チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第二十二話 ミサト、誕生日


<1995年12月8日 東京 葛城ミサトの家>

葛城家の茶の間では中心におかれているちゃぶ台の上にケーキが置かれていた。
その大きめのケーキを眺めて、少し嬉しそうに、そして寂しそうにころころ表情を変える黒髪の愛らしい少女が座っていた。
少女の名前は葛城ミサト。今日で10歳になるこの家に暮らす夫妻の一人娘である。

「おとうさん、今年もあたしの誕生日に帰ってきてくれないのかな」

ミサトは壁時計を見詰めながら母親に声をかけた。

「ごめんね。多分お父さんも研究の仕事が忙しいのよ」
「こんな大きなケーキを買ってくれて嬉しいけど、おとうさんが居てくれた方が嬉しいのに」

ミサトは小さいころから家族三人揃っての誕生日を迎えたことが無い。
毎年、母娘二人だけで祝う寂しい日。
大きなケーキは父親のせめてもの心遣いだった。
ミサトの母は優しく娘のミサトの手を握る。

「今年の1月に起きた大震災は知ってる?」
「うん、たくさん建物が壊れたんだよね」
「被災地にね、ボランティアの人が100万人以上も全国から集まったのよ」
「ふーん、いい人って結構居るんだね」
「だから、思いやりの心があれば地球環境もどうにかなるんじゃないかって、お父さんは信じているのよ。人の可能性を」
「おとーさん、立派なんだ……でもやっぱり、あたしの誕生日には休んで欲しいなぁ……」
「…………ごめんね」

それ以上母親にはミサトに掛ける言葉が無かった。

二年後の1997年のとある日の朝。食卓で新聞を読んでいたミサトの父親は苛立たしげに声を荒げた。

「何が議定書だ!こんなものでは問題の先送りにしかならない!」

よっぽど腹が立ったのかミサトの父は新聞を破り捨てた。
それを見ていたミサトは父の怒りの形相に身震いする。

「父さん、ちょっと怖い……」
「ああ、すまんなミサト。……研究が進まない苛立ちをぶつけてしまった」
「前みたいに無駄遣いをなくす研究は止めたの?」
「根本から変えないといけないと思ってな。石油に代わるエネルギーを研究しているのさ」

原子力、風力、太陽光……そして水素。
様々な研究を重ねたミサトの父だが、どれも実用的なレベルに至らず、満足がいかないようだった。
そんな日々が続いたある日、ミサトの父は目を輝かせて家に戻って来た。

「ついにやったぞ!」
「どうしたの、父さん?」
「ついにS2機関の理論を思いついたんだよ!」

ミサトの父は少年のようにはしゃいでミサトの手をとって振り回す。

「このまま地球の人口が増え続ければ、食糧問題、環境問題、エネルギー問題が発生する……しかし、S2機関があればそれらの問題は解決するんだ……」

ついに念願かなったり、といった様子で喜ぶミサトの父を、母と娘のミサトも嬉しそうに見守っていた。
しかし、確たる根拠も物的証拠もないミサトの父、葛城博士の『S2機関理論』に対する世間の風当たりは冷たかった。
葛城博士は狂人呼ばわりされ、それまでの功績も全て否定され、権威も職も何もかも失われても、彼はS2機関を諦めなかった。

「S2機関のサンプルは南極に眠っていると言うのに、なぜ誰も信じてくれないのだ……」

葛城博士は荒れた様子で家に戻ると、母と娘によく零していた。
二人も父親の真剣な様子に、そうであると信じていた。

「ミサト、父さんは立派な人なのよ……父さんを最後まで信じてあげてね……」

しばらくしてミサトの母は心労が重なったのか、病に倒れて息を引き取ってしまった。
だが、捨てる神あれば拾う神ありというのだろうか。
ドイツに本拠を構える『研究機関ゲヒルン』が葛城博士のスポンサーになると言いだしたのだ。
再び生気を取り戻した葛城博士の姿に、ミサトも喜んでゼーレに入隊し、少年兵となった。
研究機関ゲヒルンの元、2000年を目的に南極に眠る『アダム』を調査する葛城調査隊が組まれることになった。
しかし、南極に眠る巨人『アダム』を起動させるには、彼の魂にコンタクトを取る必要があった。
その適格者として少年兵として登録された葛城ミサトが選ばれ、彼女は父親のために進んでプラグスーツを着てエントリープラグに入り……件の悲劇が起こったのだった。
ミサトはセカンド・インパクトの爆発の衝撃により海に投げ出され、漂流し、南米最南端の街ウシュアイアよりさらに南の小さな村の海岸に流れ着いた。
村人は大災害の直後にもかかわらず、ミサトに寝床と食事を与えてくれた。
さらに奇跡的に日本語が話せる日系ブラジル人の女性が居て、ミサトの側に付いてくれていた。
ミサトがやっと人心地が着いたころ、運が悪いことに村にゼーレの諜報員が重要機密である葛城調査隊の生き残りを探してやって来た。
ゼーレの諜報員は村に援助物資を送る事を条件に、ミサトの身柄の引き渡しを迫った。
村に蓄えられた食料が乏しくなっていたのは事実で、セカンド・インパクトによる災害によりさらに食糧事情が厳しいことは確かである。

「ごめんね……あなたを引き渡さないと、この村は飢えてしまうの……」
「ううん、あたしなんかでこの村の人たちのみんなを救えるなら喜んで行くわ」

涙を流して謝る村民の女性にミサトは笑顔で応えた。
ゼーレの諜報員に捕まったミサトはゼーレの基地できつい取り調べを受けた。

「さあ言え、葛城博士はなぜS2機関を思いついた!」
「私は……何も知りません……」
「では、なんでお前はあの爆発の中心に居て、たいした怪我を負っていないんだ?」
「わ……わかりません」

否定の言葉を吐く度にミサトは殴られる。
それでもミサトは質問に対して知らないと答えることしかできなかった。
取り調べ室に別のゼーレの職員の男が入ってくる。

「葛城博士の自宅からS2理論について書かれた書類が発見されたそうです」
「じゃあ、もうこいつに聞くことは無いな」
「この娘はどうしますか、口封じに始末しますか?」

その時、取調室の電話が鳴る。
電話をとった男は、入って来た男に命令した。

「懲罰房に入れて、そのまま放っておけ。食事などを与えなくていい」
「はっ?」

命令を受けた男は疑問の声を一瞬上げたが、そそくさとミサトを連れて出て行った。

 

<研究機関ゲヒルン 懲罰房>

ゼーレは基本的に表に出ない、秘密の機関であるので、表の顔はゲヒルンである。
ゲヒルンは研究機関という形式であったが、独自の警備としてゼーレの兵士を配備している。
ゲヒルンの建物内部にもゼーレ用の軍備施設が存在していた。
その懲罰房の一室にミサトは閉じ込められていた。
水も食事も与えられず一か月近くになるが不思議とミサトの命は尽きなかった。
事実を知るゼーレの見張りは気味悪がって、怪談までウワサされ始めた。
その警備の緩みの隙をついて一人の刺客が侵入した。名前を加持リョウジという少年だった。
毒を仕込んだナイフを握りしめ、『殺害目標』である葛城ミサトの居る懲罰房に向かった。

「早く私を殺して……」

ミサトが部屋に静かに侵入したリョウジに向かってそう呟くように呼びかけた。
冷静に仕事をこなすリョウジもミサトの発言には少し驚いた。
暗殺者に向かって殺せと命じる人間は滅多に居ないからだ。
無言でリョウジは持ち込んだ愛用のナイフでミサトの腕を斬りつける。
即効性の猛毒で、すぐ痺れがまわり数分で標的の命を奪うはずだ。
リョウジはすぐさま立ち去ろうとして入口の方を振り返ったが、背後からミサトの声が聞こえ、心底驚いた。

「殺してから行きなさいよ……」

リョウジは慌ててもう一度ミサトの腕を斬りつけて様子を見るが、相変わらずミサトは暗い目でリョウジを見詰めて呟き続ける。
スマートな殺人術を好んでいたリョウジは、仕方無く紐を使って思いっきりミサトの首を絞めた。
ミサトの呼吸が止まったのを確認して力を抜く。

「ゴホッ、ゴホッ……あんた、本気で殺そうとしてるの?」
「……毒も効かないし、首を絞めても死なない……本当に人間なのか……?」

とまどうリョウジの耳に、外から近づいて来る足音が聞こえた。

「……しまった、長居しすぎたか……」

だが、その足音の主は懲罰房のドアを開ける事は無く、その前で立ち止まった。

「……ドア越しに話すだけですよ」
「ありがとう」

ミサトには片方の声が見張り番の一人の声だとわかった。
もう一方の女性の声は初めて聞く声だ。

「葛城ミサトさん。聞こえるかしら?」
「…………」

ミサトは視線を向けたが、何も答えなかった。
ドアに付けられた小さい窓越しに見詰め合うだけで時間が過ぎて行く。

「……そろそろ、やばいですよ。見つからないうちに」

見張り番にうながされた女性はミサトに向かって微笑みかける。

「生きていこうと思えば、幸せになるチャンスは、どこにでもあるわ」

二人の足音が遠ざかっていく。
リョウジはふーっと安心して大きく息を吐きだした。
彼がミサトに目を向けると、ミサトが肩を震わせているのを見て驚いた。

「そうか……そうだったわね……フフフ……アハーッハッハハ!」

突然頭のネジがぶっとんだように笑うミサトにリョウジはまるで宇宙人を見るような感覚にとらわれた。
リョウジは早く逃げなければならなかったが、目の前で起こる想定外の出来事に頭の処理がついて行かない。
気がつくと、リョウジの目の前の至近距離ににっこりとほほ笑むミサトの笑顔があった。

「よく見ると、あんたかっこいいじゃない。名前は?」
「……えっ?」
「教えたって減るもんじゃないし、教えなさいよ」
「……加持」
「加持君ね。よろしく」
「……なんでそんな話になるんだ?」

怪訝な顔でミサトをにらみつけても、ミサトの笑顔は曇る事は無い。
先ほどの自分よりも暗い表情をしていたミサトとはまるで別人のスイッチが入ってみたいに感じる。
黙っていた分を取り戻すようにミサトはリョウジにペチャクチャと話しかける。
いつの間にかミサトに無防備に抱きつかれたリョウジは逃げるに逃げられなくなってしまった。

「あのね、あたしは、来月の8日誕生日なのよ」
「いきなり何を言い出すんだ、君は」
「一緒にお祝いしてくれる人がいると楽しいんだけど」
「楽しい? 誕生日が?」

リョウジは貧しい家に生まれ、誕生日どころか楽しいと言う事自体を意識してなかった。
今回の任務も失敗したら死ぬことは当然だと思ったが、先ほどの女性の言葉とミサトの明るさに当てられて、生きる事にしがみつきたいと言う気持ちを初めて持つようになった。

「……俺からも一言、いいか?」
「なに?」
「……無理して、笑わなくていいからな」
「なんで……わかったのよ」
「仕事柄、相手の精神状態を読むことは戦闘に有利になるんでね」
「そんな仕事、やめちゃいなさいよ……でも、ありがと」

 

<2015年 第三新東京市 ネルフ本部 第一発令所>

「はっ……私としたことが、長い間回想に浸っていたようね……」

ミサトは発令所でカヲルが去った方向を向いたまま、立ちつくしていた事に気がついた。
誰かに服を引っ張られる感覚に、そちらの方を向くと、気まずそうに見上げるリツコの姿があった。

「ミ、ミサト……さっき、私が言ったことだけど……」
「まあ、誰だって虫も殺さない聖人君子ってわけじゃあないし。そう言うのは笑って流すもんよ」
「あ、ありがとう」
「貯めこんだストレスを発散できてよかったでしょ?」

ミサトがあっけらかんとした笑顔でいうと、リツコもつられて安心したような笑顔になる。
発令所のそこかしこで謝ったりする声が聞こえる。
見回す限り、もう言い争う声は聞こえない。
ミサトは安堵したが、戻って来ない職員の一部の空席を見て、ミサトは表情を曇らせる。
そこは、ミサトを化物呼ばわりした職員たちの席だ。
再びミサトは暗い思考の渦にとらわれそうになったが、はっと顔をあげる。

「私はシンジ君たちの様子を見に行くから、リツコはここをお願い!」
「わかったわ」

ミサトが声をかけると、マヤと話しこんでいたリツコは振り向いて答えた。
返事を確かめる間もなく、ミサトはエヴァパイロットの控室に走って向かっている。
エヴァパイロットの控室にミサトがたどり着くと、シンジたち三人はにこやかに談笑をしていた。
あまりにも和やかな雰囲気にミサトは拍子抜けする。

「あなたたち、使徒の攻撃は受けなかったの?」
「ええ、僕たちにも音楽が聞こえて来たんですけど……」

シンジ、アスカ、レイからの話を聞いたミサトは感心したような、ほっとしたような表情で頷いた。

「……というわけで、僕たちは前に比べて仲良くなってしまって……」
「そう。まさに、雨降って地固まるね」

ミサトは人間のさらなる絆の深まりに感動すら覚えたが、解決していない問題があった。
それはミサトに関する噂がにわかに広まりを見せている事である。
月に穴を開けたのはミサトの仕業だと言う事も囁かれていた。
とりあえず、ミサトに関する処分は特になかったのだが……ネルフやゼーレの一部にミサトに対する反発が生じ始めていた。

 

<第三新東京市 第壱中学校>

その日、HRの時間に2−Aの教室に入って来たのはまたまた担任の根府川先生では無くミサトだった。
クラスの生徒たちはまたまた転校生が来るのかと色めき立った。
2度あることは3度ある。
その予想は当たった。

「みんな、今日は転校生を紹介する!」
「山岸マユミです、短い間だと思いますけど、宜しくお願います」

眼鏡をかけ、口元にホクロのある黒髪の少女は笑いもせず、無表情に静かに頭を下げた。
地味で真面目で暗い印象を受ける彼女に、クラスの反応は静かだった。

「ほらほら、男子! 質問とかないの!?」

ミサトが盛り上げようとするが、オドオドして下を向いているマユミに誰も質問をしなかった。

「参ったわね。マユミちゃんもまだリラックスできてないのかしら……席はヒカリちゃんの隣が空いてるわね。そこに座って!」
「はい……」

隣の席に座ったマユミにヒカリは優しく声をかける。

「葛城先生って、明るくて楽しそうな先生でしょ?」
「は、はい……」

マユミは多少顔をこわばらせながらも笑みを浮かべた。
しかし、マユミは積極的に人とかかわり合おうとせず、休み時間も本を読んで近づきがたい雰囲気を漂わせている。
中学校の体育の時間。
男子はグラウンドでバスケット。
女子はプールで水泳だった。

「さあ、今日の授業は二人一組よ! みんな、各自でペアを組みなさい!」

水泳教師のミサトが大きな声で号令をかけると、2−Aの女子たちは元気に返事をしてペアを組む。
やはり転校生のマユミだけが取り残されていた。

「アスカ……今日は……」
「そうだね。ヒカリは転校生の子と組んであげて。アタシは……仕方無い、ミサトの相手をしてやるか! いつもサボってるし」
「酷い言い草ね、私は教師として監督をしているのよ」
「この前よだれ垂らして寝ていたじゃない」
「あれは、日差しが気持ち良かったから……」

アスカとミサトのやりとりに笑いが巻き起こる。
しかしマユミは固い表情で側にいるヒカリの方を見ようともしなかった。

「山岸さん、私と組みましょう?」
「……無理しないでいいですよ」

ヒカリが笑顔で話しかけても、マユミは視線を合わさずに暗い声で返事をした。

「……私なんかと居て楽しくないでしょう? 惣流さんと組んであげてください」
「そんなこと言わないで」
「いいんです、みんな私といると楽しくなさそうな顔をするんです」

ヒカリがマユミに対して困惑した顔でいると、アスカが割って入って来た。

「アンタねえ! 自分がつまらない顔をしているから、そうなるって事がわかんないの!?」
「そ……そんなこと言われてもっ……!」

マユミは泣きながらプールから出て行ってしまった。

「あーアスカが泣かした」
「惣流さん、ひどーい」

クラスの女子から非難の声が上がる。
もちろんこれは冗談半分だ。

「アスカって相変わらず、お節介よねぇ」
「でもミサト先生。そこがアスカの長所であり短所なんですから……」
「ヒカリ、何気にそれって毒舌よ」

ミサトは腕を組んでしばらく考えた後……閃いたかのように手を叩いた。

「みんな、協力して、これから”E計画”を発動するわよ!」
「”E計画”?」
「そ、マユミちゃんに笑顔を与える”E(笑顔)計画”よ!」

ミサトのネーミングセンスには目をつぶり、2−Aの生徒たちは賛成し、計画実行に向けて動き出した……。



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