チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第二十話 使徒のかたち 人のかたち


<ネルフドイツ支部 会議室>

ネルフドイツ支部の会議室では、ゼーレの会議が開かれていた。

「エヴァあのような形で自らにS2機関を取り込むとは予想外だな」
「エヴァ初号機は危険な存在となってしまった」
「初号機の物理的破棄を提案する。いかがかな、議長?」

ゼーレの幹部が注目する中、ミサトは毅然とした態度で言い放った。

「ネルフ本部では、サードチルドレンのサルベージ計画が実行中です、認めるわけにはいきません!」
「一人の子供の命と引き換えに全人類を脅威にさらすと言うのかね」
「現在、初号機は機能を停止しています。さらに凍結処理を行っているので安全性は保証いたします」
「議長がそこまで主張するなら一任しよう」

キールの鶴の一声で議会のざわめきは静まった。
ミサトは少し安心した様子で表情を緩める。

「ただし、失敗は人類の滅亡の危険をはらんでいる。責任はとってもらうぞ」
「はい……議長権限で、この件に関する議論は終了します!」

ミサトがそう宣言して議場から姿を消すと、残ったメンバーたちはさらに話し合いを続けた。

「そろそろお飾りも降ろす時が来たのではないですか?」
「左様。あやつのお陰で計画に必要な資金も集まった。また参号機の事件で新たな依り代もできた」
「成熟した大人より未熟な子供の方が道具としては使いやすい」

キールはそう言って唇をつりあげて笑った。

 

<ネルフ本部 エヴァ実験棟>

ネルフ本部の職員の間では、参号機の使徒化事件の際に松代の実験場に居合わせたメンバーを中心にひっそりと噂が広まっていた。
ミサトが人間ではない、ひょっとしたら使徒なのかもしれないという憶測がミサトの変身を目撃したメンバーから発信されていた。
常日頃からミサトに絶対的に信頼を寄せる職員たちは笑い飛ばしたが、今でもその噂はまことしやかに囁かれる。
シンジを取り込んだ初号機はその後使徒を食いちぎり殲滅させたが、危険を感じたネルフの幹部メンバーの命令により、実験棟に設けられた檻にベークライトで固められて拘束されることになった。

「リツコ、エヴァがシンジ君を取り込むなんてどういう事よ!」

シンジのプラグスーツだけが漂うエントリープラグ内の様子を映したモニターを見て、アスカがリツコに詰め寄った。

「エヴァは人の魂が込められているの」
「それってまさか……!」
「そう、シンジ君のお母さんそのものが入っているの」
「じゃあ、アタシがレリエルの中で話したママは本物なの?」
「その可能性は高いわね。そして、今はユイさんがシンジ君を取り込んでしまった」

リツコの提案したサルベージ計画は、エヴァのエントリープラグに存在するシンジの魂に呼びかけ、溶けてしまった肉体を再構成するというものだった。

「自我境界パルスの接続を完了しました」
「サルベージ開始」

マヤから報告を受けたリツコは、サルベージ作戦進行の合図を送った。
そこへゼーレの会議を終えたミサトが駆けつけ、リツコの隣でモニターをにらみつける。

「だめです、自我境界がループ上に固定されています!」

マヤが上げた悲鳴に室内は騒然となった。スタッフたちの動きが落ち着かない慌ただしいものとなる。

「全波形域を測定してみてくれる?」
「大量のα波が検出されました!」
「これは……シンジ君は安らぎの中に居てしまっているの?」
「リツコ、それってどういう事よ」

ショックで立てず、レイに抱えられたアスカは気力を振り絞ってリツコに尋ねた。

「シンジ君はエヴァの中でお母さんと幸せな夢を見ているのよ……このまま覚めない可能性も……」
「そんな……シンジのママ、シンジを返してよ! シンジ、帰って来て!」

響き渡るアスカの叫び声を、ミサトを始めとしたスタッフたちは胸を痛めて聞いていた。

 

<第三新東京市 コンフォート17>

「バカシンジ!」
「!?」

シンジがベッドの中で目を覚ますと、そこは一般的な中学生の部屋の中だった。

「アスカ?」
「そうよ、アンタの幼なじみのアスカよ。寝ぼけてんの?」
「無事だったんだね!」

シンジは感極まってアスカに抱きついてしまった。

「キャア、エッチ馬鹿変態信じられない!」

驚いたアスカはシンジを突き放して平手打ちをする。
シンジのほおに紅い手形が刻まれた。

「ごめん……。」

シンジが謝るととりあえずアスカは機嫌を直したようだ。

「さっさと着替えて来るのよ!」

アスカはそう言って部屋を出ていった。

「アスカちゃん、毎日うちのシンジが迷惑をかけてごめんなさいね」
「いえいえ、そんな迷惑だなんて」
「シンジも自分で起きられないとは情けないやつだ」

ドア越しにリビングで交わされている会話がシンジの耳に届いてきた。
聞こえて来た声のうちの一つは父親のゲンドウの声だという事にシンジは気が付いた。

「リビングから聞こえてきたのはもしかして母さんの声なの?」

父が居て、母が居て、幼馴染のアスカが居る。
シンジは自分が夢にまでみた生活に涙ぐんだ。

「ほら、あなたも新聞ばかり読んでないで早くご飯を食べて下さい。シンジの事を言えないでしょう?」
「ああ」

母親のユイの声にシンジは慌てて着替えを始めた。部屋を出るとアスカがリビングの椅子に腰かけて待っていた。
シンジの方を見ると、アスカはシンジのシャツに手を掛ける。

「ボタン、段違いになってる。……これでよし、っと。やっぱりシンジはアタシが居ないとだめね」
「アスカちゃんがシンジのお嫁さんになってくれたら助かるわ……」
「ななな、何を言ってるんですかおばさま! さあシンジ、遅刻しないように走るわよ!」

シンジはアスカにせかされて手を引かれて家を出る。
アスカに手を握られたシンジは感じた違和感をつい口に出してしまった。

「アスカの手って柔らかいね。パイロットの手じゃないんだ」

その言葉を聞いたアスカは顔だけでなく耳まで赤くして手を離した。

「ばばば、バカシンジは何を言ってるのよ! さっさと行くわよ!」

そう言うとアスカは思いっきり走り出し、シンジは慌てて追いかけた。
シンジがレイの事を聞こうとアスカに話しかけようとした時、アスカの方から口を開く。

「今日は転校生が来るって話なんだから、遅刻なんてみっともない所見せるわけにはいかないわ」
「えっ、また転校生が来るの?」
「ここが首都になるって報道がされてから、多いわよね」
「そうなんだ」
「シンジは転校生がかわいい子か気にならない?」

アスカが意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「僕はアスカが居るからそんなの関係無いよ」

シンジがそう言うと、アスカの顔はたちまち真っ赤になる。

「な、ななな何を言っているのよ、バカシンジ! 今日のアンタは変よ!?」

シンジがそんなことは無いと否定しようとした時、通りの角から人影が飛び出して、シンジとぶつかった。

「痛ーい!」

シンジが驚いて衝突した人物を見ると、違う中学校の制服を着た綾波レイだった。
レイはシンジの視線に気がつくとあわててスカートをおさえる。

「エッチ!」

顔を赤くしたレイはそう言ってシンジをにらみつけ、素早く走り去って行った。

「レイが明るい子なっている……」

シンジは性格が全く違うレイに驚きを隠せないようだ。
アスカの方はレイに見とれていると思ったのか後ろからシンジをにらみつけている。
しばらくの間膨れっ面をしてしまったアスカだったが、シンジが必死に謝ると機嫌を直したようだ。
シンジが教室に入ると、トウジとケンスケがいつものように声を掛けて来た。
シンジは動揺しているのがばれないように自然に振る舞おうとした。
その時教室の外から車の激しいブレーキ音が聞こえて来た。
シンジがトウジとケンスケと一緒に窓から駐車場を眺めると、止まったのは青色のルノー。
中からスーツ姿のミサトが出て来た。

「やっぱりべっぴんやな、ミサト先生は。」
「ああ、最高にかっこいいよ。」
「ミサトさん、この世界でも先生になっているんだ……」

シンジは涙ぐみながらミサトがこちらに向かってピースサインをしてくる姿を見つめていた。
ミサトが教室に入って来ると後ろにはレイがついて来ていた。

「今日の転校生は可愛い女の子よ!」
「綾波レイです、みなさんよろしくお願いします!」

レイはミサトに促され教壇に立ち笑顔であいさつをした。
シンジを目が合うと驚きの声をあげた。

「ああーっ、今朝のラッキースケベ男!」
「嘘は止めなさいよ、アンタが自分から見せたんでしょう!」

アスカが席から立ち上がってレイをにらみつける。
レイはその視線を跳ね返すようににらみ返した。

「何よその子をかばっちゃって、アンタはその子とできちゃってるわけ?」
「うるさいわね、そんなの関係無いじゃない」
「あらーアスカ、シンジ君ごちそうさま」

アスカにミサトを始めとしてクラスからひやかしの声が上がる。
そして、いつものように学校生活を送り……家に戻ったシンジは惣流家の家族を交えた夕食のだんらんを楽しみ、満足して眠りについた。

「これがシンジの願いなのね……」
「うん、僕はもうみんなが傷つけるのも、傷つくのも嫌なんだ」

目をつぶったシンジは頭の中に流れて来るユイの声にそう答えた。

「そう、じゃあここで私と一緒に暮らしましょう……」

再び母親のユイの優しい声が聞こえ、シンジの意識は再び遠のいた。

 

<ネルフ本部 エヴァ実験棟>

「パイロットの自我意識が薄れて行きます!」

マヤの絶叫と共に警告音が激しく鳴り響く。

「何とか融合を押し止めて!」
「無理です、エントリープラグ内の圧力が高まっています!」

リツコの指示のかいもなく、エントリープラグからシンジが溶け込んだLCLが溢れ出す。
LCLに流されたシンジのプラグスーツをアスカが拾って泣きながら抱えている。

「シンジが居なくなったら……アタシは……アタシは……!」

背中を丸めて泣きじゃくるアスカの背中をレイが優しくさする。
そんな二人を直視できなかったミサトがエントリープラグの方に目を向けると、座席にシンジが裸で横たわっているのが見えた。

「シンジ君!」

ミサトの歓喜と驚きが混じった声に振り向いたアスカとレイはシンジの姿を肉眼で確認すると、笑顔を浮かべてシンジの下に駆け寄った。
アスカはシンジの胸に飛び込んで両手をシンジの首に巻きつけた。
それに気が付いたシンジはうっすらと目を開けた。

「アスカ……レイ……ミサトさん」
「シンジが戻って来た……」
「お兄さん……」
「シンジ君……」

シンジは胸にすがりついて泣いているアスカを見て、優しく語りかけた。

「アスカ、心配掛けてごめん。僕は母さんに甘えて幸せな夢の世界に逃げ込んでしまいそうになったんだ」

シンジは戸惑うアスカの腕をつかんで握り直して、アスカを強く見詰める。

「でも、母さんが言ったんだ。『生きていこうと思えば、幸せになるチャンスは、どこにでもあるわ』って」
「シンジ……」
「だから僕はこの世界でみんなと幸せを勝ち取るために戻って来たんだ」

シンジは繋いだアスカの手を見詰めた。

「やっぱりアスカの手は固くなっちゃったね。パイロットの手だね」
「何を突然言うのよ? シンジの手もそうじゃない」
「夢の中であったアスカの手は柔らかかったんだ。僕たちの子供にはこんな思いをさせたくないって改めて思うよ」
「こ、子供って……」

そう呟くとアスカの顔が紅潮して行く。
シンジもそれに気づいて顔を赤くした。
レイはいつもの通り無表情に見えるがよく見ると呆れ顔をしているような気もする。
そこへニヤニヤしたミサトが到着し、屈んでシンジとアスカの間に顔を割って入れる。

「お二人さん、再会していきなり家族計画の相談ですか?」

ちゃかすミサトの声で実験棟は笑い声に包まれた。

 

<ネルフ中国支部>

ネルフ中国支部にはゼーレの幹部や一部の者にしか存在が知られていない、とある重要な生物を監禁するための地下室が存在した。
地下室に安置されているエントリープラグ型のカプセルに入れられた彼は、15年前南極で発見されてからここに運ばれて以来眠り姫の如く深い睡眠状態にあったのだが……。
彼は静かにゆっくりと目を開いた。
彼が目覚めたとき、モニターを監視するものは居なかった。
ゼーレからは厳重な見張りをつけるように指導されていたが、中国支部の当局は目覚める事は無いと油断していたのかもしれない。
彼が赤い目でカプセルの窓から見えるコンピュータに視線を走らせると、『渚薫 KAWORU』と書かれたカプセルのふたが開いた。
しかし、異常を知らせる警報は鳴り響かず、辺りは静寂に包まれている。
彼、いわゆるカヲルは部屋のロッカーを物色すると予備のネルフの制服を見つけ笑みを浮かべた。サイズもちょうど良いようだ。
カヲルは制服を身につけると悠然と部屋を出て、出口へと向かった。
中国支部は費用を抑えるため、セキュリティのほとんどが放棄されていた。
ゼーレから回された予算のほとんどは建造中のエヴァ量産機の改造に使われていたのだ。
カヲルは地下室から出る際に数人のネルフ職員とすれ違っただけで、誰にもとがめられず、余裕で脱出に成功した。
地上に出たカヲルは高台に立ち、目前に広がる上海の市街を眺めていた。

「ねえみんな。僕は君たちからいろいろ教えてもらったけど、リリンというものがますます分からなくなったよ」

カヲルはそう言うと近くの岩に腰かけ頬杖を突いた。

「争いの遺伝子を持つリリン。僕たちは神の代行者として彼らを浄化するために生み出された『使徒』という存在なのに、彼らに敗北を続けている」

そう呟くカヲルの言葉に答える声は無かった。
しかし、カヲルは仲間にでも話して聞かせるかのように話を続ける。

「レリエルが接触したリリンは僕たちを殺すことを積極的に望まなかった、どうしてだろうね」

カヲルはため息をつくと、遥か上空を見詰めて笑顔で優しく囁きかけた。

「さあ行こうアラエル、ラジエル、アルミサエル。彼らの心を探りに」

カヲルの両腕が翼へと姿を変える。
そしてカヲルは海に面した崖から飛び降り、翼を広げて日本に向けて飛び立って行った……。



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