な抵抗はやめなさいよ、このままじゃ人格が保てなくなるっ!」
「……いやっ、いやっ、いやーーーっ!!」

アスカは自分の叫びと共に、白い空間も赤い世界も、自分の意識全てが崩壊して行くのを感じた……。

「シンジ君、早く使徒にとどめを刺して! このままじゃアスカが!」

シンジはリツコの叫びにやっと意識を正常に戻した。
気がつけば命乞いをするアスカの声は途切れている。

「うおおおお!」

マゴロク・E・ソードを握りしめ、シンジは使徒の体を縦に切り裂いた!
切り裂かれた使徒はコアを失ったのか、ドロドロに溶けて消えて行く。

「大変です、弐号機パイロットの意識がありません!」

弐号機のエントリープラグ内でだらりと垂れるアスカに、発令所は騒然となった。

 

<ネルフ本部 303号病室>

ミサトがネルフ本部に戻った時にはすでに使徒戦もその後の事後処理も全て終わっていた。
急いでミサトは、アスカが運び込まれた病室に駆けつけた。
部屋の中ではベッドの横に居るシンジとレイ、そしてベッドで人形のように横たわるアスカが居た……。

「アスカお姉さんは、息はしているの。でも目を覚ましてくれないの……」
「僕が使徒にとどめをさすのが遅かったから……僕のせいだ!」
「そんなに自分を責めないで……」

ミサトがなぐさめてもシンジは自分を責める事を止めない。
そこでミサトは横たわるアスカの手をシンジに握らせた。
途端にシンジの体から力が抜ける。

「そう……こうやってアスカの手をずっと握ってあげなさい……アスカは生きてるんだから……」
「アスカの手……暖かい」
「ミサトさん……私も、反対側のアスカお姉さんの手を握っていいですか……?」
「もちろんよ。そうね……二人とも、アスカに話をしてあげなさい。そうすれば……戻ってきてくれるのも早くなるかもしれないわ……」

シンジとレイが頷くのを見て、ミサトは病室を立ち去った。
ミサトがシンジとレイに言ったことは何の根拠もない。
しかし、なによりもミサトはシンジとレイに落ち着いて欲しかった。
発令所に戻ったミサトはリツコやゲンドウたちとアスカの異変の原因について話し合ったが、アスカが何らかの精神的ショックを受けたという推測しか得られなかった。

「悔しいけど、科学の力では人間の魂や精神のデータ解析はできないの」

リツコはそういって、発令所のコンソールを思いっきり叩いた。
手を組んで黙って司令席に座っていたゲンドウがおもむろに口を開ける。

「…………シンジとレイの様子はどうだ……」
「相当なショックを受けています。今はアスカの側に居させる事で心を落ち着かせていますが……」
「今の精神状態で二人をエヴァに乗せるのは危険と考えます」

ミサトの報告をリツコが補足した。
コウゾウが思わずため息と共にこぼす。

「エヴァ無しで使徒と戦えと言うのか……」
「元々使徒を倒すのは私の責任です。それを息子たちに背負わせてしまった……私は約束を果たすことができなかったのです」
「約束?」

ゲンドウの言葉にミサトが疑問に思って眉をひそめていると、ネルフ諜報部の人間がやってきた。

「何事?」
「赤木博士、加賀ヒトミの所在をご存じありませんか?」

聞かれたリツコは直ちにヒトミに電話を掛けるが、繋がらなかった。

「加賀ヒトミって、リツコんところの部下でネルフ技術課の、マヤっちと同い年の子よね。彼女がどうかしたの?」
「……ここだけの話ですが、彼女には合成麻薬製造の容疑がかけられているのです」
「何ですって!?」

ミサトは諜報部の男の報告に驚きの声をあげた。

「この件に関しては加持リョウジ君と剣崎キョウヤ君にも調査を頼んでいた。どうやらゼーレが関与しているらしくてな。今まで巧妙に隠され、見つけられなかったのだ」
「しかし、ヒトミが麻薬密造なんて信じられません!」

ゲンドウの言葉の後にリツコがたまらず叫び声をあげる。
マヤも身近な人物の容疑にショックを受けているようだ。

「加持特佐がゼーレの議長を解任されたのも、それが影響をしているのかもしれん」
「有力な資金源を得られたから、切り捨てたと言う事か」
「麻薬の密売益でエヴァを建造するなんて、間違っているわ」

ゲンドウとコウゾウが呟く側で、ミサトは怒りをあらわにしていた。

「加持リョウジ君と剣崎君は優秀だ。そのうち奴らのしっぽをつかんでくれるだろう」

 

<長野県松代市 第2実験場跡地>

エヴァ参号機の使徒化事件で廃墟となったネルフの第2実験場。
そこにリョウジとキョウヤの二人は来ていた。

「いやあ、廃墟を隠れ蓑にして密造工場を作るとは敵さんもなかなかやりますなぁ。すっかり裏を書かれたよ」
「……余計なおしゃべりはそれくらいにして、行くぞ」

ネルフ諜報部のスーツをきっちり着た男、剣崎キョウヤはそう言ってリョウジをにらみつけた。
もっとも、キョウヤはサングラスをかけているのでその視線はうかがい知れない。

「やれやれ、お堅いね……」

リョウジはそう言って肩をすくめると、表情を真剣な眼差しに変えて工場の奥へと続く階段を降りて行く。
工場の中は迷路のようになっていたが、リョウジとキョウヤは生産設備を一つ一つ確認して行った。
奥深くの研究棟で、リョウジは行方不明になっていた加賀ヒトミを発見する。

「彼女は……!」
「……加賀ヒトミ。意外な人物が首謀者だったとはな……」
「待てよ剣崎。俺は彼女が首謀者だとは思えない。協力しているにしても、誰かしら黒幕が居るはずだ。そいつを暴いて……」

キョウヤはリョウジの額に拳銃を突きつける。

「……お前はここで、裏切り者として死ぬんだ」
「そうやって、いつまでゼーレの走狗を続けるつもりだ?」
「……生きる目的を見いだせない故の渇きをいやすためだ」
「生きる目的なんて、いくらでも見つけられるさ。そんなことを言っていると、加賀君が悲しむぞ?お前は知らないと思うが、彼女は君のことを……」

リョウジがそこまでしゃべった瞬間、キョウヤは拳銃を握る手に力を込めて引き金を引いた。

「即死だ、悪く思うな」

撃たれて倒れたリョウジに対してキョウヤは無表情にそう吐き捨てた。
キョウヤが工場の建物から脱出して離れた後、背後で爆発が起きた。
その爆発は工場ごと松代の第2実験場を吹き飛ばし、付近一帯はガレキも残らないほどまっさらに一掃されているだろう。
剣崎キョウヤはネルフ本部のゲンドウに報告を入れた。
麻薬密造工場を発見、首謀者は技術開発部第一課所属、加賀ヒトミ。
保安諜報部諜報一課所属、加持リョウジは組織の協力者だったと判明、危害を加えて来たため正当防衛行為により射殺。
その後工場自体が大破したため、関係者は全て死亡、物的証拠は消失、ゼーレとの関係は否定も肯定もできず、と。

 

<ネルフ本部 司令室>

司令室に呼び出されてゲンドウとコウゾウの前で剣崎が詳しく報告をするのを聞かされたミサトとリツコはあまりのショックに膝を折った。

「ねえ、リョウジが麻薬の密造組織に協力していたなんて、嘘でしょう!? 嘘だと言ってよ、剣崎君!」
「……残念ながら事実です」

ミサトは剣崎のスーツの襟をつかんで泣きじゃくっている。
その姿はまるで悲劇に打ちひしがれる少女のようだった。
ゲンドウはここまで取り乱すミサトの姿をずいぶん久しぶりに見た気がした。
彼女の胸中を思い図って、ゲンドウは重いため息を漏らす。
リツコも信頼していた部下の犯罪行為とその死に胸が押しつぶされそうになり、必死に涙をこらえていた。

「……ネルフの最高司令官の部屋はここかな……失礼するよ」

少年の声に驚いて、室内に居た皆が声のする方向に視線を向けると、ネルフ職員の制服を着たカヲルが立っていた。

「あなた、生きていたの!?」
「あの時、僕はATフィールドを張って、生き延びたのさ。かなり危なかったけどね」

ミサトが驚いた顔でそう言うと、カヲルは涼しい顔でそう答えた。

「この前現れた、反応の無かった使徒はあなたね? 司令、早く侵入者排除の警報を!」

リツコにゲンドウは落ち着いた声で答える。

「渚君は私の古い友人だ。問題は無い」

カヲルは不機嫌な顔をして、ゲンドウの方を見る。

「誰だい、君は? 僕は君みたいなリリンは知らないよ」
「……そうか、ではなぜ君はこの部屋に来たのだ?」
「僕はすぐにでもここの地下深くにあるアダムと接触してサードインパクトを起こすことができる。……でもその前にやりたいことがあってね」

カヲルは不機嫌そうな顔から強く憤慨した表情に変えてゲンドウをにらみつける。

「僕の”兄弟”を殺したリリンのリーダーにも、絶望を与えておきたくてね」
「……復讐のための戦いは何も生み出さないわ!」

そう叫んだミサトの方にカヲルは視線を向ける。

「僕の今の気持ちは最高なんだ……君からも感じるよ……憎しみの心が。信じていた人間に裏切られて憎んでいるんだろう」

カヲルがそう言うと、リツコは気がついたように自分の胸を押さえる。
しかし、ミサトはキッと歯を食いしばってカヲルをにらみ返す。

「違う、私が今憎んでいるのは……信じていた人を一瞬でも疑ってしまった私自身の心よ!」

ミサトの叫びにリツコは再び息をのみこみ、胸に手を当てて呟く。

「そうね……私も彼女を……ヒトミを信じてあげないと……!」
「……何を言ってるのさ……君たちリリンが本当に分からなくなった……イライラする」

カヲルはリツコを苛立たしげに見て、ポケットの中に突っ込んだ手を強く握りしめた。

「カヲル君……あなたは人間の美しい部分と醜い部分を同時に見てしまった……だからその矛盾に耐えきれないのよ」
「こんな汚れた世界はいらない……もう残す価値もないんだ……」

ミサトが優しくそう諭すと、カヲルは頭を抱えてそううめき出した。

「……それがお前の本心か?」

黙って様子を見ていたゲンドウがカヲルに問いかけた。

「……何も無い孤独な世界を望む。それなのにお前は”兄弟”を失った悲しみを抱えているのだろう? それは矛盾してはいないか?」
「僕にはもう悲しみしか存在しないんだ」
「……そんなことはない、生きていれば幸せになるチャンスはいくらでもある」
「でも、僕は……」
「そういって、自分で可能性を切り捨てしまうのか?」
「僕は、リリンとは違う存在なのさ……」

ゲンドウは椅子から立ち上がり、ゆっくりとカヲルに近づくと、ポケットに突っ込まれていた手を引きずりだした。

「俺は、お前を人間だと……今でも友人だと思っている」
「……やっぱり僕は君を知らないんだ、転生を繰り返して来たから」
「そうか……六分儀と聞いても何も思い出せないか……」
「六分儀……何か懐かしい感じがするね……」

カヲルは心地良さそうに目を細めて自分の手首をつかむゲンドウの手に自分の手を重ねた。

「……何だかリリンを滅ぼすなんてどうでも良くなったよ」

カヲルは軽くため息をついて、ゲンドウに向かって微笑みを見せた。
しかし、すぐに悲しそうな表情を浮かべる。

「でも、君と一緒に歩んでいくことができなくて残念だ。……転生の時期が近づいている。僕はもう少ししたら死んでしまうんだろうね」
「渚……」
「そんなに悲しそうな顔をしないでくれよ。僕にとって死は生の始まりなんだ。ただ……死を迎える前に”友達”の君の力になりたいんだ」

カヲルの言葉を聞いたゲンドウたちは急いでネルフの食堂で働いていたヒカリを司令室に呼び寄せた。

「あの……ミサト先生?」

いきなり連れてこられたヒカリはとまどいを隠せず、体が少し震えていた。

「ごめん、後で詳しく説明するから、先生を信じて」

ヒカリが目隠しをされる間にも、ミサトはヒカリが心細くならないように手を握っていた。
ゲンドウが目配せをすると、カヲルがヒカリの前に立ち、手をかざす。
カヲルがATフィールドを発生させると、ヒカリから光るほこりのような物がカヲルに移動して行く。
全てが終わると、ヒカリは気を失ったのか体が崩れ落ちた。
ミサトが力を失ったヒカリの体を抱き止める。

「……これで使徒の細胞は全部無くなったはずだよ。ショックで気を失っているけど、怪我はすっかり治ってる。使徒の細胞の影響でリリンの細胞の回復能力も上がってたみたいだね」
「ありがとう」

ミサトはカヲルに向かって笑顔でお礼を言った。

「残念だけど、君の細胞だけは取り除くことはできない。長い間の負傷を経て同化しているし、何よりも君は”マスター”に選ばれたリリンだから」
「……そう」
「では、最後に……弐号機パイロットのことも頼む」

ミサトと顔を向かい合わせて話すカヲルにゲンドウが呼びかけた。
カヲルはゲンドウの方を向いて、軽く頷く。

「分かったよ、魂だけなら直接会わなくても連れていける。……死ぬ前に僕からもお願いがあるんだ、僕が逝く瞬間まで手を握っていてくれないか?」
「……ああ」

カヲルに呼ばれたゲンドウはカヲルに近づき、手をしっかりと握った。

「僕がきっと最後の使徒だ。僕が消えたら、やつらが動き出す……気をつけて……く……れ……」

カヲルの全身から力が抜けた後もなかなかゲンドウはその手を離そうとしなかった。
失われた手のぬくもりを自分の手で温めるかのように。

 

<ネルフ本部 303号病室>

「アンタ、いつまで寝ているのよ、いい加減に起きなさいよ!」
「ん……?」

アスカが目を覚ますと、そこは赤い世界。
目の前には、プラグスーツを着たアスカと、ネルフの制服を着た少年……カオルが立っている。

「やっとお目覚めね、惣流さん」
「あ、アンタねえ……!」
「こっちが名前で呼んでやってるんだから、アンタも『式波』って名前で呼びなさいよ!」
「何よその偉そうな態度は、アタシを殺そうとしたことを謝るのが先でしょう!」
「やれやれ、ヒステリーは恐ろしいね……」

言い争う式波アスカと惣流アスカに突っ込みを入れたカヲルは、二人のアスカのユニゾンキックで吹っ飛んだ。

「……ゴメン、アタシのせいでアンタをこんな目に遭わせてしまって……」
「何よ、急にしおらしくなって……怒ったり謝ったり忙しいやつね」
「そりゃ、惣流さんも同じでしょう」
「アンタさあ……いつまでアタシのそっくりさんを演じているわけ?」
「それがそうとも言えないのさ」

式波アスカとの話に夢中になっていた惣流アスカは突然復活を遂げたカヲルに驚いた。

「輪廻転生って聞いたことあるかい?」
「……ん、何となく」
「魂は転生を繰り返す存在なんだ。ただ……この世に存在する器が使徒なのか、人間なのかの違いさ」
「だからさ今度はアンタが使徒になる可能性もあるわけ。わかる?」
「……アホくさ。アタシがあんな分裂したり、宇宙からおっこってくる生物になるわけないじゃん」
「まあ、信じてもらえなくてもいいさ。もし、次なる世界の可能性があるなら、配役もいろいろ変わっているかもしれないね……惣流さんと式波さんがまた出会ったらうるさそうだけど」

クスリと笑うカヲルに惣流アスカは不快感を感じてむくれる。

「……そろそろ時間だよ。最後に惣流さんに何か言っておきたいことがあるんじゃない? アルミサエル……いや式波さん?」
「シンジのやつを許してやってよ。そしていつまでも一緒に居てやって。……アイツは使徒の命まで気にかける……底無しのバカで優しいやつなんだからさ」
「そんなの、言われなくても。……でもシンジの優しさは全部アタシのものよ」
「ぜいたくね、同じアスカながら……」

あきれた表情の式波アスカと渚カヲルの姿はゆっくりと薄らいでいき……惣流アスカは赤い世界が崩れて、自分の目が覚めるのを感じた。
気がつくと自分は病室のベッドの上に居て、両手を目の前で楽しそうに談笑するシンジとレイに握られている。

「……それでね、アスカったら自分でお菓子作りをするって言いだしたのに、果物が上手く向けなくて投げ出したんだよ」
「そう、お姉さんは何でもできそうだけど、料理は苦手なのね」
「うるさいわねっ、今度は投げ出さないわよっ!」

起き上がったアスカは思わず握っていたシンジの手を振り払って、シンジのおでこをはたいた。

「……アスカ?」
「お姉さん……」

シンジとレイの歓喜を含んだ驚きの声に、アスカは無言の笑顔で答えた。
その後、アスカの病室に顔を出したミサトはすっかり元気を取り戻したシンジたちの姿を見て笑みを浮かべた。
ミサトは安心すると、ゆっくりと病室のドアを開けて廊下に出て呟く。

「……リョウジ……私はまだ泣かない事に決めたわ……やるべき事が残っているのに、あの子達を不安にさせるわけにはいかないから」

そしてネルフ本部には……最終決戦の時が迫る……。



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